[織田信長]1 まむし殿の娘、濃姫
[織田信長]2 二人だけの時間では
[織田信長]3 美濃はそなたに差し上げる
[織田信長]4 血戦桶狭間
の続きです
家康
桶狭間の戦いに勝利した信長
桶狭間の戦いで今川勢で唯一勝利したのが徳川家康
他の今川勢が総崩れになったために、人質の身から晴れて解かれ、実力で岡崎城に戻れた
残った今川勢の中で、今川当主となった、今川氏真に対して
義元殿のとむらい合戦をいたしましょうと呼びかけるも、氏真はその気なし
織田信長は、徳川家康の戦いぶりに感服し、和平を申し入れる
今川義元には恩義を感じていたものの、氏真には何の感情もない
この機会に、織田陣営に鞍替えすべきではないか
随分議論が交わされた後、家康自身が判断
清須に赴いて、織徳同盟が交わされる
この後22年に渡って破られなかったのは、戦国時代にあっては珍しい
美濃攻め
報せが舞い込む
斎藤(土岐)義竜病死
妻濃姫の父斎藤道三を殺した相手
あとは義興が継いだ
好機到来
美濃攻めに打って出る
ところが、美濃の斎藤勢が、めっぽう強かった
織田勢は総崩れになり、逃げる
追手に迫られ、信長自身、絶体絶命の危機
そんな時に、斎藤勢の居城、稲葉山城の近くに灯りが近づいて行くのが見えた
まずい。空けている城が取られる、と斎藤勢が引き返した
九死に一生を得た
実は、その灯り
木下藤吉郎秀吉が山のあちこちに、たいまつを灯して回ったものだった
代替わりしたての斎藤勢がなぜあんなに強かったのか
そこには、卓越した軍師、竹中半兵衛がいた
再び攻めるにおいて、同じ方法では勝てない事が分かった
様々な議論が交わされ
敵の領地内に我が軍の攻撃拠点の城を作ろうということになる
墨俣(墨俣)川の敵方の領内に墨俣城を作る。
ただ、墨俣川は雨で増水すると織田側からは渡れなくなり孤立する
超短期間で築城を完成しないと危ない
担当を命じられた佐久間信盛はチャレンジしたものの、早々にギブアップした
築城の件、この藤吉郎にご下命くだされば幸いでございます
秀吉大出世のきっかけとなった語り草、墨俣一夜城である
足軽主に過ぎなかった木下藤吉郎秀吉は、一気に墨俣城の城主となる
準備は整った
本格的に美濃攻めに取り掛かろう
藤吉郎秀吉が情報を入手
竹中半兵衛が忠興と不仲になったらしい
竹中を説いて、わが陣営に取り込みましょう
秀吉は自ら変装して竹中のもとへ
説得を試みるも一蹴
主君を裏切るなどもってのほか
あきらめない秀吉は、二度三度訪れ
とうとう、七度目の訪問で口説き落とした
永禄7(1566)年
本格的な美濃攻め開始
籠城していた斎藤忠興は降伏して城を明け渡す
信長、稲葉山城に入城
斎藤道三死後、5年半にしてようやく美濃攻めに成功した
「お濃、とうとう生まれ故郷に帰ってきたな」
「亡き父も喜んでおりましょう
殿は、これだけでは満足なさらないでしょう
天下をお取りになるまでは」
天下を取る
誰にも言ったことのなかったこの要望
濃姫には感じ取られていた
沢彦(たくげん)和尚を召寄せた
稲葉山城という名、どうも気に入らない
何かいい名前はないか
稲葉山は金華山
稲葉山城は岐阜城と名前を変えた
岐阜
中国、周の時代の岐山にちなんだめでたい名前
天下布武
この頃から、この印鑑を使うようになる