中央区巡り

前回、掘割巡りをしたとき、
中央区郷土資料館で、文化財マップを手に入れた
そこから、GoogleMapに「行ってみたい」マークを結構多くつけた

今日は週末
添乗も12月から2月まで、閑散期で、全くと言っていいほど仕事がない
よし、ウォーキングだ

観光案内センター

京橋駅に直結している中央区観光センターというところに行くと、
中央区の詳しいガイドブックが買えるというところまで前回分かったので行きましょう

中央区検定なるものがあり、そのテキストにもなっているらしい
当分、中央区歩きには困らない

江戸ほうき展示館
中央区にまちかど展示館という企画がある

伝統工芸を扱う店舗などにも協力してもらって、中央区内にちょっとした展示館を29箇所配置
まちかど展示館
その中の江戸ほうき展示館に行ってみた

https://www.chuoku-machikadotenjikan.jp/tenjikan/
白木屋傳兵衛。おそらくここで作って売っているんだと思う

行くと、先客の若い女性
とても真剣に、説明を聞きながら、実際に掃いてみながらどれを買うか迷っている様子
値段が聞こえてくると、あららそんなに高いものだったんだ
思えば、確かに母さんは毎日使っていたけど、同じものをずっと使い続けていた気がする
毎日使って一生使えるなら、高くても納得

いつまで経っても女性は真剣そのもので終わりそうにない
お店の人もつきっきりで事細かく説明
私なんかが、まちかど展示館の一つだからと寄ったのとは訳が違う
出る幕ないなと退散した

宝くじドリーム館


私は宝くじに当たった事がない
なぜなら、せっかく宝くじを買っても、当選番号の日までに、宝くじを買った事自体を覚えておられず、当選番号と照合したことが一度もないから。
そんな宝くじに対して不真面目な私が訪れて良いものやら

良かった良かった、宝くじの歴史も説明してくれている
宝くじの前身の富くじにはとても興味がある

江戸時代
大人気を博した富くじ
お寺が修繕費を調達するために発行
ただ、松平定信の天保の改革の時に禁止になった
それ以来103年にも渡って発行されなかった

復活したのは昭和20年。太平洋戦争の戦時中です

「宝くじ」の始まりは同じく昭和20年

当選番号を決めるグルグル回るやつ
穴がいっぱい開いて、これで高額当選した人がいるのかと感慨ひとしお

当選金額の歴史
すごい増えていったんだね

1億円を持ってみましょう
ヒエー、重たぁ

面白かったのが、高額当選者に渡される小冊子が展示されていたこと

当選おめでとうございます
私じゃないのに、思わずありがとうございます、と言っちゃいました

弾正橋跡


与力・同心屋敷跡
江戸時代の警察組織の与力と同心は、よく時代劇で八丁堀の旦那と言われているように、多くが八丁堀に住んだ

それにしても、100万人も住んでいた江戸の治安をたった与力50人、同心280人で維持していたというのが本当に驚きです。

ウォーキングはまだ続きます
続きは明日以降

[お出かけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

[縄文]6 石器・骨角器づくり

[縄文] 縄文人は生きている
[縄文]2 ムラづくり
[縄文]3 森をひらきイエをつくる
[縄文]4 ムラができる
[縄文]5 道具づくり
の続きです

東久留米第七小学校の6年生が卒業記念に造った版画集を元に出来上がった「縄文人は生きている」という本からの引用です

17.石器をつくる

石器には、大きくわけて、
自然にある石をそのまま利用したもの、
打ち欠いてつくったもの、
研磨してつくったものの三種類がある。

石のもつそれぞれの性質を利用して、
割れ口がガラスのように鋭いものは刃物に、
表面がざらざらとしたものは磨石や石臼にというに、
そのつかいみちに適した石を選んで石器をつくった。
石を割り、それを加工する技術は、みんな「職人並」だ。

18.鹿の角でつり針をつくる

つり針は鹿の角でつくられたものが多い。
鹿の角はにかわ質を含み、弾力に富んで丈夫だからだ。

つり針をつくるにはまず材料の角(つの)にたての切りこみをいれ、
そこから石斧などで打ち割って角の髄をとり、
板のように削りこむ。
つぎに、つくろうとするつり針のおおまかな形をきめ、
石器で削りながら基本の形に整えていく。
そして、最後に砥石で全体を研磨し、
針先を鋭くとぎあげ、さらにかえし鉤(かぎ)をつけて完成である。
それは根気のいる仕事だ

