[徳川名参謀]14 家茂→井伊直弼、なんでそうなるのか

徳川名参謀シリーズ、今回はあの、井伊直弼です。
井伊直弼が名参謀と言えるのか、という疑問はありますが
いずれにしても超大物ですね

私の中では、この人
あまりにも不思議なので
気になって仕方ない

日本の歴史の中でも例を見ないんじゃないかな
外国では、独裁者が自分と考えが違う人を大量虐殺したという例がそこそこあるけれど
日本では安政の大獄ぐらいしか思い浮かばない。
知らないだけ?
いやいや、戦争とか内戦とかありますよね
と言われればそうなんですけど。

人を殺して自分の地位を守ろうなんて
最低の行為には違いない。
どんな理由があろうと許されるべきものではない。

それを踏まえつつも、この人について知りたい。
なぜ
なぜ

一回では無理なので何回かに分けます。
今日は条約締結まで

大老
井伊直弼は、彦根藩です。
譜代大名の中でもかなり特別な家柄。
今、大河ドラマでやってますね

大老になれるのは、井伊家、酒井家、堀田家、土井家、の4家のみ
老中が大臣なら、大老は内閣総理大臣。
ただ、跡継ぎがなくて土井家が離脱
堀田家も堀田正俊が江戸城内で殺害され離脱
井伊家と酒井家しか残らなかった。

藩主へ
井伊直弼は、ものすごく幸運に恵まれた。

名門中の名門、彦根藩、井伊家の藩主の息子として産まれたのは産まれたんだけど
長男じゃなくてずっと下
長男じゃなければ養子に出るので
次男、三男と次々養子先が決まっていった。
ところが直弼だけはいつまでたっても養子先が決まらない
言わば売れ残り

でも
なんと、親より先に長男が亡くなっちゃった
えらいこっちゃ
いや
一人残ってますけど。

調印
ペリー来航でてんやわんやになって
日米和親条約を条約を結んじゃった。
でもこれは入り口で
仲良くしましょう条約。
具体的なものはほとんど何もなく、大したもんじゃない。

問題はその次の日米修好通商条約
貿易しましょう条約
ほんとの開国。
これは何とか阻止したい。

下手すりゃ植民地。

とはいえ拒否できる状況にない
下手すりゃ戦争。
戦争になって勝ち目が有るわけがない。
幕府内のみんなは分かっているんだけど
世間は攘夷論の嵐。

そんなさなかに、井伊直弼は大老になる。
大老になれる家柄だという事は大きくものをいった。
派閥争いの話は前回したけど
井伊直弼の南紀派は勝ったわけです。

阿部正弘老中急死のあと
引き続いて頑張ってたのが堀田正睦(ほったまさよし)

諸藩に意見を聞いたら
条約締結もやむなし
ただし、朝廷に許しを得てからにしてねと。

攘夷派は、一旦は折れるけど
朝廷を後で丸め込めば良いと思っているわけです。
朝廷のお許しを、勅許(ちょっきょ)と言います。

朝廷って、とても少ない石高しか貰っておらず
ずっと超貧乏
ところが激変する。

両方の派閥がお土産を持って日参する
裏金です。
現代に換算すると、何十億という現金
表向きは、外人やっつけろを常に良いながらも
裏では両方に良い顔をする

さあ、どないしまひょ
のらりくらり
大金を得て、急に力を持っていく。

堀田正睦の工作は効を奏さなかった

そんなこと言っていると本当に戦争になっちゃいますよ
の一言が
肝心の天皇に効かなかった。

その時は戦争しようとキッパリと言われてしまう。

すごすごと江戸に帰ります

ハリス
ペリーの後を受け、日本との交渉を一手に担当したのはハリス。
ものすごくやる気のある人で
私にやらせてくださいと、立候補しています

1年3ヵ月以上も下田に陣取って、粘り強く
あらゆる手段を講じて交渉していく。

日本側で実質的に交渉に当たったのは、
下田奉行の井上清直とその部下、岩瀬忠震
特にリーダーシップをとったのは岩瀬だった。

後にハリスは、二人としか交渉していないとまで言っている。

江戸で行われた会議で
堀田はもう何も言えない。
頼みの大老井伊直弼は
緊迫感なく
交渉を延期してもらえの一点張り

仕方なく、堀田はハリスのもとに向かう。
なぜ延期なのかの鋭い突っ込みに
勅許を得られなかったことをあかした。

ハリスに決定的な言葉を言われてしまう。

「条約に調印するのは政府の権限である。
それができないとあらば幕府は政権ではない。
朝廷を相手に談判しなければならなくなる。
今後、諸外国はすべて京都に行くことになりますぞ」

堀田ギブアップ
申し訳ないんだけど
後は井上と岩瀬で頼むね。

さらに世界が動く。
英仏連合軍が中国に圧勝した、第二次アヘン戦争(アロー戦争)
この情報は、日本に衝撃をもたらす。

中国と言えば、
太古の昔から、日本の一歩も二歩も先を行く
先生であり、お兄さん
日本にとって、世界と言えば、中国のことだった。

その中国が負ける
本当に本当?

ハリスはこの情報を自分に有利に使い、井上と岩瀬に突きつける

英仏連合軍が、勢いをかって
30~40隻の船団で
日本に向かってくる
今のうちにわがアメリカと条約を結んで
牽制する必要がある

30~40隻の船団で
日本に向かってくる
という情報をハリスがつかんでいたかは
かなり疑わしいんだけど
言っていることには一理ある

日本だけだと一捻りだけど
バックにアメリカが付いているとなると
攻め入るのも躊躇するだろう

井上と岩瀬は大急ぎで江戸へ

ここへ来て井伊直弼も
ひょっとすると本当にまずい状況かもしれない

6/19 江戸城内で緊急会議
井伊直弼の原案は
勅許ない間は調印せず
しかし、賛成したのはひとりだけ
体勢は、勅許なくも調印やむなし
堀田はうつむいたまま意見を言わない。

日本人の会議特有の
結論が出たんだか出ないんだかのまま
別室で待機している井上と岩瀬が呼ばれる

井伊直弼は、弱気になっていた。
勅許が出るまで引き伸ばせ
でも、井上が一言
是非に及ばぬ場合には調印して構いませぬか

その節は致し方ないが、できるだけ努力せよ。

井上と岩瀬はニヤリ。
決まったな。

ちょっと一言多い岩瀬
そのような御了見ではとてもダメです
ぜひとも引き伸ばせと申し付けていただかねば
と捨て台詞

二人は大急ぎでハリスのもとへ
安政5年6/19日米修好通商条約調印。
そうです。その日のうちです。
米艦ポーハタンの艦上に日の丸と星条旗が掲げられ
21発の礼砲が響き渡った。

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