[伊勢神宮]4 おはらい横丁とおかげ横丁

伊勢神宮で考えたこと
[伊勢神宮]2 内宮解説
[伊勢神宮]3 内宮解説2
の続きです

おはらい横丁
内宮はある程度カミさんと見て回ることができました
これからは、カミさんの方の時間
カミさんの目的は参拝ではなく、お買い物

虎屋本店でういろうを買うこと
愛知県民としては、虎屋のういろうはソウルフード
虎屋本店でういろうを買えさえすれば、他にはなーんにもいりません

内宮に続くおはらい横丁の中に虎屋があります
伊勢神宮のおはらい横丁(おかげ横丁)は、参道「おはらい町」の中央に位置し、
江戸時代末期〜明治初期のお伊勢参りで賑わった門前町の風景を、赤福が中心となり再現した観光地です。
もともと「おはらい町」は「御師(おんし)」と呼ばれる神職の屋敷が集まる場所でしたが、
明治以降に観光客が減少したため、1993年の式年遷宮に合わせて、
伝統的な街並みと賑わいを復活させる目的で「おかげ横丁」が誕生し、
現在では伊勢志摩を代表する名所となっています。

その真ん中辺りに
出ましたっ
虎屋のういろう



栗のういろう、美味しかったです

虎屋のういろうは、実は東武の池袋店内にも店があって買えます
カミさんはスタンプカードも持っていて、もう結構スタンプもたまっています
同じものが同じ値段で買えるわけだから、わざわざ伊勢に来て買う必要無かろうと言うことなのですが
カミさんにしてみれば、本店で買うことに意味があるのだと
そういう気持ちは私も分かる方ですので
それでカミさんが喜ぶのならば、よろしいんじゃないでしょう

ところが。。

後日談がありまして
数日後、カミさんが、
ああ、だまされた、だまされた

何?

虎屋、本店じゃないじゃない

何いってんの、あそこは本店だよ

(と言いつつ、こっそり確認してみますと
確かに本店ではなく、本店は、外宮のある伊勢市駅の近くでした
内緒ね)

あと、まる天というところでチーズ天とたこ天を買って食べたのですが
特にたこ天はむちゃくちゃ美味しかった

他にもおしゃれな店がいっぱい
カミさんはお土産でお菓子や巾着袋も買いました

おかげ横丁
おはらい横丁の真ん中辺りに、横に入れるエリアがあり、そこがおかげ横丁

おかげ横丁は前回来たときはおはらい横丁にしか来ず、 今回初めて。
江戸時代の町並み風にしてあって
紙芝居や、射的で遊べたり

B級グルメとかも充実
私が入ったのは、神路屋という和小物のお土産屋さん


そこで、和手拭いを買いました
季節の和手拭いを集めていて、額に入れて季節のカレンダー的に飾っています
12ヶ月は揃いました
1月用と2月用とを買ったのですが
例えば1月用はこういうのを買いました

ちなみに翌日、長女夫婦に会いに行ったのですが
長女夫婦からも、お年賀で和手拭いをいただきました

あと、酒屋さんでは、松坂牛のお寿司も食べました

その後、和風になっているスタバでお茶し
赤福で赤福餅を買いました

翌日、大阪で、長女夫婦、旦那様のお母さん、そのお姉さんと会食をしました
あけましておめでとうございます
いよいよね、もうすぐね

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掘割を巡ってきました、の続きの続きの続き

掘割を辿ってきました
掘割を巡ってきました、の続き
掘割を巡ってきました、の続きの続き
の続きです

原胤昭(たねあき)
茅場町の駅のあたりに江戸から明治にかけての最後の与力、原胤昭(たねあき)の邸宅があった
明治になってキリスト教を信仰
日本で最初にクリスマスパーティを開いた日本人
浮世絵商を営むが、その時販売した浮世絵が反社会的と逮捕され、石川島監獄に入れられる
その監獄内でひどい仕打ちをうけたことが大きく人生を変える
監獄の改良を主張し、教誨師としての活動を始めた。
前科のある人たちは社会的な偏見や差別を受けるため、再犯が多いと考え、
更生保護施設を設立し、1万3千人を超える出獄人を保護した。
児童虐待撲滅にも取り組んでいる

日本橋川
いよいよ日本橋川にやってまいりました


徳川家康が、関八州を豊臣秀吉からもらい、一番最初に手掛けたのが、平川の付け替えです
江戸城はボロボロでしたが、その建て替えや改修には目もくれず、
関ヶ原より前

日比谷入江という湾が広がっていてそこに平川が流れ込んでいたが
日比谷入江を埋め立てるためには、平川の流れを除けておく必要がある
流れを変えたのが日本橋川となる
そのうえで、次の段階で埋め立てや江戸城をするため、船を付けられるよう道三堀も掘っておく

