[足利将軍]1-3 足利尊氏。第二幕で大敗北

[足利将軍]1 足利尊氏。悪い奴にされちゃうの?
[足利将軍]1-2 足利尊氏。とらえどころの難しい人物像
の続きです。

直冬(ただふゆ)
高師直(こうのもろなお)としては、養子とはいえ直義(ただよし)の息子を放って置くわけにはいきません
そんな空気に押され、直冬は中国地方から九州へと逃れていきます。

ただ逃れただけだと良かったのかも知れませんが
直冬はとても能力があった
尊氏の血でしょうか
九州で勢力を急拡大していきます

そうなると、高師直だけではなく、足利尊氏自身としても、中央政権を脅かす勢力とみる
高師直と尊氏は、協同して九州へと征伐に
本当は実の息子なのにね

さあ、出発ってときに、またまた大事件が勃発
幽閉されていた直義(ただなお)(尊氏の弟)が脱出に成功

高師直、九州に行っている場合ではなくなりましたので
尊氏に、作戦変更いたしましょう。

いやいや、決めたことですから

高師直と尊氏が九州に行っている間
直義は態勢を立て直し
そして、誰もが予想しなかった行動に出ます。
「敵の敵は味方だ作戦」
なんと、南朝のところに行って、
「手を結びませんか」

今までは北朝内での内輪揉めですんでいたものの
こうなると完全に話は変わります。
ここへきてようやく尊氏も
まずい。引き換えそう

観応2年1月7日、直義は八幡に進出して陣を構える。
その三日後、尊氏・師直陣営も山崎まで戻って気勢をあげた

直義軍、地滑り的勝利
1月15日、尊氏・師直陣営はやっとのことで京都に帰り着いたが、
直義党の桃井直常らに攻撃され、
翌16日には京都の留守を託しておいた義詮とともに丹波へと敗走せざるを得なくなった

大決戦は2月17日、打出浜において行われた。
戦いは夜に入って始まり、両軍は激しく揉みあったが、夜半にいたって勝負は決した
直義軍大勝利

大敗北の尊氏・高師直軍、講和を申し入れます。
講和条件は?
高師直・師泰兄弟を出家させるという一点のみ

元々直義は兄の尊氏には恨みはなく、憎いのは高師直
とはいえ、ここまで大勝利と大敗北の明暗にしては、講和条件がどうにも

「足利尊氏 乱世の行動学」の百瀬明治さんによると
元々決められていた筋書きなのではないかという
尊氏と直義の二人が共同謀議を謀ったのではないか
直義が脱出したとき、計画を変えなかったのは不思議すぎる
しかも、九州に向かっても、中国地方で、時化だの山路の雪だのを理由に
1ヵ月余りも滞在している

尊氏は講和後、直義と対面したとき、
驚くべきことに自分に従ってきた将士の恩賞を堂々と要求する。
直義も、その要求を飲んだ
負けたもののすることではない

いわゆるはしご外しをしたかったのではないか
高師直と直義二人のパワーバランスをはかりつつ
うまくコントロールするはずだった
ところが高師直があまりに力を持ちすぎた
高師直を誰しもが納得する形で潰そう
そのために一番良いのは「負ける」こと

もうひとつは、南朝の取り込み
とてもイレギュラーな方法ではありますが
尊氏イコール直義と考えると南朝とのひとつの繋がりはできた

代償があまりに大きい演技だと思いますがね

2月26日
高師直・師泰兄弟は顔を隠すようにして、出家の地へ向かうため
馬に乗ります
師直兄弟は武庫川の土堤にさしかかったとき、
かつて師直が殺害させた上杉重能の家中の者に取りかこまれ、
なぶり殺しのような無残な最期を迎えます

筋書き通り(?)のこの抗争
これで一件落着
うーん、そうはいかなかった
このあと第三幕が始まります。

続きはシリーズの次回ね

[日本の歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

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