江戸東京博物館リニューアルオープン

江戸東京博物館
博物館界の王者だと思われますが
4年間も休館し、リニューアル工事をしていた

2014年にも半年間休館したことがあったんだけど
その時は電気設備とかをリニューアルしたのがメイン
その後行ってみると、展示内容としてはそれほど変わっていなかった

今度はさすがに4年も休んでいたので
展示内容もそれなりに変わったのではあるまいか

2026/3/31
リニューアルオープン!

4/2 さあ行くぞ!
何だかだで、家を出るのがお昼になってしまったので大急ぎ

このあと、変わったところを中心に写真を撮ってきたので紹介しますね
江戸東京博物館
チケット売り場
大々的に変わった
大屋根の下のだだっ広いところにあったチケット売り場がなくなってしまい、1階スペースにドドーン
木がうまくデザインされ、お洒落ーっ

エレベーターで6階へ
日本橋の実物大再現は今まで通り
日本橋の向かい側に映像が映し出されるようになった

おおっ。ネットで予め改修箇所として知ってはいたが、すごーい

東京ゾーンの目玉。銀座のシンボルが、前は朝野新聞社だったんだけど、服部時計店に変わった
塔がほぼ天井に付くくらいだから大迫力

日本橋の向こうは前はすぐ見えたけど、白い暖簾がいくつもかかって、くぐらなければ展示の場所に行けなくなった

日本橋からの町並みのジオラマは前の通り
その横にいくつも甲冑と兜
外人さんに受けるんだろなあ

江戸の街並みの説明のところは、屏風絵が置かれたりして若干変わっている

将軍の説明や幕府の組織、鎖国の話とかは従来通り

江戸城の天守閣本丸のジオラマが加わった


前は説明はあったものの、ジオラマでなく平面だった気がする

逆になくなったのが松の廊下等の大広間のジオラマ

驚いたのが本石町の時の鐘

6階の奥のスペースって特に何も無かった気がするんだけど、そこにどどどーん
これはインパクト強いなあ

ここまでが6階スペース
ここまででの感想を言うと
いやあ、はるかに想像以上
よくここまで思い切った
あっぱれあっぱれ

さあ、さらに期待を込めて、5階へ

この続きは次回ね

[お出かけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

IT業界を卒業

とうとうIT業界での仕事が終了しました。
派遣なので案件がなければ仕事は続かない。
今の現場に幸いにして4年間も居させてもらった
年齢が65歳なので、その次がもうないことは随分前から分かっていた
その4年の案件もとうとう終わってしまった

次の仕事のために、資格が欲しいと
社労士にも挑戦。
2年頑張ったが合格できず断念

旅行業界ではどうかと、旅行業務取扱管理を受けてこちらは合格
本当はガイドをやりたかったけど、
必須の英語は英検3級TOEIC355点で、仕事に使えるレベルには至らなかった

添乗員の会社にはようやく一つ採用されて、今、添乗員
今まではIT業界とのダブルワークなので、むちゃくちゃキツかった

IT業界側がゼロになる
収入は激減
年金は6月から開始

添乗員やらせてもらえるようになっていて本当に良かった
全くゼロよりはよっぽど良い
今まで、1年2ヶ月で56回アサインされたから
月平均で4回程度
これと年金だけで食っていくにはかなり厳しい
2年目なので1年目よりは多くアサインされる事を期待

仕事がないという事
私は波瀾万丈の人生
会社を起こして潰したりもしたから、色々大変だった
でも
仕事がなくて家で暇しているという時期はただの一度も無かった
新しくて不思議な感覚

振り返ってほんとに良く頑張ったなあ、と感慨深い

「老後の人生」ということなんだろうか

昨日も添乗だったんだけど、
楽しくて仕方がない
みんなに「楽しかった」「ありがとう」と言ってもらえる
只で旅行に行けて、さらにお金までもらえる
ああ幸せ
こんな良い老後の人生は無いと思う

ただ、月の半分以上がお休みって経験が無いから
なんとも気持ちの座りが悪い
根っから貧乏性
仕事していないのが辛い辛い
「仕事」って人間にとってどういう意味を持っているんだろうと思う

4月、経験したことのない1ヶ月をやってみる
今のところ4月の添乗アサインは1つしか入っていない
添乗の無い日をどう過ごすか、色々考え、トライしてみようと思う

[仕事]シリーズはこちら(少し下げてね)

[天皇]110 後光明天皇

天皇シリーズ

後光明(ごこうみょう)天皇

女性天皇、明正天皇は最初から中継ぎと考えられていて
早く、弟に譲位せよ、とプレッシャー

幕府としては、明正天皇への譲位は後水尾天皇に勝手にされてしまったものだったから、今度は「若宮」が11歳になると、幕府が主導権をとっての譲位

仙洞付武家と禁裏付武家という
朝廷を監視する組織を新たに追加

天皇に関しては何かとがんじがらめだったので
逃れるために歴代天皇は譲位して自由に院政を引きたがった
幕府としては、明正天皇を自由にさせないため
院にも監視組織を追加した

