[ことば日本史] 影武者。平将門は体が1つで影が6つ

「ことば日本史」平安時代から
いよいよ武士が台頭してきます。
平将門でございます。

史実は以前にシリーズで書きましたのでそちらを見ていただければと思います。
例えばその9
[平将門]9 あまりにもあっけなく

今日は、その平将門の乱を題材に後に作られたおとぎ話「俵藤太(たわらのとうた)物語」を紹介しましょう。

俵藤太すなわち藤原秀郷ですので、平将門を討伐した側からの話になっています。
おとぎ話ですので、そのつもりでお読みください。

影武者
天慶2(939)年、平将門は「新皇」に即位した。

翌年正月、追討軍が発する。

室町時代に書かれたお伽草子「俵藤太物語」では平将門は身長七尺(約2メートル12センチ)、
全身が鉄で、左眼には瞳が二つあった。
そして、六人の影武者がいて、同じ姿で、同じ振る舞いをするので、
誰にも見分けがつかなかったという。

都にまだ将門の計画が知られていない頃、
俵藤太 (藤原秀郷)は、将門と同盟して日本を半分ずつにしようかと思わぬでもなく、
どれほどの人物か見定めようと将門のもとを訪れた

でも食事中、ご飯をこぼして払いぬぐうのを見て、
「こりゃ駄目だ。 とても日本の主となるような器じゃない」
そこで藤太は、大急ぎで都にのぼり、宮廷に訴え出た。

「平将門が、反逆をくわだてております。私を大将に任じてくだされば、
きっと討ってみせましょう」

平貞盛も軍勢をひきいて後を追い合流、貞盛軍はいちはやく将門を攻めたが、
まるで手も足も出ない。その様子を見た藤太は考えた。

「こりゃ、とても勝ち目はないな。
しかし、智慧のないヤツだという噂だから、なんとかして、
だまし討ちにしてやろう」

藤太は単身、将門の館へ向かう。
もてなしを受けながら、 将門を褒めたたえた

お力になりとうございます。

将門は喜んで杯を交わした。
鉄の身なので、多少油断しても大丈夫。

藤太はしばらく館に逗留して様子をうかがっていたが、
その間に、美しい女房とねんごろになる。

その女房は将門のお気に入りだったので、
藤太が女房の部屋にいるときに将門がやってくることもあった。

そんなとき藤太は隠れていたが、物の隙間から覗いて見れば、
そんなときにも将門は七人いた。

あとで藤太は女房に訪ねる
なぜ七人もいるのかね

おや、まだご存じなかったのですか。
殿は、世の常をこえていらっしゃるので、御形は一人ですけど、
影が六体おありなのです。
人からは、七人に見える訳です

あなたは脚本体が見きわめられるのですか

絶対に誰にも話すようなことじゃありませんの。
あなたにだから、言うんです。
絶対に内緒ですよ

七人の御姿は、振る舞いはまったく同じですけれども、
本体だけは日や灯火に向かったときに影ができるんです。
他の六人には影ができません。
身体がことごとく鉄ではありますが
耳のそばのこめかみのところだけは生身なのですよ

よっしゃ。とうとう弱点を聞き出したぞ
弓矢をしのばせて女の部屋で待ちます。

将門がやってきて、女房とうちとけて話をしているところを、物陰から覗くと、
七人のうち、六人は灯火に照らされていながらも影がない。

そして影のある一人をよく見ると、
こめかみが動いている。

そのこめかみを狙って、ヒューッ

将門はどっと倒れ、その瞬間、六体の影も消えうせた。

将門の影武者は、本当に影のような存在だったのである。

この七つの体というのは、平将門とその子孫の千葉氏の妙見信仰と関係がありそうです。
妙見信仰とは、北辰信仰とも良い、北斗七星に対する信仰
平将門ゆかりの神社は北斗七星の形に配置されています

後に武田信玄をはじめとして
いくつか影武者の話は語られますが
元々は平将門だったんですね

[ことば]シリーズはこちら(少し下げてね)

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