[ことば日本史] 高をくくる。高がしれる

ことば日本史、室町時代から


年貢や稲の収穫の見積もりの多少を「高」と呼んだ。

鎌倉時代末期までの荘園制の時代には、
田畑や屋敷の広さや等級に応じて年貢が徴収されていたが、
この体制が崩れてくると、金銭によって納めることが普通になった。

そうなると土地は、納める銭貨の「高」で示されるようになり、
「何貫文の土地」というふうにいわれるようになる。
これを「貫高制」という。

戦国大名たちは、この「貫高」によって土地の価値を把握し、
征服地を家臣団に給付するときも、これを知行高とした。
これは、実際に納められた額によるから
本当にその土地にどれだけの生産力があるか、や
どれだけ生産できたか、
ではなく領主と領民の力関係で変わってくる

強い領主のもとでは絞りとられるので、あたかも多く生産できたかの如くになる
全国まちまちになるので、「基準」とは言いがたかった

そこで豊臣秀吉は、「太閤検地」を行って、屋敷や耕地の面積をはかり、
生産高と面積とをかけて「石高」を算出した。

これによって年貢高から見積もり生産高へと、
土地評価の基準が変わったわけである。

これを「石高制」といい、
以降は江戸時代まで、家臣の知行地も石高で表示されるようになった。

石高は、大名や家臣の家格や軍役負担の基準であり、
この制度は幕藩体制の根幹となるものだった。

こうしたところから、相手の「高」を計算し、
みくびることが「高をくくる」とか「高が知れる」ということになる。

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日本語には、昔、「た。」も「である」も無かった

日本語には、昔、主語も文も無かった
の続きです

「た。」は過去形か
面白い問いかけですね
そんなの過去形に決まってます
学校で習いました

ただ、言われてみると微妙

ピッチャー振りかぶって第一球を投げました
打った

うーん、過去形?
現在形と言った方が良いような

同じような場面を英語で実況放送する場合は
現在形が使われている

これも昔は無くて、翻訳の中で作られたものだから
明確な形になっていない

江戸時代、蘭学者の中で、オランダ語を訳すとき
過去形や現在完了形を「~た」と訳したことに始まる
ただ、この時でも、「~た」を使うことは少数派
日本語の過去形としては「し」「けり」「たり」を使うのが一般的

「~た」を過去形として一般的になったのは、明治30年代、二葉亭四迷などから始まった
小説文の影響かと思われる

「た」はもとは助動詞「たり」の連体形
(たるなんじゃないかという気もするが)
後ろに何かが続くはずなので、「た」で切れる文はほとんど使われなかった

二葉亭四迷自身も使っておきながら反省していて
どうにもぎくしゃくしていて出来栄えが悪い、と言っている

今、口語ではどうかというと「た」で終わる文は使われない
「たね」「たよ」とか
そう言われればそうです
「た」で終わるってぶっきらぼうで、喧嘩売ってんのかってなります
「分かった」とか言うのは、もういいからこれ以上言うな、って時です

本によると、現在形の「食べる」のような「ル形」と言われるものも
翻訳で作られたらしいのですが
ここは、私自身、うまく理解できなかったので省略

である
「である」も以前の日本語には無くて、翻訳で作られたもの

夏目漱石の「吾輩は猫である」は
それまでの日本語にはない「~は」と「~である」を組み合わせている。
ね、変な日本語でしょ、笑ってやってください、という趣旨

日本語は「空は青い」とか「山は富士」のように
形容詞や名詞もそのままの形で述語になりえる
英語ではあくまでも述語は動詞
形容詞や名詞を述語で表現しようとすればbe動詞を使わなきゃならない
isとかです。懐かしいなあ、学生の時にbe動詞って言ってたなあ

