中目黒から

[2/7の事です]
カミさんがいません
大阪の孫のところに諸々お手伝い
20日まで不在

おおっ、これはぁ

出かけましょう

目黒区が行っている場所が少なめ
よしっ、中目黒からだ

「行ってみたい」マークを付けていた場所を潰していきましょう
猿楽塚
この前、すぐ近くまで行ったのに見逃した場所
今度こそ
おしゃれな街代官山に古墳です。



ちゃんと登れます
上から見ると

正覚寺
これは知らなんだ
こんなところにこんな大きなお寺があるなんて

何がすごいって、三沢初子の墓がある
三沢初子はあの仙台藩伊達家、第三代藩主綱宗(はんしゅつなむね)の側室(そくしつ)で、のちの第四代藩主綱村(はんしゅつなむら)の生母です。
浄瑠璃や歌舞伎で有名な伊達騒動を題材とした、「先代萩(せんだいはぎ)」の政岡(まさおか)のモデルといわれています。
泣けるのよね、先代萩
でかしゃった
でかしゃった
こっちも見てね
原田ゲキってなに?

墓は見つからなかったけど、三沢初子の銅像

中目黒八幡神社

例大祭には十二座の神楽が披露される

菅沼権之助の墓
菅沼権之助は、元禄の頃の中目黒田道に住み多くの人々に慕われていた名主です。
その頃、行人坂の急峻な坂路の街来に苦労している人達を見かねて、私財をなげうって新坂を切り開いた。
偉いね
ところが、幕府の許可を受けなかったということで、処刑されちゃった。
そんな馬鹿な、と庶民はヒーロー権之助の名を忘れないよう坂に権之助坂と名前をつけた

長泉院
すごかったなあ
お寺に行ったのに、まさかまさか
こんなところに、現代アート(彫刻)がある



最初は「へえ」くらいだった
あっ、下の方にもあるぞ


すごい数の彫刻

長泉院の敷地に現代美術館があるというのは、知っていて
行ってみたいマークを付けていた

何と無料
名前を書いて中に入る
スタッフの人が、段差に注意してくださいねと声をかけてくれる
お寺だよなあ

美術館の中にもおびただしい量の現代彫刻
すばらしい
だんだん意味が分かってきた
ここの住職さんが、ある時見た彫刻に感動し、入手
それから色々行きまくって、少しずつ彫刻を集めるようになっていった
若い彫刻家たちは、展示会は開いても、その後は作品を発表する場もなく、ただ倉庫に眠っているだけだという実態が分かってきた
何とかこの彫刻たちを世の中に出したい
そんな思いで、寺の敷地にいくつか展示
だんだん増えていく彫刻を、美術館を作ってその中にも展示
残念ながら中の彫刻は写真NGだった

これいいわ、好きだわ、って彫刻もいっぱい
単に好きで集めたという数ではない
すごかったなあ、と思いつつ美術館を出た
こんなの無料なんてなあ

ところが、それで終わらなかった
第二展示場


第三展示場

えーと、いくつだったっけ
あるわあるわ、次から次から

何とか彫刻たちを見てもらいたいと、周りの土地を買い増して行ったんだろうなあ
全部無料だもんなあ
ちょっと前に亡くなっちゃったらしいんだけど
存命のうちに話を聞きたかった
おそらく彫刻の話を熱っぽく語り続けたろう

ここまでもびっくりだったけど
今回のウォーキング、このあとも面白いことがいっぱいでした
続きはまた

[お出かけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

大手町から、の続きの続き

大手町から
大手町から、の続き
の続きです

御門訴事件の現場
御門訴事件で農民たちが御門訴を行った品川県の庁舎がこの場所にあった
浜町の明治座の向かいのコンビニの場所

御門訴事件を話し出すと長くなりすぎるので
こちらを見てね
御門訴事件、関連地巡り

浜町川緑道
江戸時代は浜町川という運河だった場所が緑道になっている


進んでいくと、歌舞伎の勧進帳の弁慶の銅像

ここに江戸初期に三座と言われた中村座と市村座があったから
天保の改革の時に浅草猿若町に移ったんで、大江戸今昔巡りのアプリでも出てこないんですが。
人形浄瑠璃の芝居小屋もあり、その人形を扱う店が多くあったから、この辺りは人形町

