[河村瑞賢]3 ものを売ろうとするからだめなんだ

[河村瑞賢]1 江戸へ
[河村瑞賢]2 おこうこはいらんかね
の続きです

漬物屋で成功したものの、すぐに真似られてしまう
しかも少し安く売られるのでお客様はそちらに吸い寄せられる

一緒に手伝ってくれている寅吉が
兄貴、どうしやす? と尋ねてきた
漬物のことはお前に任せた。
質も値段も落とさず、作る量を減らして売れ残らないようにしろ

兄貴はどうするんです?
近頃、町中でみんなが欲しがっているものは何だ?
仲間で話し合う
色んな答えが出た中に
壁の下地に使う泥が足りない、と言っている人足頭がいましたよ
壁下地の泥か
泥なら海にあるけど、塩を含んで粘り気が足りない
海の泥に藁屑を混ぜてみたらどうだろう
藁が手に入るところ・・

そうだ。寺や神社などで、月に一度くらい、古草鞋を集めて燃やしているよ
燃えやすいものは集めて寺などで定期的に燃やしている
それだ!

全く元手がかからず、労力だけという考えられない商いを、
またしても七兵衛は生み出した

それでもまた真似られてしまう

ものを売ろうとするからだめなんだ
漬物売りや壁土から発展し
何かを売りたい商人に売り子をまとめて貸したり、壁土を加工する職人を養成し、現場に派遣する商売に変わっていった

かつての人材紹介業、すなわち口入屋であった
通常の口入屋は単に人手を提供するに過ぎない
技術を持った人材を派遣すれば良いんだ
養成してから人材を提供した
壁土なら、漆喰師の超ベテランで既に引退した老人に
若いものに押し込んでもらって、技術を持った人材と商品をセットで売っていく

真似されてうまみが少なくなった商売は、惜しげもなく後進の仲間に譲り渡した
自分は少しずつ商売を変えながら
中心は口入屋と材木の商売になっていった

運命の日
材木の商売を始めてから13年が経過した
商売もそれなりの規模になり安定
七兵衛(後の河村瑞賢)は世帯も持ち
40歳になっていた

運命の日が来る
明暦3(1657)年
江戸中が火の海に包まれた明暦の大火です

私は、河村瑞賢って、この本を読むまで
商売で成功した人なんだと思っていた
確かにここまではそうだったんだと思う
でも、この明暦の大火をきっかけとして
河村瑞賢の人生は大きく変わるし
おそらく考え方も変わっていったように思える

この続きはシリーズの次回

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[神社] 御霊信仰

神様シリーズです

御霊信仰

早良親王(さわらしんのう)
古代の人々は、干ばつや地震などの天変地異が起こったり、
疫病が大流行したりすると、
非業の死を遂げた人が怨霊となって祟りをなしているのだ
と考えました。

怨霊を鎮めるために、祭礼が行われたり、その怨霊を祀る神社が建てられたりしました。
こうやって神様として扱われるようになった怨霊のことを、
御霊(ごりょう)と呼びます。

最初の御霊は、8世紀後半の早良親王(さわらしんのう)だとされます
彼は、平安京を都としたことで知られる桓武天皇の弟で、
皇太子でした。
しかし、朝廷の有力者である藤原種継が暗殺された際(785年)、
これにかかわったとして、淡路島へ向けて流され、
到着する前に亡くなります。
遺体はそのまま淡路島に送られ、葬られました。
そののち、桓武天皇と早良親王の生母である高野新笠(たかのにいがさ)が病死し、
都には疫病が流行ります。
これらは早良親王の祟りとされました。

桓武天皇は早良親王の遺骨を奈良に改葬し、
さらには、「崇道天皇(すどうてんのう)」という称号を贈ります。
また、鎮霊のために、京都に上御霊神社を建てて、早良親王を祭神としたのです。

日本三大怨霊
ほかにも、御霊とされた歴史上の人物は大勢います。
有名なのは、10世紀、朝廷に対する反乱を起こして敗死した平将門と、
12世紀、武士の平氏と源氏を巻き込んだ朝廷の争い保元の乱で敗れ、
讃岐国(香川県)に流された崇徳(すとく)天皇でしょう。
ふたりとも死後、怨霊となって疫病を流行させたと考えられました。
彼らと、今は学問の神様とされている菅原道真とを合わせて、日本三大怨霊といった呼び方をすることもあります。

現在、平将門は東京の神田明神(かんだみょうじん)など、
崇徳上皇は京都の白峯神宮(しらみねじんぐう)などに祀られています。

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[首相]56 小泉純一郎

出ましたっ、小泉さん
自民党をぶっ潰す!

