[縄文]7 山の幸

[縄文] 縄文人は生きている
[縄文]2 ムラづくり
[縄文]3 森をひらきイエをつくる
[縄文]4 ムラができる
[縄文]5 道具づくり
[縄文]6 石器・骨角器づくり
の続きです

東久留米第七小学校の6年生が卒業記念に造った版画集を元に出来上がった「縄文人は生きている」という本からの引用です

21ヤマイモを掘る

縄文人が主食としたのは、植物性の食料であった。
そのうちのナッツ類は表面が堅い皮でおおわれているので、
縄文時代の遺跡から発見されることも多いが、
ヤマイモやクズなどの植物の根は腐りやすいため、
今のところ発見されていない。
しかし、ヤマイモなどが縄文人の大切な食料となったことはたしかである。
ヤマイモは二次林のまわりの日当りのいいところにはえる。
食用となるその根は、地中深くのびていて
しかも、ひじょうにもろい。
そのために大きく深い穴をあけなければ、
うまく掘りだすことが出来ない。
このヤマイモ掘りには、打製石斧とよばれる土掘り具や、
先のとがった棒がつかわれた。

「ヤマイモは葉がおちて、茎がかれたころに掘るのが一番いいんだ。黄色い葉があるときに見つけておいたんだよ。サア!がんばって上手に掘ろう」
新山ムラの人びとも土掘り具をたくさんつくった。

22木の実を集める

秋にみのりをつける木の実の採取は、
主に女や子どもたちの仕事であった。
集められた小さな実は、土器や篭の中に入れられてムラに持ち帰られ、みんなに公平に分けられた。
「もっと集めないと、一冬足りないよ」
「明日はあっちの林にいきましょうね」

23草をぬいて食べる

ツクシ・タンポポ・ツユクサなどのふだんみかける野草で、食べられるものはたくさんある。
もちろんハシリドコロやトリカブトなどの毒草もあるが、
アクぬきさえすれば食べられる草のほうがはるかに多い。

野草をもっともおいしく食べられるのは、
新芽がでてくる春である。
新山ムラの人びとも、春のおとずれとともにはじまる春菜つみに、
先をあらそってでかけたにちがいない。

24ノブドウをとる順を話しあう

縄文人がノブドウを食べたことは、遺跡からノブドウの種が発見されていることでたしかめられている。ノブドウは初秋のころが食べごろだが、
実は小粒で、熟してもすっぱい。
ノブドウからお酒がつくられ、夕食をにぎわしたこともあったにちがいない。

「あっ! ノブドウだ」
紫色に熟したノブドウの実を見つけた子どもの大声に、みんながそこに集ってきた。
「とっちゃだめだよ、おれが見つけたんだ」
「いじわるするなよ」

ケンケンガクガクの子どもたちのいい争いをきいて、かけつけた父さんがみんなを叱ってからいった。
「自然のものはみんなで大事にして、仲良くわけあって食べるんだ」
順番に一人づつノブドウの房を与えられた子どもたちは、先を争って口のなかを赤く染めた。

[河村瑞賢]3 ものを売ろうとするからだめなんだ

[河村瑞賢]1 江戸へ
[河村瑞賢]2 おこうこはいらんかね
の続きです

漬物屋で成功したものの、すぐに真似られてしまう
しかも少し安く売られるのでお客様はそちらに吸い寄せられる

一緒に手伝ってくれている寅吉が
兄貴、どうしやす? と尋ねてきた
漬物のことはお前に任せた。
質も値段も落とさず、作る量を減らして売れ残らないようにしろ

兄貴はどうするんです?
近頃、町中でみんなが欲しがっているものは何だ?
仲間で話し合う
色んな答えが出た中に
壁の下地に使う泥が足りない、と言っている人足頭がいましたよ
壁下地の泥か
泥なら海にあるけど、塩を含んで粘り気が足りない
海の泥に藁屑を混ぜてみたらどうだろう
藁が手に入るところ・・

そうだ。寺や神社などで、月に一度くらい、古草鞋を集めて燃やしているよ
燃えやすいものは集めて寺などで定期的に燃やしている
それだ!

