[三十六歌仙]28 藤原高光。さるとらへびよ、わしが相手だっ

藤原高光

春すぎて ちりはてにけり 梅の花 ただかばかりぞ 枝にのこれる
春が過ぎて散り果ててしまった梅の花であるが、ただほんのわずかばかり枝に残っている

藤原高光
藤原高光は当時大人気だった人物
あの藤原氏北家の右大臣藤原師輔の八男
超セレブのお坊っちゃま

お母さんは斎宮の雅子内親王
斎宮の息子というちょっと珍しい生い立ち

それだけでも話題の的なのに
三十六歌仙に選ばれるほど滅法歌がうまい

誰しもがうらやみ、将来を約束されていた筈

ところが

21歳にして、突然出家してしまうのです。

もったいないーっ

ちまたではその話で持ちきり

おそらくそれが影響したのでしょう
高光に関わる伝説が生まれます。
なんと怪物退治の伝説

さるとらへび
奈良時代の霊亀から養老年間に、都で怪しい光が飛び回ります
何やらただならぬ予感

出たぁ
か、怪物だあ
鳴き声は牛に似ていて山洞にその声が響きとても恐ろしい姿

瓢(ひさご=ひょうたん)に化けた怪物
しかして実態は
「頭が猿、体は虎、尾は蛇」の「さるとらへび」

おそろしやー

すっくと立ち上がる高光
わしが相手だっ

続けざまに矢を放ち
ぎえええええっ

和歌
春すぎて ちりはてにけり 梅の花 ただかばかりぞ 枝にのこれる
春が過ぎて散り果ててしまった梅の花であるが、ただほんのわずかばかり枝に残っている

出家して比叡山に住んでいた頃、ある人が薫物を請うたので、
僅かに残っていた梅花香を贈った

すみませんね。あんまり香りが残っていないでしょうが。

出家しようと思い立った時の歌

かくばかり へがたく見ゆる 世の中に うらやましくも すめる月かな
これほどにまで過ごし難く思える世の中にあって、羨ましいことに、
清らかに澄みながら悠然と住んでいる月であるなあ。

羨ましいと、このあと籠ろうとしている「山」をかけています。

出家したあと、都も恋しかったりします

百敷の 内のみつねに 恋しくて 雲の八重たつ 山はすみうし
宮中ばかりがいつも恋しく思われて、雲が幾重にも立ちふさがる山は住みづらいのです
宮中を九重というのにかけています。

白露の あした夕べに おく山の こけの衣は 風もさはらず
白露が朝夕置く、奥山の露に濡れる私の法衣は、もはやぼろぼろで風を防ぐこともできません。

新しい法衣を贈ってもらってありがとうの歌

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[三十六歌仙]27 藤原清正。代理で恋の歌を送っときました

藤原清正(きよただ)

天つ風 ふけひの浦に ゐるたづの などか雲居に かへらざるべき

天つ風が吹くという名の吹飯の浦にいる鶴が、どうして雲の上に帰らないことなどあろうか。
――そのように、私もいつかは再び昇殿を許されるであろう

今で言うところの和歌山県知事として赴任するとき
紀伊の歌枕「ふけゐの浦」に言寄せて、いつか帰京し昇殿を許されることを願って詠んだ歌。

和泉国の歌枕に吹飯の浦(ふけいのうら)があるが、
昔から、紀伊国の歌枕吹上(ふきあげ)の浜と混同されています。
この歌でも、吹上(ふきあげ)の浜と勘違いしての歌。
吹上の浜は、六義園でも再現されている有名な場所ですから。

普通は4年ほどの任期なのですが
この時は10ヵ月ほどで京都に戻っています。
この歌が効いたんでしょうか

もうひとつ不思議な話があります
『忠見集』によれば、清正が紀伊守となった頃、
壬生忠見が清正に代わって少弐命婦に贈った歌とある

本人が留守の間に
代理で恋の歌を送っときましたよ、と

無茶苦茶親切な人ととらえるべきなんでしょうか。
これが恋の歌だとすると
鶴が雲の上に帰るというのは
またあなたの元へ伺いたい、というようなことになるのでしょう。

天つ風、雲居と来ると
やはり百人一首のこの歌ですね
天つ風 雲の通ひ路 吹き閉ぢよ をとめの姿 しばしとどめむ
空吹く風よ 雲間の帰り道を通せんぼしておくれ
素晴らしい舞を舞ってくれた乙女の姿をもう少し見ていたいから

もうひとつ、天にからんだ清正の歌

秋風に いとどふけゆく 月影を 立ちな隠しそ 天の河霧
(天の川の川霧よ、秋風によって深まる月の明かりを隠さないで)