元吉原
もう少し先まで行くと、元吉原の場所

吉原を囲うお堀の跡

ここより北側がずっと吉原だった
中村座や市村座と共に、天保の改革の時に浅草の先の吉原の場所に移転したから、ここは元吉原と呼ばれている
元吉原で信仰を集めた末廣神社

おっと、平賀源内の説明もありました

甘酒横丁を人形町駅の方向に歩きます
つづらや
まちかど展示館がなかなか日曜お休みが多い中、ようやく開いているところ
つづらを売っているお店です


店の人に色んな話を伺いました
江戸庶民は、軽くて丈夫で持ち運びに便利だから
つづらがタンス替わり
大火が多かったから、つづらを持ってさっと逃げれないといけない
つづらって見なくなったなあ
プラスチックの衣装ケースに服入れているけど
こんなつづらを持っている人って、豊かな人生を送っている人だなあと思う

折詰弁当発祥の地の弁松屋

はいばら
本日の最終地、まちかど展示館のはいばら
和紙等の文房具を扱うお店
文化3(1806)年創業という、老舗中の老舗
初めて官製はがきを作ったのがここ

ああ、お雛様
今は特別な思いで見入っちゃいました

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大手町から、の続き

大手町から
の続きです

まちかど展示館で刷毛ブラシの江戸屋
残念、ここも日曜日お休み
建物はとても魅力的

東堀留川
東堀留川と西堀留川は家康が最初に作った運河
海運で運んできた色んな資材をここまで運び入れて陸揚げする
その東堀留川のてっぺんが、この消防署の場所

おっと、これは珍しい
送水口、今は法律で2口セットで作らないと決まっているから、全て2口。1口なのはその法律が出来る前ということだからかなり古い

堀留公園
掘割のあったところを埋め立てた跡は、こんな感じで公園になっていることがある
東堀留川がいかに幅広い大規模なものだったかが、この場に立ってみるとよく分かる

出世稲荷神社というのがこのあたりにあるはず
GoogleMapにも載っているので絶対あるはずなんだけど。
ぐるっと一周回ってやっと発見
マンションの自転車置き場

ずんずん入っていく
マンション住民以外入って良いんだろうか

あったあ


こんなの見つけられる人は必ず出世するわ

イチマス田源
今までまちかど展示館は日曜お休み続きだったけど
ようやく開いているところに行き着いた
着物屋さん
江戸時代から続く着物屋さんで
何と2階に蔦屋重三郎の店「耕書堂」が再現されている
大河で蔦重だったから、これはタイムリー






当時の本もいっぱい再現して置いてあって、読むのは自由
泣けてくる
吉原細見。蔦重の出世作


一階には色んなグッズがいっぱいあった

伝馬町牢屋敷跡
ものすごい見どころいっぱい
1.牢屋敷のジオラマがある
周りのアクリルケースに光が反射して、写真がうまく写せない
仕方ないので、ネットからの写真も拝借しながら




小伝馬町牢屋敷は現在の拘置所と刑務所の区別でいうと拘置所の方
未決囚が入っている
現在の懲役刑や禁錮刑の人が入る刑務所はというと
「ない」
なぜかというと、懲役刑や禁錮刑が無いから
死刑の次は、遠島や追放と言って、住んでいた場所から追放されて帰ってこれないだけ
その次はというと、入れ墨とか、百たたきみたいな敲(たたき)
厳密に言うと、ごくごく例外的に懲役刑はあって終身刑に当たる「永牢(えいろう)」高野長英はこの刑罰を受け、小伝馬町牢屋敷に入れられた
死刑執行の場所として、鈴ヶ森や小塚原があるが、こちらは重罪とかで見せしめをしたい場合
死体を一定期間さらしものにする
小伝馬町牢屋敷はそこまでではないとか、見せしめをむしろしたくないような場合に、非公開で死刑(斬首)になる
小伝馬町牢屋敷に入れられた有名人は以下

一番有名なのは吉田松陰
吉田松陰は牢屋敷の中でも他の囚人に色んな学問の話をして慕われた
吉田松陰を称える碑があった

2.上水道の発掘
牢屋敷の場所の地下から、江戸時代の上水道が発掘された

それがそのままの形で保存され、上からガラス越しで見えるようになっている
上水道の樋はあちこちで見たことがあるけど
こういうふうに地下で構成されているそのままの形で見たのは初めて
上水道ファンとしては大感激