小泉純一郎

加藤の乱
森総理の支持率が危機的状況
誰もが「やめてもらうしかない」と思った時、
加藤紘一が動いた
野党が提出した内閣不信任決議案に賛成する動き
もし、加藤派と山崎拓のグループが自民党を割って出ると、自民党は過半数を失う

困ったのが小泉純一郎
元々、YKKトリオと言って仲良し
ところが、小泉純一郎は森派
結局、加藤紘一の動きを止める方向で動く

そんなこんなで、自民党内は大荒れ
森総理の誕生が密室で決められた印象だったので
開かれた総裁選が求められた

総裁選
ここまで、2回総裁選には出馬しているが、いずれも負けている
森派だし

迷いに迷っていると
田中真紀子が猛プッシュをかけてきた
立つの立たないの

女性に立たないの? と言われては、立たないとは言えない
下ネタまがいのコメントを出し、森派を離れた

そうなると、派閥の応援は受けられない
イチかバチかの賭けに出た
派閥を無くす、という主張
「自民党をぶっ潰す」
これが国民にウケた

人気者の田中真紀子が全面的に応援
全国を二人で回り、遊説先の演説では黒山の人だかり

一方の橋本龍太郎、亀井静香、麻生太郎らは
派閥内をまとめきれなかった

決選投票で、亀井静香が小泉支持に回り
3度めにして悲願の総理となった

組閣
以降、異例づくしのいろんな事をやっていくが
まずは組閣
完璧に派閥の論理を無視
田中真紀子の外務相を始めとし
通常、党三役と相談しながら行う人選は
完全に自分一人でやりあげた

小泉内閣発足直後の世論調査では80%というかつてない高い内閣支持率を記録した

続きは次回

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[伊勢神宮]5 式年遷宮

伊勢神宮で考えたこと
[伊勢神宮]2 内宮解説
[伊勢神宮]3 内宮解説2
[伊勢神宮]4 おはらい横丁とおかげ横丁
の続きです
今までは、伊勢神宮に行ったときの話を元に書きましたが
このあとは、伊勢神宮に関わる色んな話を書いていくことにします

伊勢神宮と言えば何と言っても式年遷宮ですね
式年遷宮
式年遷宮の「式年」とは定められた一定の年限のことをいい、
「遷宮」とは宮を遷すことを意味します。
神宮には内宮にも外宮にもそれぞれ東と西に同じ広さの敷地があり、式年遷宮は二十年に一度、宮処を改め、
古くからの儀式のままに社殿や御装束神宝のすべてを新しくして、
天照大御神に新殿へお遷りいただく神宮最大のお祭りです。

式年遷宮は、第四十代天武天皇が発意し、
続く第四十一代持統天皇の四年(690)に内宮、同六年に外宮で第一回が行なわれました。
以来、室町時代後期に一時中断されましたが、1300年も続いている制度です
平成25年で、第62回になります

不思議な仕組みです
膨大な費用がかかるのになぜ? という疑問が湧きます
でも世界に類を見ない、古いものを残す最も優れたやり方だと気づきました

世界には多くの遺跡があります
パルテノン神殿だったり、ピラミッドだったり
大体は石の遺跡で、存在は分かるものの
あくまでも遺跡であり、現在は使われておらず、観光の場所でしかありません

世界で伊勢神宮だけなんじゃないでしょうか
1300年も前のものが、今も同じ形で確認することができ
しかもそれは今も「使われている」のです

木です。耐久性において石には到底かないません
でも、ある決まりを守ることで、同じものを残せる
20年ごとに、「同じもの」を作り直す、
それさえ、ずっと先までやり続ければ良い
そう決めて、その決まりを今まで1300年にも渡って、実際に守ったのです

式年遷宮という仕組みを決めた時、仏教伝来していましたので
伊勢神宮の唯一神明造りより、もっと優れた建築様式が伝わってきて、寺院ができていました
ある意味、古臭い建物の作り方
当時ですら、ノスタルジックな建物だった
でも、だから残したいと思った
知恵を出した
式年遷宮というやり方なら
書物で昔、こんな建物がありましてね、と残すんじゃなく
実物をずっと残せる

社殿
通常は、内宮の正宮なら横に同じ広さの次なる式年遷宮用の空き地があります
遷宮の時期だけは、両方の土地に正宮が並び立ちます

遷宮では、内宮と外宮のさらに東宝殿、瑞垣、鳥居など170を超える建物が建て替えられます。
このほか修繕を行なう建物が80ヶ所ほどあります。
造営に関わる準備には、御用材の檜・萱の調達、社殿に使用される檜の良材は、あわせて8000㎡、数にして約13000本にもなります。この檜を伐り出す山を「御杣山(みそまやま)」と言い、
現在は木曽地方より運び出しています。
檜は「御神木」として道中を運ばれます。
伊勢に到着すると「御木曳行事(おきひきぎょうじ)」 により神域へと納められ、そののち、外宮の近くにある山田工作場の貯木池で油分を抜き、乾燥させた後、およそ十万個もの部材に製材していきます。
釘を使わず木と木を組み合わせて建てるため、
製材はすべて、宮大工による細かい手作業で行なわれます。

通常の時期は、天照大御神がおられるので御正殿は写真に写せませんが
式年遷宮で天照大御神が移られる直前に写したのがこちら

上棟祭の様子です

御装束神宝(おんしょぞくしんぽう)
式年遷宮で作り変えられるのは、建物だけではありません
神様の衣服や日用品、武具や文具、楽器なども作り変えられます
御装束神宝と呼びます
20年に一度ずつ、同じように作られるということになります

これは重要な意味を持っていて
伝統的美術品の製作技術がなくなってしまわないよう引き継がれて行くのです

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