日本語とは順番が違うので日本語の場合はisに当たるものを後ろに持っていって
「である」という言葉を作り出した

翻訳にのみ特有の言葉だったんだけど
明治になって、小学校の国語教科書に「デアリマス」が登場する
「あります」は江戸の遊里に特有な言葉だったんだけど
明治になって、教科書を作るとなったとき、方言を避け「標準語」を作ろうとして
「あります」と「である」から「デアリマス」の表現を使うようになった

教科書に載れば広がってはいきますが
やっぱり違和感ありありなので
吾輩は猫である、は当時今以上にヘンテコ文としてとらえられたんでしょう
それが有名になって、であるは逆に堅苦しい表現としては一般的な表現となっていったのかもしれない

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日本語には、昔、主語も文も無かった

「近代日本語の思想」という本を読みました

知らなかった事がいっぱい
へえ、日本語って、そんなに色んなものが無かったのか

まずは主語から

主語
これはなんとなく聞いたことがあるような

学生の時、英訳するときに苦労した覚えがある
英語ってめんどくさいなあ。いちいち主語を考えなきゃならん

言語学者の間では、日本語に主語があるかないか論争があるらしい
「近代日本語の思想」の著者柳父章さんによると
昔は日本語に主語はなかった
そもそも主語という概念が無かった
ところが、蘭学として江戸時代に西洋文化が入ってきて
翻訳するために「~は」という表現がされるようになった
広まったのは明治になって、大日本帝国憲法が発布されてから

第1条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第2条 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス
第3条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
第4条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
第5条 天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ
:

いちいち「~ハ」で始まっている
伊藤博文がドイツ人法学者ロエステルの憲法試案を翻訳したのをスタート台にしているから。

聖徳太子の十七条の憲法では「~は」はない

第一条、和を以って貴しと爲し忤ふこと無きを宗と爲す
第二条、篤く三寶を敬へ、三寶とは佛と法と僧となり
第三条、詔を承けては必ず謹め
第四条、羣百寮體を以て本とせよ
:

明治が始まる時点の、五箇条の御誓文にも「~ハ」はない

一 廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スヘシ
一 上下心ヲ一ニシテ盛ニ經綸ヲ行フヘシ
一 官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス
一 舊來ノ陋習ヲ破り天地ノ公道ニ基クヘシ
一 智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ我國未曾有ノ変革ヲ爲ントシ朕躬ヲ以テ衆ニ先ンシ天地神明ニ誓ヒ大ニ斯國是ヲ定メ萬民保仝ノ道ヲ立ントス衆亦此旨趣ニ基キ協心努力セヨ

柳父章は、明治以降広まったのは主語らしきものであって、主語とイコールではないという
主語というのは、西洋の概念なので近づいてはいてもイコールにはなりえない

いちいち「~は」をつけるのは勘弁だが、「~は」は慣れ親しんでしまっているので
無いのは無いで困る

では、主語って本当に「~は」なのか「~が」とどう区別すれば良いのか
「象は鼻が長い」の主語は象なのか鼻なのか

我々は言語学者ではないので、書いてあった難しそうな事は省略
もともと今の日本語に現れたのは主語的なものであって厳密に主語ではないので
「~は」も「~が」も主語的って事でばくっと解決にいたしましょう


それよりびっくりなのは、「。」で区切られる文(センテンス)が無かったということ
英語には必ず「.」ピリオドがあって、はいここで文(センテンス)が終わり
それを翻訳するに当たって、「。」を使うようになった
それをかなり強力に推進していったのが明治になってからの教科書

主語ってこの「文」というまとまりを支配する概念なので、文あっての主語

平安時代は、「。」だけじゃなく「、」も段落も無かった
もっと言うと、漢字かな混じり文も無かった

この辺はその前に読んだ「日本語の発音はどう変わってきたか」に詳しい
発音の話もまた改めてしますね

紀貫之の土佐日記に始まる平かなの開発は、その時点で漢字かな混じり文になった訳ではなく
平かなばかりが続いていく文
それも、区切りがなくただ文字が続いていく

あまりに読みにくいので、漢字かな混じり文にして、区切りで行を分けるようにしたのが
あの百人一首を編纂した藤原定家
大革命がなされた事になる
かなり読みやすくなったんだけど、句読点はまだ無かった