写真に撮るとよく分からないので、またネットから拝借


こんな感じで発掘されたらしい

3.時の鐘がある
本石町という若干離れたところにあった時の鐘がここに保存されている

時の鐘というのは、みんなに時刻を知らせるための時報
カンカンカンと3つなったあと、5つ時なら5つ鐘が鳴らされる
本石町の時の鐘が大元でその音が聞こえた上野だったり浅草だったりする第二弾の時の鐘が鳴らされ
それを聞いたさらに周辺の時の鐘が鳴らされ、というように伝播されていく

耕書堂跡
さっきのイチマス田源には、蔦重の耕書堂が再現されていたが
耕書堂があった場所には、案内板があった

まだまだウォーキングは続きます
続きはまたあとで

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大手町から

(2/1[日]の事です)

この前、中央区ものしり百科という本を入手
掘割の本がも含めて、ドーンとGoogleMapへの「行ってみたいマーク」が増えました
前回、その中のいくつかを巡って消していったのですが、まだまだいっぱい残っています
さあ、行きましょう

朝、孫が産まれたとの朗報が届いたので意気揚々
大手町から
まずは江戸城に近い方から行きましょう
道三堀です
家康が最初に作ったのが道三堀(どうさんぼり)
その中にかかっていた道三橋跡です

大江戸今昔物語という古地図と現代の地図を重ねられるアプリで見ると、この青い丸のところです

呉服橋
道三堀が日本橋川に合流してすぐのところにかかっているのが呉服橋

一石橋
その隣が一石橋
大正時代に作り変えられた時の親柱が残されています


ここで面白いのが迷子知らせ石標が残されていること

江戸時代、一石橋のように人通りの多いところに立てられたもの
子供がいなくなっちゃった親が「たづぬる方」の方に紙を貼る

子供を見つけた人は、「しらする方」の方に紙を貼る

常盤(ときわ)橋
さらにその北側すぐの常磐橋を渡ります


日銀の横を通って進もうと思ったら、日本橋川の側に何やら橋らしきものが。
引き返して、日本橋川沿いの方を歩こう
えっ、何これ、橋を復刻したの?何橋?

結論から言うと常磐橋
昔はこの場所に掛かっていて、作り変える時に多少移動したんだと思う
橋を渡った向こう側の石垣や枡形門の跡がちゃんと残されていた
いやあ、知らなかった
だからウォーキングはやめられない



古地図アプリでいうとここ

その横に、渋沢栄一の銅像
実に立派

常磐小学校
常磐小学校になぜ来たかというと、これから行く西堀留川に関連しているから。
西堀留川と東堀留川も家康が最初に作った掘割なんだけど
最終的に西堀留川が埋め立てられた時に埋め立てられた土地の所有権を持ったのが常磐小学校
常磐小学校は土地の賃料収入で学校を運営した

中央区まちかど展示館のひとつくすりミュージアムに行ったのですが、残念。完全予約制でした
さらに、同じくまちかど展示館の小津和紙も日曜日お休み
小津和紙はウォーキングイベントではおなじみの場所
手漉き和紙体験とかもできますのでね

小津和紙はさらに掘割としても意味のある場所
先程お話した西堀留川の場所にその前からあったんですが
掘割を作るにおいてここの場所に移転してきた

お竹如来

お竹さんは普通の奉公人だったんですが
実に働き者で、かつ、こぼれた米を拾ったり、本来捨てる野菜を取っておくような倹約家
物乞いの人たちにもその食べ物をあげたりするので、物乞いの人たちにも大人気
その人たちにも手伝ってもらいながら、人の何倍もの仕事をこなせるようになっていきます
そんなある日、お坊さんがやってきて、お竹さんは大日如来の化身ですぞ
店の主人はびっくり仰天
それから、店の主人はお竹さんのために持仏堂(日常的に礼拝する持仏や先祖の位牌を安置する堂や部屋)を用意するのです。
それからというもの、お竹さんは念仏を唱える日々。そんな彼女を拝もうと佐久間家には多くの人が訪れ、列をなしたそうです。

それだけでは終わりませんでした
時が過ぎて、5大将軍綱吉の頃
綱吉の母、桂昌院がお竹さんの話をたいそう気に入り
芝増上寺内の心光院にお竹大日如来像と
お竹が使用した流し板を寄進、奉納します。
再度、お竹さんが大ブームになったのです

ウォーキングはまだまだ続きます
続きは明日ね

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