削ったり、磨いたりするときに、水をかけながらおこなうと、
ひじょうに早く作業ができる。

19.柄をつける

道具は刃物の部分と、てこの役目をする部分とを組み合わせると、
より大きな力をだすことができる。石斧につけた「柄」もそうだ。
これを組み合わせ道具という。
福井県鳥浜貝塚からは、石斧につけられたままの、木でできた柄がたくさん発見されている。
いずれもソケット式とよばれる差し込み式のもので、
木の枝のまたの部分を利用して、石斧をとりつけるソケットをつくっている。
長さは柄が約50センチ、ソケットは約25センチである。
この他にも、木に切れこみをいれて、そこに石斧をはさみ、
ひもや縄で結ぶなどの方法がとられたことが考えられる

20.弓矢の発明

石器時代人がつくった組み合わせ道具で、
もっとも発達したもののひとつが弓矢である。
弓矢は弦の反発力を利用し、
大きなエネルギーを生みだした、はじめての飛び道具であった。

縄文人がつくった弓は、全長が70〜140センチの丸木弓であった

矢の先につける矢尻 (石鏃(せきぞく))を作るために、
遠く長野県などから黒曜石をわざわざ取りよせていた。

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

[河村瑞賢]2 おこうこはいらんかね

[河村瑞賢]1 江戸へ
の続きです

旅立ち?
江戸の口入屋で一生懸命頑張って、信頼も勝ち取ってこれからという時に、主人が亡くなり職を失う
次に進むべき道が定まらず、蓄えも尽きて、その日の稼ぎのため、車力となる
精神的にも追い込まれていく
そんな時、大阪で、23歳で後家になった女性が、こぼれ米を拾うところから、苦労して商売を広げ
屈指の両替商になったという話を聞いた

よし、大阪に行こう

身支度を整え、大阪に向かう

1日目、平塚に泊まり、翌日、酒匂川にさしかかる
川を渡ろうとして中ほどで躓いてしまい、激痛が走る
親指の爪が剥がれてしまっていた
手拭いを親指に巻くがとても歩けたものではない
旅の始めに幸先が悪いこと

途方に暮れていると、老人が通りかかった

どうした

膏薬を塗ってくれた
傷が癒えるまで、小田原に逗留するがいい

ありがとうございます

しばらく休んだあと、立ち上がろうとすると紙入れが落ちている
持ち上げるとずしりと重い
さっきのお年寄りが落としたものか

探し回ったが見つからない
そうこうしているうちに、男に絡まれる
すったもんだしているうちに、紙入れが落ちる
俺の紙入れを盗みやがったな

これは、先程拾ったもので。。

大騒ぎになって人だかり
そこに、先程の老人が来て、紙入れの主が証明される

そんな縁で、老人と懇意になる

君は万人に一人の骨相をしている。きっと天下を驚かすようなことをする
どこへ行くんだい

大阪です

大阪かぁ

いけませんか

大阪でもそこそこは成功するだろうがな
江戸で事を成すべきだ。
骨相にそう書いてある
己一個の欲心を捨て、万民に尽くす気持ちを持てば、
天地の雲気がすべて味方し、将軍でさえ感謝する仕事ができる