全く元手がかからず、労力だけという考えられない商いを、
またしても七兵衛は生み出した

それでもまた真似られてしまう

ものを売ろうとするからだめなんだ
漬物売りや壁土から発展し
何かを売りたい商人に売り子をまとめて貸したり、壁土を加工する職人を養成し、現場に派遣する商売に変わっていった

かつての人材紹介業、すなわち口入屋であった
通常の口入屋は単に人手を提供するに過ぎない
技術を持った人材を派遣すれば良いんだ
養成してから人材を提供した
壁土なら、漆喰師の超ベテランで既に引退した老人に
若いものに押し込んでもらって、技術を持った人材と商品をセットで売っていく

真似されてうまみが少なくなった商売は、惜しげもなく後進の仲間に譲り渡した
自分は少しずつ商売を変えながら
中心は口入屋と材木の商売になっていった

運命の日
材木の商売を始めてから13年が経過した
商売もそれなりの規模になり安定
七兵衛(後の河村瑞賢)は世帯も持ち
40歳になっていた

運命の日が来る
明暦3(1657)年
江戸中が火の海に包まれた明暦の大火です

私は、河村瑞賢って、この本を読むまで
商売で成功した人なんだと思っていた
確かにここまではそうだったんだと思う
でも、この明暦の大火をきっかけとして
河村瑞賢の人生は大きく変わるし
おそらく考え方も変わっていったように思える

この続きはシリーズの次回

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[神社] 御霊信仰

神様シリーズです

御霊信仰

早良親王(さわらしんのう)
古代の人々は、干ばつや地震などの天変地異が起こったり、
疫病が大流行したりすると、
非業の死を遂げた人が怨霊となって祟りをなしているのだ
と考えました。

怨霊を鎮めるために、祭礼が行われたり、その怨霊を祀る神社が建てられたりしました。
こうやって神様として扱われるようになった怨霊のことを、
御霊(ごりょう)と呼びます。

最初の御霊は、8世紀後半の早良親王(さわらしんのう)だとされます
彼は、平安京を都としたことで知られる桓武天皇の弟で、
皇太子でした。
しかし、朝廷の有力者である藤原種継が暗殺された際(785年)、
これにかかわったとして、淡路島へ向けて流され、
到着する前に亡くなります。
遺体はそのまま淡路島に送られ、葬られました。
そののち、桓武天皇と早良親王の生母である高野新笠(たかのにいがさ)が病死し、
都には疫病が流行ります。
これらは早良親王の祟りとされました。

桓武天皇は早良親王の遺骨を奈良に改葬し、
さらには、「崇道天皇(すどうてんのう)」という称号を贈ります。
また、鎮霊のために、京都に上御霊神社を建てて、早良親王を祭神としたのです。

日本三大怨霊
ほかにも、御霊とされた歴史上の人物は大勢います。
有名なのは、10世紀、朝廷に対する反乱を起こして敗死した平将門と、
12世紀、武士の平氏と源氏を巻き込んだ朝廷の争い保元の乱で敗れ、
讃岐国(香川県)に流された崇徳(すとく)天皇でしょう。
ふたりとも死後、怨霊となって疫病を流行させたと考えられました。
彼らと、今は学問の神様とされている菅原道真とを合わせて、日本三大怨霊といった呼び方をすることもあります。

現在、平将門は東京の神田明神(かんだみょうじん)など、
崇徳上皇は京都の白峯神宮(しらみねじんぐう)などに祀られています。

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[首相]56 小泉純一郎

出ましたっ、小泉さん
自民党をぶっ潰す!

小泉純一郎

加藤の乱
森総理の支持率が危機的状況
誰もが「やめてもらうしかない」と思った時、
加藤紘一が動いた
野党が提出した内閣不信任決議案に賛成する動き
もし、加藤派と山崎拓のグループが自民党を割って出ると、自民党は過半数を失う

困ったのが小泉純一郎
元々、YKKトリオと言って仲良し
ところが、小泉純一郎は森派
結局、加藤紘一の動きを止める方向で動く

そんなこんなで、自民党内は大荒れ
森総理の誕生が密室で決められた印象だったので
開かれた総裁選が求められた

総裁選
ここまで、2回総裁選には出馬しているが、いずれも負けている
森派だし

迷いに迷っていると
田中真紀子が猛プッシュをかけてきた
立つの立たないの

女性に立たないの? と言われては、立たないとは言えない
下ネタまがいのコメントを出し、森派を離れた

そうなると、派閥の応援は受けられない
イチかバチかの賭けに出た
派閥を無くす、という主張
「自民党をぶっ潰す」
これが国民にウケた

人気者の田中真紀子が全面的に応援
全国を二人で回り、遊説先の演説では黒山の人だかり

一方の橋本龍太郎、亀井静香、麻生太郎らは
派閥内をまとめきれなかった

決選投票で、亀井静香が小泉支持に回り
3度めにして悲願の総理となった

組閣
以降、異例づくしのいろんな事をやっていくが
まずは組閣
完璧に派閥の論理を無視
田中真紀子の外務相を始めとし
通常、党三役と相談しながら行う人選は
完全に自分一人でやりあげた

小泉内閣発足直後の世論調査では80%というかつてない高い内閣支持率を記録した

続きは次回

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