[天皇]107 後陽成天皇

天皇シリーズ

[天皇]106 正親町。120年ぶりの譲位
[天皇]106-2 正親町天皇。関白と豊臣姓
の続きです

後陽成(ごようぜい)天皇

正親町天皇は、息子の誠仁親王(さねひとしんのう)に譲位すべく何度も働きかけ、秀吉が了承
準備は着々と進められ、いよいよという時
肝心の誠仁親王が病気で急死した

普通なら諦めるところだが、大スポンサー秀吉がついている。
せっかく準備したので、譲位の相手を誠仁親王からその息子、和仁(かずひと)親王にチェンジ
急死からわずか3ヶ月後には、譲位が成立
後陽成天皇が10歳で即位した

同じ月、秀吉は太政大臣となり、豊臣姓を賜って、豊臣秀吉になる
[天皇]106-2 正親町天皇。関白と豊臣姓
でもお話した通り、秀吉は近衛家の猶子(養子のようなもの)になり、
近衞前久の娘前子(さきこ)が秀吉の娘として後陽成天皇の奥さんになる
即ち、秀吉は天皇の外戚になった

これに先立ち、秀吉は、京都内野に聚楽第(じゅらくだい)を築造
以降、秀吉の本城となる
この聚楽第に、後陽成天皇が、大行列を伴い行幸(ぎょうこう)

この時点では
後陽成天皇の弟、智仁(としひと)親王が、息子がいない秀吉に養子に入って次の関白になることが約束されていた

ところが、秀吉に息子、鶴丸が誕生

後陽成天皇から、
どうぞどうぞ、その次の関白は、秀吉さんの息子さんで良いです
ここに、関白職が、摂関家でなく、豊臣家の世襲となる事が決定
歴史的大転換です

ところが、その鶴丸、3歳にして亡くなってしまう
すぐさま、甥の秀次を養子に迎えて、秀次に関白職を譲る
自分は太閤と呼ばれることになる

天皇側からも、秀吉側からも、お互いに利用価値があったので
うまく行ってはいた

後陽成天皇が成長していくに連れて、時代に自我が芽生えていく
秀吉が朝鮮出兵を始め、朝鮮の使節を伴って参内しようとしたとき
後陽成天皇は拒否する
異国人とは対面しない

秀吉は三国国割(さんごくくにわり)構想として、中国まで支配しようとする
後陽成天皇には「大唐都」すなわち北京に行ってもらう構想

この構想に対して、後陽成天皇はやんわりと返答

高麗国への下向、嶮路波濤をしのかれむ事、無勿体候、諸卒をつかハし候ても、事足るべき哉、且朝家のため、且天下のためかへす発足遠慮可然候、勝を千里に決して、此度の事おもひとまり給候ハゝ、別而悦おほしめし候へく候、猶勅使申候へく候、あなかしく

内容は、
高麗国(朝鮮)への下向は、嶮路波濤を凌がねばならず、勿体ないことである、諸卒を遣わしても事足りるのではないか、朝廷のためにも天下のためにも高麗への発足を思い止まるのがよかろう、勝を千里に決して、このたびのことを思い止まれれば、別して悦ばしく思う、なお勅使が申すであろう

このあとの続きはシリーズの次回

[天皇]シリーズはこちら(少し下げてね)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です