天皇シリーズ
後光明(ごこうみょう)天皇

女性天皇、明正天皇は最初から中継ぎと考えられていて
早く、弟に譲位せよ、とプレッシャー
幕府としては、明正天皇への譲位は後水尾天皇に勝手にされてしまったものだったから、今度は「若宮」が11歳になると、幕府が主導権をとっての譲位
仙洞付武家と禁裏付武家という
朝廷を監視する組織を新たに追加
天皇に関しては何かとがんじがらめだったので
逃れるために歴代天皇は譲位して自由に院政を引きたがった
幕府としては、明正天皇を自由にさせないため
院にも監視組織を追加した
新たに天皇となったのは後光明(ごこうみょう)
院政は前天皇の明正ではなく、お父さんの後水尾
後光明天皇は、和学より漢学、和歌より漢詩を好んだ
お父さんの後水尾が和学や和歌を好んだので
独自性を発揮したかったのかもしれない
政務に関しては20歳になってようやく、後水尾からもろもろ許されるようになり
かなり意欲的に取り組んだ
さあこれから後光明時代の到来!!
のはずだった
ところが、承応3年(1653)22歳の若さで痘瘡を患い急死した
お父さんの後水尾はこの急死に大きな衝撃を受けた
出家して法皇となり、ようやくあとは任せられると思っていた
この世にもう関心を寄せるものがないと手紙に書いているので
よほどショックだったのだろう
後光明天皇から変わったことがある
遺体の葬り方
持統天皇以来、天皇は全て、仏教式葬儀の導入とともに火葬された
しかし、後光明は土葬される
荼毘(だび)式(火葬式)も行われたので表向きには火葬だが
実際には土葬
後光明は強く儒学に傾倒していたので
儒葬は土葬なので、その影響だと思われる
後光明以降、全ての天皇は土葬されることになる
葬儀は仏教式で真言宗泉涌寺において執行され、
火葬式も行われたが、
実際は泉涌寺の裏手、月輪陵の九輪塔の下に土葬された。




