[足利将軍]2 足利義詮。やるしかないじゃないの

[足利将軍]1-5 足利尊氏。やっぱり尊氏だったが
の続きです。

足利将軍シリーズ、2代目義詮(よしあきら)になります。
足利尊氏の息子です。

鎌倉
新田義貞が鎌倉幕府を倒すべく兵をあげたとき
鎌倉に人質として残されていた義詮は新田軍と行動を共にし
一躍足利勢力のシンボルとなる

足利政権が樹立されたあと
尊氏とその弟直義(ただよし)は役割分担をしつつ進めていく

尊氏としては、息子の義詮が成長するまでは
直義に基盤造りをしておいてもらって、時期が来ればうまくバトンタッチと考えていた

ところが前回までにお話しした数々のゴタゴタがあり
義詮も前倒しで表舞台に立つことになる

性格としては、強い信念を持っているタイプではなく
状況によってうまく合わせていくタイプ
残っているもろもろの文書からは、あまり良い評判があるわけではないが
状況がコロコロ変わるこの時期の「将軍」としては
結果としてその方がうまくいったと言える

その都度、置かれた苦境を打開するため、人の意見に耳を傾けて果断に
悪く言えばなりふりかまわずとにかく行動するタイプのリーダーだった

尊氏が東国で激戦を戦い
京都の留守を任されていた義詮
隙を突かれて南朝に攻められる

その時、義詮が取った作戦は全面降伏

以前直義が南朝と和睦という奇策を行ったことがあるが
その時は北朝側にかなり有利な条件だった
今回はそれどころではないほぼ無条件

いくらなんでも、というその内容に尊氏はビックリし難色を示す

お父さん、何を言っているんですか
無理なものは無理なんですから私に任せてください

強引に尊氏を説得
南朝に拒否されても
また来ましたー、という図々しさで交渉していく

結局、南朝は、約束を守らず、京都に押し寄せ大勝利
義詮は京都を捨てて大津へ退避

ただ、兵を分散させずに済んだ尊氏は
直義に勝利することが出来たし
体勢を整え直した義詮は
大勝利に酔いしれて油断していた南朝から
あっというまに京都を取り返す。

ただ、この間、義詮は大失敗を犯している
三上皇を一緒に連れて退避すべきだったのに
京都に残したまま、自分たちだけ退避

京都は取り返せたものの、三上皇は連れ去られてしまった

次の天皇の践祚式(せんそしき=即位させること)どうするよ
次の天皇を任命する権限のある人もいないし
三種の神器もない

まあ良いんじゃない
大失敗に落ち込んでいる暇がない

この箱に三種の神器が入っているていでね
上皇のお母さんを連れてきて
はい、あなた上皇ってことで

恥も外聞もない

やるしかないじゃないの

尊氏の時は、強力な直義と役割分担出来たし
高師直という凄腕参謀もいた

尊氏が54歳で亡くなった時、義詮は29歳
期せずして強大な権力を手に入れる
尊氏の時のように分散する相手がいるわけじゃない

自分には、尊氏のようなカリスマ性も
直義のような考える力もない

そんなこと分かっとるわ

でも放り出さなかった
立法司法行政全て自分で、考えられないようなスピードでこなす

裁判も直々に即決
大して状況は分かってなくても
はい、こっちの勝ち

やるしかないじゃないの

相変わらず戦況は混沌を極め
得意の京都放棄も何度かしながら

何だかんだ言って
義詮の時に行った数々の事は
次の絶対的権力者、義満への布石になっている

38歳
短くて太い人生が終わる
その時まだ義満は10歳だった

俺って
良く頑張ったんじゃないの

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

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