[織田信長]1 まむし殿の娘、濃姫
[織田信長]2 二人だけの時間では
[織田信長]3 美濃はそなたに差し上げる
[織田信長]4 血戦桶狭間
[織田信長]5 天下をお取りになるまでは
[織田信長]6 上洛の大義名分
[織田信長]7 義昭を将軍に
[織田信長]8 姉川の戦い
[織田信長]9 武田信玄西上
[織田信長]10 長篠の戦い
[織田信長]11 石山本願寺、松永久秀との戦い
の続きです
毛利征討
羽柴秀吉は、中国征討の命を受けて、安土を発した。
信長は本願寺を壊滅させる為には、その背後にある毛利と決戦するほかはないことを知っている。
本願寺を先に片付けたとしても、その後では毛利と闘わねばならないのだ
毛利の勢力は、この時その極盛期にあった。
安芸、周防、長門を本拠として、十二ヶ国二百万石を勢力圏内とし、動員兵力五万
更に備前の宇喜多直家、丹波の波多野秀治も、毛利の与国であるから、中国地方は殆ど凡てが毛利の指揮下にあったと言ってよい。
この強大敵国である毛利討伐の大任が、秀吉の上にかけられたのである。
秀吉は、この時四十二歳。
既に江州二十二万国の大名になっていたとはいえ、
織田家に大先輩として、柴田、丹羽、佐久間の諸将がいる。
その中で自分が擢んでられて、事実上の中国征伐主将的地位を与えられたのだ。
「禿鼠も、偉くなったな」
自分でその地位に引上げてやった当の信長が、
天守閣の最上層から、秀吉の出陣を見送りながら、
ふっとそう洩らしたぐらいだから、
秀吉本人の感慨は無量であった
播州に入った秀吉の行動は極めて迅速であった。
小寺政職の家老である小寺官兵衛孝高を使って、忽ちの中に、播州一国の各城から人質を集め、官兵衛の居城である姫路城に本拠を置いた。
山口、岩淵、竹田の各城を陥れ、
備・作・播の国境にある上月城を奪った
一ヶ月余りで、播磨、但馬両国をほぼ平定してしまう
ここまでは、甚だ快調であったと言ってよい。
が、ここで事態は急変した。
織田勢の三木城主、別所長治が、毛利方に通じて叛旗を翻した
別所にくみする城主が続いた
それらの城を一つ一つ落としているとき
小早川隆景、吉川元春の率いる三万五千の毛利勢が、
宇喜多の兵力をも合せて、播磨に侵入し
上月城を包囲した
秀吉は上月城に向かったが、包囲網は崩せそうにない
信長に救援を求める
信長は、滝川、丹羽、明智、筒井らの諸将に二万の兵を与えて、秀吉を助けさせた。
それでも容易に勝負は決しない
竹中半兵衛が進言
上月城を捨て、三木城の別所を討つべし
応援の諸将には信長から伝えもらい大挙して三木城へ
こちらも容易に落ちないとなると、諸将たちは様子見
そうこうするうちに、またも裏切り者が出た
荒木村重が毛利方に寝返る
三木城もなかなか落ちず、兵糧攻めに方針転換
時間ばかりが過ぎる中で
竹中半兵衛に病が進んだ
疲れました。少し休ませていただきます
目をつぶった半兵衛は、そのまま36歳の若き生涯を閉じた
実に1年半もの間、耐え抜いた三木城だったが
兵士たちを救うため
別所長治と弟知之は切腹
城兵は全て助命された
石山本願寺
石山本願寺は、籠城五年に及んで屈しなかったが、その勢いは次第にちぢまってきた
前関白の近衛前久(このえさきひさ)が、調停に立った。
前久は顕如上人ともよく識り合った仲であったし、
信長とも特別に親しくしていた
近衛前久は正親町天皇に働きかけて
信長と和解して大阪を退去すること
という勅命を出してもらった
本願寺内では大いに揉める
顕如は講和賛成
その跡継ぎ教如は反対
教如は最後まで反対したが、顕如が和平論なので大勢は決し
顕如たちは石山を退去していった
ところが教如は頑として動かない
残念ながら、教如に同調するものは数人まで減っていった
いよいよ教如も観念して退去した
石山本願寺は火が放たれ、三日間燃え続け
全ての伽藍が灰塵に帰した
















































