首相シリーズもこのあたりになってくると、つい最近感があります
森喜朗(よしろう)

早稲田大学ではラグビー選手。
日本ラグビーフットボール協会会長を務めた。
早稲田大学へはラグビーでの推薦入学だったが、病気を患って退部したため、大学も辞めるべきかと迷ったが、その後、雄弁会という道を見つける
演説は得意感があるあまり、話が脱線しやすい。
問題発言も調子に乗りすぎて出たのだろうか。
小測総理の突然の入院・退陣を受けて、森喜朗が自民党総裁に選ばれ、総理となる。
しかし、後継者選びが青木幹雄、野中広務といった少人数の党内有力者による密室協議で決まったため、
発足当初から政権の正統性に疑問が出た。
それを反映し、内閣支持率も低迷する。
さらに森総理自身の、「日本は天皇中心の神の国」などの発言が問題化。
2000年(平成12)6月に衆院解散に打って出るが、
ここでも「無党派層は寝ていてくれればいい」と演説。
投票の結果、自民・公明・保守の与党3党とも大幅に議席を減らすが、
3党では安定多数を確保し、森総理は再指名を受けた。
総選挙で危機感をもった森総理ら自民党執行部は、青木幹雄参議院幹事長を中心として、自民党に有利な、参院比例代表区に「非拘束名簿式(候補者名簿に順位をふらない方式)」を導入する公選法改正案を提出。
強行採決でこれを成立させる
景気が回復せず、外務省機密費問題やケーエスデー中小企業経営者福祉事業団(KSD)の汚職事件が政権の重荷となるなか、
側近の中川秀直官房長官が女性スキャンダルで辞任した。
2000年11月、内閣不信任案が提出されるや、
野党に同調しようとする加藤紘一元幹事長らによる「加藤の乱」が起こる。
このときは加藤の動きを押さえ込んで不信任案否決でしのいだが、求心力はますます低下した。
2001年(平成13)2月、アメリカの原子力潜水艦と水産高校の練習「えひめ丸」の衝突事故が起きた際、
森総理がゴルフを続けていたことが世論のきびしい批判をあびる。
これを決定打に、4月の退陣となった。











