老人とは別れたが、言葉が胸に突き刺さる
思えば、旅の始めに怪我をしたのも、江戸に戻れという天の啓示かもしれない

再びの江戸
江戸に戻る
とはいえ、元々行き詰まったから大阪に行こうとした
どうにも居場所がない

いっそのこと身を投げるか
ぼんやりと川を眺めていると
目黒川の上流から何かが流れてきていることに気がついた

茄子やきゅうり
ちょうど七月の盂蘭盆(うらぼん)の時で、精霊棚に飾られていたのが捨てられて流れてきていた

腹減った
拾って食べてみたら
あまりの塩辛さに吐き出す
海に浸かっていたため塩味が染み込んでいた

待てよ
このままじゃ売れないけど、漬物にしてみたら

なけなしの金で桶を買い
漬物にしてみた

こいつはいける
直感がそう告げた

浜にいた物乞いたちに、流れている野菜を集めてくるよう頼む
たちまちかなりの量の漬物が出来上がった

どこで売ろう
宿とかでは、今でも誰かが取引している
今まで漬物を売っていないところ

そうだ!普請の現場だ
疲れ切っている彼らは、休み時間に漬物屋まで買いに行ったりしない
日々の仕事で塩気を欲している

漬物を小分けにして、笹の葉でくるんだ
おこうこはいらんかね。紀州のおこうこはいらんかね
試し食いとして、ただで一切れを与えたので
みんな安心して買っていった
小分けにしたのも当たった
漬物屋はある程度まとまった量でしか売らない

そうか。
商いとは人のしないことをし、人の望む物を望む形で供することなのだ
ただ瓜や茄子を集めて売るだけでは、人は金を払わない。
そこに何らかの値打ちを付けるから金を払うのだ

野菜を集めてくれた物乞いの少年の寅吉と
ひたすら漬物を作った

盂蘭盆が過ぎるともう野菜は流れてこなかったが
売り上げた金でまた仕入れる事が出来た
七兵衛の紀州漬けは人足たちの間で広まっていった

続きはシリーズの次回ね
[人物]シリーズはこちら(少し下げてね)

[神社] オシラサマ

オシラサマ

昔あるところに、父と娘が、一頭の馬と暮らしていました。
娘は馬を好きになり、毎夜、厩に行って寝て、とうとう夫婦になりました。

これを知った父は、馬を連れ出し、桑の木につり下げて殺してしまいます。
娘は、死んだ馬の首にすがって嘆きました。

父が腹を立て、斧で馬の首を切り落としたところ、
娘はその首に乗って天に飛び去りました。
こうして、馬と娘はオシラサマという神様になったのです。

東北地方で広く信仰されるオシラサマは、
高さ30センチほどの一対の人形(馬と女性)として、神棚にも祀られます。

着物
オシラサマは着物の着せ方によって「包頭型」と「貫頭型」に分けられます。
着物をおせんたくと呼んだりもします
「包頭型」の例

オシラサマの着物は1年に1度、もしくは1代に1枚、新しくしますが、交換するのではなく、
上から新しい布を被せたり、縫い付けていくため、古いオシラサマほどボリュームが出ます。

オシラサマに着せる布は、オシラサマの好む赤や花柄を選ぶように伝えられた家が多く、
上棟式等で使用された赤い布を大切に取っておいて使っているという家も。
ただし、「赤」は色と言うよりも「よそいきの」「キレイな」というニュアンスで使われることがあったようで、
「赤い布」は必ずしも「真っ赤な無地の布」ではなく
「普段使いのものではないキレイな布」という解釈で伝承されている家もあるようです。

分布
オシラサマの由来の物語は、民俗学者柳田國男の名著「遠野物語」でも紹介されており、
遠野がオシラサマ発祥の地であると思われるようになりました。

実際には遠野以外にも広く岩手県内にはオシラサマが存在しており、
年号が記載された貴重なオシラサマの中で、
県内で最も古いのは、種市町(現洋野町)の真下家にあるオシラサマで大永5年(1525年)のものとされています。

全国的に見ると、秋田や山形の一部で岩手とほぼ同様の性格のオシラサマが存在するほか、
群馬県はじめ関東地方にも「オシラサマ」という呼称の民間信仰があるようですが、
その姿は蚕の神様を描いた「掛け軸」であり、全く別物であるとされます。
この群馬の「オシラサマ」は「蚕の神」でしかなく、
あくまでも養蚕農家が祀るものである一方、
岩手の場合、オシラサマは「目の神様」とされる地域が多く(海や船、家などその他の神である場合も)所有する家は養蚕農家とは限りません。
そのため、当初は「目の神様」であった岩手のオシラサマが、
ある時期に関東地方のオシラサマの影響を受け、「養蚕の神」という一面も付け加えられてしまったのでは、
という説もあるようです。

[神様]シリーズはこちら(少し下げてね)