時代がずーっと流れて昭和の戦後
東京内の渋滞が深刻な事態になって、高速道路構想が持ち上がる
とはいえ、もうほぼ出来合っている東京の街にそんなのどう作る?
残っているのは運河の場所
ここなら公共の場所だから立ち退き料もいらない

とうかん堀
日本橋川を過ぎて次に辿るはとうかん堀の跡
なぜ「とうかん」かというと2つのお稲荷さんがあるから
稲荷を音読みすると「とうか」。ちょっと訛ってとうかんになった


1つ目のお稲荷さんは、明星稲荷神社
今は小さなお稲荷さんだが、どっこいとても由緒正しい
元々は太田道灌が江戸城の中に作ったお稲荷さんで、それがここに引っ越してきた

もう一つは銀杏稲荷
巨木ファンの私としては涙ものの神社
樹齢何百年かの大銀杏は関東大震災で焼けてしまったが、それでもこれほど

この辺りは最初、老中田沼意次(たぬまおきつぐ)の屋敷になり、
その後、播磨姫路藩の酒井雅楽頭(さかいうたのかみ)の広大な屋敷
大老も務められる名門中の名門
明治になって北側が西郷隆盛の屋敷になり、南側が越前福井藩だった松平茂昭(もちあき)の屋敷になる

掘割を巡って
いっぱい掘割を巡った
掘割は江戸時代に交通の中心で、江戸は水の都だった
明治になって、道路や鉄道が発達したから、掘割は埋め立てられたと単純に考えがちだが
そう単純なものではなかった
明治大正を通じて交通の中心であり続けたし
大正時代に新たに掘られたものもあった
そんな中でもやむを得ず、という時が2回
関東大震災後の瓦礫処理と東京大空襲後の瓦礫処理
そして、高速道路を作る必要に迫られての埋め立てもあった

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掘割を巡ってきました、の続きの続き

掘割を辿ってきました
掘割を巡ってきました、の続き
の続きです

伊勢神宮で割込みを入れちゃいましたが、掘割巡りにはまだ続きがあります
伊勢神宮にも続きがあるものの、掘割を一旦続きを書いて、その後また伊勢神宮に戻ります

桜川公園
八丁堀は途中で桜川と名前を変えます
それが埋め立てられた跡は桜川公園

八丁堀(桜川)だったという案内板

さらにその右隣りは桜橋第二ポンプ所

ポンプ所って何かというと、以前お話しましたが、川ってどんどん底に土が溜まっていって川底が高くなってしまう。
そうすると溢れて洪水になる危険性が高まるから、堤防をどんどん高くする
って事で、現代の下流の川は周りの土地より高い所を流れるという宿命を持っています
ここでいうと隣の亀島川や隅田川
そうなると、降った雨は自然には川に流れ込まず、常にポンプで川まで持ち上げて流す必要があるのです
マンホールの蓋を見ると雨水と書いてあるのと汚水と書いてあるのがあります
雨水は雨水が流れる下水管です。汚水はトイレとか台所からの生活排水。
雨水の方は浄水場に行かずにそのまま川に流せますので、
こういったポンプ所に集まります

ポンプ所の屋上は公園になっています

鉄砲洲稲荷神社
鉄砲洲稲荷神社には富士塚があるのですが、
あらゆる富士塚の中で3番目に古い由緒正しいもの

ただ、あれれ?
江戸時代の地図の富士山の場所と違うけど。。

そうなんです
明治7年に区画整理で鉄砲洲稲荷神社が今の場所に移った時、一緒に富士塚も移動しました


ちゃんと登れて、上から見下ろすとちょっと怖い

亀島川

■南高橋(みなみたかはし)
関東大震災の後の復興でかけられた橋
両国橋が震災で損傷。損傷していない部分をこっちに持ってきてかけた
都内の鋼鉄トラス橋としては、八幡橋に次いで2番目に古い

霊岸島
寛永元(1624)年、霊巌雄誉上人が、
元は低湿地だった場所を埋め立てて霊巌寺を建てたことから「霊岸島」と名付けられる。
でも、明暦の大火後、霊巌寺は深川に移転してしまう

ここには、越前福井藩の広大な下屋敷があり、その周りに堀が巡らされた。
越前堀と呼ばれる


その跡地にある公園
越前堀に使われた石垣が置いてあった

明治になり、歌舞伎役者の市川左団次が住み
四谷怪談が大当たりしたのをありがたいと、於岩稲荷田宮神社を作った
お岩さんの神社としては四谷に2つもあるのだが
ここで3つ目