新たに天皇となったのは後光明(ごこうみょう)
院政は前天皇の明正ではなく、お父さんの後水尾

後光明天皇は、和学より漢学、和歌より漢詩を好んだ
お父さんの後水尾が和学や和歌を好んだので
独自性を発揮したかったのかもしれない

政務に関しては20歳になってようやく、後水尾からもろもろ許されるようになり
かなり意欲的に取り組んだ

さあこれから後光明時代の到来!!

のはずだった

ところが、承応3年(1653)22歳の若さで痘瘡を患い急死した

お父さんの後水尾はこの急死に大きな衝撃を受けた
出家して法皇となり、ようやくあとは任せられると思っていた
この世にもう関心を寄せるものがないと手紙に書いているので
よほどショックだったのだろう

後光明天皇から変わったことがある
遺体の葬り方

持統天皇以来、天皇は全て、仏教式葬儀の導入とともに火葬された
しかし、後光明は土葬される
荼毘(だび)式(火葬式)も行われたので表向きには火葬だが
実際には土葬
後光明は強く儒学に傾倒していたので
儒葬は土葬なので、その影響だと思われる

後光明以降、全ての天皇は土葬されることになる
葬儀は仏教式で真言宗泉涌寺において執行され、
火葬式も行われたが、
実際は泉涌寺の裏手、月輪陵の九輪塔の下に土葬された。

[天皇]シリーズはこちら(少し下げてね)

[縄文]7 山の幸

[縄文] 縄文人は生きている
[縄文]2 ムラづくり
[縄文]3 森をひらきイエをつくる
[縄文]4 ムラができる
[縄文]5 道具づくり
[縄文]6 石器・骨角器づくり
の続きです

東久留米第七小学校の6年生が卒業記念に造った版画集を元に出来上がった「縄文人は生きている」という本からの引用です

21ヤマイモを掘る

縄文人が主食としたのは、植物性の食料であった。
そのうちのナッツ類は表面が堅い皮でおおわれているので、
縄文時代の遺跡から発見されることも多いが、
ヤマイモやクズなどの植物の根は腐りやすいため、
今のところ発見されていない。
しかし、ヤマイモなどが縄文人の大切な食料となったことはたしかである。
ヤマイモは二次林のまわりの日当りのいいところにはえる。
食用となるその根は、地中深くのびていて
しかも、ひじょうにもろい。
そのために大きく深い穴をあけなければ、
うまく掘りだすことが出来ない。
このヤマイモ掘りには、打製石斧とよばれる土掘り具や、
先のとがった棒がつかわれた。

「ヤマイモは葉がおちて、茎がかれたころに掘るのが一番いいんだ。黄色い葉があるときに見つけておいたんだよ。サア!がんばって上手に掘ろう」
新山ムラの人びとも土掘り具をたくさんつくった。

22木の実を集める

秋にみのりをつける木の実の採取は、
主に女や子どもたちの仕事であった。
集められた小さな実は、土器や篭の中に入れられてムラに持ち帰られ、みんなに公平に分けられた。
「もっと集めないと、一冬足りないよ」
「明日はあっちの林にいきましょうね」

23草をぬいて食べる

ツクシ・タンポポ・ツユクサなどのふだんみかける野草で、食べられるものはたくさんある。
もちろんハシリドコロやトリカブトなどの毒草もあるが、
アクぬきさえすれば食べられる草のほうがはるかに多い。

野草をもっともおいしく食べられるのは、
新芽がでてくる春である。
新山ムラの人びとも、春のおとずれとともにはじまる春菜つみに、
先をあらそってでかけたにちがいない。

24ノブドウをとる順を話しあう

縄文人がノブドウを食べたことは、遺跡からノブドウの種が発見されていることでたしかめられている。ノブドウは初秋のころが食べごろだが、
実は小粒で、熟してもすっぱい。
ノブドウからお酒がつくられ、夕食をにぎわしたこともあったにちがいない。

「あっ! ノブドウだ」
紫色に熟したノブドウの実を見つけた子どもの大声に、みんながそこに集ってきた。
「とっちゃだめだよ、おれが見つけたんだ」
「いじわるするなよ」

ケンケンガクガクの子どもたちのいい争いをきいて、かけつけた父さんがみんなを叱ってからいった。
「自然のものはみんなで大事にして、仲良くわけあって食べるんだ」
順番に一人づつノブドウの房を与えられた子どもたちは、先を争って口のなかを赤く染めた。