[ことば日本史] 関東は時代とともに変わる

ことば日本史シリーズ
今回から江戸時代に入ります

関東
慶長8(1603)年に徳川幕府が開かれてから、箱根の関所はひじょうに重視されるようになった
「入鉄砲に出女」という言葉があるように、諸大名が鉄砲などの武器を密かに江戸へ持ち込むことと、江戸藩邸の大名の妻子が国許へ逃亡することを監視することが、関所のおもな任務だった。

そのため、江戸につながる主要街道および分岐道には、とくに険しいところをえらんで多数の関所群が配置された。箱根はその代表的な場所である。

以来、箱根から東、関八州をさして「関東」というようになった。

実は関東という語そのものはずっと古い
天平12(740)年に聖武天皇が奈良から伊勢へ行くことを
「続日本紀」で関東へ行くと表現されている

関より東だから関東で、奈良時代は、伊勢国の鈴鹿、美濃国の不破、越前国の愛発(あちら)という三関より東の地方を関東と呼んだ。

平安時代には、三関は実質的な機能を失って
逢坂関(おうさかのせき)が都を守る防衛ラインとなり、
以降は逢坂関より東の広い地域を関東といっていた。

その後、鎌倉幕府が成立すると、
朝廷に対する関東幕府という意味で関東の語が使われるようになるが、
地域名としては漠然と広い範囲をさしていて、
今日のような地域ではなかった。

関東という語が今日と同じ地域をさして使われるようになったのは、
江戸幕府ができてからのことだった。

[言葉]シリーズはこちら(少し下げてね)

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