新川
新川はあの河村瑞賢が作った
[河村瑞賢]1 江戸へ

河村瑞賢の旧居跡
これこれ、これが見たかった。
ああ、ここに河村瑞賢が住んでいたのね

ウォーキングはまだ続きます
続きは明日

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[伊勢神宮]3 内宮解説2

伊勢神宮で考えたこと
[伊勢神宮]2 内宮解説
の続きです

正宮(しょうぐう)を過ぎて、それ以外の別宮を巡っていくことにします
再度、マップを貼っておきますね

■籾種石(もみだねいし)
当日どの石か分からなかったので、写真は本からの引用です
参道の左側、正宮の建つ御敷地の石垣にある、特別大きな岩。
苔むしたこの岩は、江戸時代の遷宮の時、地元の人々が五十鈴川の川上にあった大岩を、自分たちの手で運んで献納したものと伝えられています。
それは大変な作業で、食料に困って籾種まで食べたことから、籾種石といわれるようになったとも言われています。

■御稲御倉(みしねのみくら)
神宮の神田で収穫された御稲がここに納められています。
御稲は、10月の神嘗祭、6月と12月の月次祭で天照大御神に捧げられます。

御稲御倉は、正殿と同じ唯一神明造りで建てられており、茅葺きの屋根の両側を、棟持柱(むなもちばしら)が支える構造を間近で見ることができます。

唯一神明造りはこう

掘立柱、切妻造、平入り、檜の素木造り、茅葺き屋根に千木と鰹木といった特徴を持ち、古代の高床式倉庫の様式を今に伝える、日本で最も古い神社建築様式
一般の神社で神明造を採用する際は、伊勢神宮と同一にならないよう意図的に変更(例:鰹木の本数を減らす、礎石立てにするなど)されるので、唯一。

■外弊殿(げへいでん)
神々に奉納された幣帛(へいはく=おそなえ)や神宝などが納められています。

■荒祭宮(あらまつりのみや)
ご祭神は、同じく天照大御神なんだけど、荒御魂(あらみたま)
荒御魂とは、 神様の優しくおだやかな面を和御魂(にぎみたま)というのに 対して、荒々しく顕著なご神威を表しています。
神様も状況によってノルアドレナリンや副交感神経のゆったりした状態と、アドレナリンバシバシで交感神経優位の状態もある
神道の面白いのは、それが別々に祀られるということ
夫婦円満だの家内安全安産祈願など穏やかな方が良いお願いは和御魂、合格祈願や勝負事などは荒御魂にお願いします

■御酒殿(みさかどの)と由貴御倉(ゆきみくら)
正面から見て左が御酒殿、右が由貴御倉です。御酒殿は、10月の神嘗祭、6月と12月の月次祭の由貴の大御饌祭(おおみけさい)のにお供えする四種のお酒をいったん納める場所です。
御稲御倉のお米もそうでしたが、神事でお供えするものは自給自足です。伊勢神宮は酒類製造免許まで持っています

由貴御倉は、古くは大御饌祭(おおみけさい)のお供えものや果物を保管しておく倉でした。由貴とは、清浄でけがれがないという意味なのです。
こちらもやっぱり自給自足

■忌火屋殿(いみびやでん)と祓所(はらえど)
忌火屋殿は神饌(しんせん=神様の食事)の調理を行う場所です。

忌火とは、「清浄な火」という意味で、御火鑽具(みひきりぐ)によっておこした火を用い、お供えものの準備をするのです。
伊勢神宮は徹底していますね。火すら自分でおこします

祓所は、忌火屋殿の前庭で、祭典の際に神饌と神職のお祓いをする場所です。

■四至神(みやのめぐりのかみ)
注連縄(しめなわ)に囲まれた石畳の上にお祀りされています。四至とは四方を意味しており、内宮の神域の四方を守護している神様です。
二拝二拍手一拝の作法でお参りをします

■風日祈宮(かざひのみのみや)
風雨を司る神様で、雨風の災害がなく天候が順調であり、稲を中心とする農作物が豊かに育つよう祈りが捧げられるお宮です。

■御厩(みうまや)
運が良ければ馬に会えます
私が行ったときはいませんでした

■参集殿(さんしゅうでん)
休憩所です
ここで、図説伊勢神宮という本を買いました

■大山祇神社(おおやまつみじんじゃ)と子安神社
大山祇神社のご祭神は大山祇神で、神路山(かみじやま)の入り口にご鎮座される山の守り神です。子安神社は木華咲耶姫神(このはなさくやのひめ)をお祀りしています。
安産の神、子授けの神として信仰されています。

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