その後も、今からたった100年ほど前まで、短く文を切る事はせず
かなり長く続くことが多い
敢えて「。」をつけたが、金々先生栄華の夢は、以下の感じ

今ハむかし片田舎に金村屋金兵衛といふ者ありけり。生まれつき心優ゆふにして浮世うきよの楽しみをつくさんと思へども、いたって貧しくして心にまかせず。よつてつくづく思ひつき、繁華はんくわの都へ出で奉公を稼ぎ、世に出て思ふまゝに浮世の楽しみを極めんと思い立ち、まづ江戸の方へとこゝろざしけるが、名に高き目黒不動尊ハ運の神なれば、これへ参詣して運のほどを祈らんと詣まふでけるが、はや日も夕方になり、いと空腹になりければ、名代の粟餅を食わんと立ちよりける。

もともと「。」は芝居の台本で、台詞で間を開けてほしい時の記号

学校での教育により、「。」をつけることが広まったとはいえ
最初の頃は、専門家のはずの小説家でさえ、今の我々からみると「、」と「。」が混同されているケースがかなりある

このあと
「た」で終わる文は無かった
「である」は無かった
と続いていきますが、次回といたします

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[古文書]百人一首は美しい

古文書解読に再挑戦
の続きです

今、古文書解読に挑戦していっているのですが、その現在進行形のレポートです

かな
前回、平かなだけでは古文書解読は難しく、漢字の解読も必要だったという話をしました。
「江戸が大好きになる古文書」は漢字中心

やっぱり平かなも読めるようにしたいので、一旦平かな側に行って
また漢字、平かな、と交互にいこうかな

平かなを覚えるために、良い材料はないかなと探すと、ありました
変体仮名「読み」学習帳:小野鵞堂先生書の百人一首で学ぶ

百人一首なら、以前シリーズでやりました
結構前なので忘れてはおりますが、全く下地がないわけではない

何が良いって、下に母字(平かなの元になった漢字)まで対応して書いてくれている

そして、次のページに再度のおさらいと、歌の概略の意味
この概略の意味が良いんです
以前シリーズでやったときの事がぼんやり思い出されて歌に愛着がわく

その下に歌留多バージョン
今は平かなひとつの音に対してひとつの形の文字にしか対応していないけど
昔は、いくつも対応し、おそらくその時の気分でかき分ける
従って、小野鵞堂先生と使う仮名が違う
歌留多バージョンの方が文字が続いていないので読みやすい

だんだん慣れてきて
五七五七七のうちのいずれかの部分が読めるようになってくる
第五十首くらいで、丸々読めるものがあった
歌を覚えていたってのがあるんですがね
そのあともちょこちょこと

そうなってくると楽しくなってくる
最後まで行ったあと、また最初から
そしてまた3回目
だんだん通すのが早くなってくる
歌自体も覚えてきて相乗効果

さらに言うと、「美しい」
さすが書の大家
ほれぼれします
平かなの古文書の続け文字はこんなに美しいものだったのか
花の色は うつりにけりな いたずらに わが身夜に降る ながめせしまに

ちはやぶる 神代も聞かず 龍田川 から紅に 水くくるとは

久方の 光のどけき 春の日に しづこころなく 花の散るらむ

そうなってくると、今度は美しいものを見たいという欲求にかられてきます
百人一首で他にないかな

歌留多なので下の句は文字数が少ない
美しさ重視でバラバラに配置されています

いまひとたびの みゆきまたなむ

三笠の山に いでし月かも

よをうじやまと 人は言うなり

知るも知らぬも 逢坂の関

おとめの姿 しばしとどめむ

紅葉のにしき 神のまにまに

吉野の里に 降れる白雪

美しいっ

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