天の川に霧がかかっているとは知りませんでした。
とても美しい情景です

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[三十六歌仙]26 斎宮女御。あの調べ

三十六歌仙シリーズです
三十六歌仙で5人しかいない女流歌人です

斎宮女御

袖にさへ 秋のゆふべは しられけり きえしあさぢが 露をかけつつ
袖にさえ秋の夕暮はそれと知られます。
浅茅の露のように儚く消えてしまわれた帝をお偲びしては、涙を注ぎかけて。

三十六歌仙シリーズでは、斎宮にかかわる歌を2首紹介しました。
皇室の娘が、伊勢神宮へ行って神に仕える
若い女性なのに男性関係を絶たなきゃいけない
悲しいドラマがもろもろ

という事でした。

いよいよ今回、斎宮本人です。
歌も「袖」から始まっています。
「袖」が入っていれば泣いているに違いありません。

さぞや哀しい運命を憂いて、と思いきや
ちょっと状況が違います。

徽子(きし)女王。重明親王の長女です。
承平6年(936年)9月12日、5月に急逝した斎宮・斉子内親王(醍醐天皇皇女)の後を受けて、
8歳で伊勢斎宮に卜定されます

10歳で伊勢へ群行
天慶8年(945年)1月18日、母の死により17歳で退下、同年秋帰京。

10歳から17歳までですからダメージは少ない
何とか女盛りには間に合いました。

厳密なルールだと、斎宮になった女性は独身を通すことになりますが
なんとこの人、叔父・村上天皇に請われて20歳で入内。
天暦3年(949年)4月7日、女御の宣旨を受けます

結構ルーズなルールだったんですね
良かった良かった。そんなルールはルーズな方がよろしい。

斎宮出身の女御は、史上二番目
斎宮女御と呼ばれます。

規子内親王(第4皇女)を産みます。
村上天皇の崩御後は源順、大中臣能宣、平兼盛ら著名な歌人たちが
徽子女王・規子内親王母娘の元に出入りして度々歌合せなどを催し、
村上天皇朝の歌壇を引き継ぐ風雅のサロンとして評判を集めることになります。

鑑賞
袖にさへ 秋のゆふべは しられけり きえしあさぢが 露をかけつつ
袖にさえ秋の夕暮はそれと知られます。
浅茅の露のように儚く消えてしまわれた帝をお偲びしては、涙を注ぎかけて。

村上天皇が亡くなったあと、村上天皇の娘(規子内親王ではない)が訪ねてきたとき
天皇の事を思い出して歌った歌

それでは、村上天皇と斎宮女御の歌のやり取りを何首か
【村上天皇】
斎宮女御にまだ会っていない時

吹く風の 音にききつつ 桜花 目には見えずも すぐる春かな
(風の噂にばかり聞きながら、美しい桜の花を目には見ることができずに春を過ごしていますよ。)

【斎宮女御】
その返歌
逢ふことは いつにかあらん 明日香河 さだめなき世ぞ おもひわびぬる
(あなたに逢うのはいつになるのだろう。「昨日の淵ぞ今日は瀬になる」と歌に詠まれた明日香川ではないが、明日はどうなるか知れない人生を思って嘆いてしまうよ。)

【村上天皇】
入内後
思へども 猶あやしきは 逢ふ事の なかりし昔 なに思ひけん
(いくら思い巡らしても一層不思議でならないのは、あなたと逢うことのなかった昔、自分は何を思って過ごしていたのだろう、ということだ。あなたと逢うようになって以来、あなたのこと以外何も考えられなくなってしまったのだから。)

いわゆる後朝の歌。結ばれたあとの朝に読む歌の事です。

【斎宮女御】
その返歌
昔とも 今ともいさや 思ほえず おぼつかなさは 夢にやあるらむ

それでは、斎宮女御で最も有名な歌。
斎宮女御は娘と共に、五弦琴の名手として知られています。
娘がまた自分のように斎宮となり、嵯峨の野宮に入りました。
その寂しい場所で歌会が催されました。
聞こえるのは、松に吹く風の音のみ

琴の音に 峰の松風 かよふらし いづれのをより しらべそめけむ

松風には琴の調べが宿ると聞いている
それがこの音なんだろうか
そう
あの時二人で奏でた調べ

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[三十六歌仙]25 源信明。愛しているよ。私もよ

源信明(みなもとのさねあきら)

ほのぼのと 有明の月の 月影に 紅葉吹きおろす 山おろしの風
ほのぼのと明けてゆく有明の月の光に山から吹き下ろす風に紅葉が舞っているのが見えます

源信明
光孝天皇の曾孫です

村上天皇代、名所絵の屏風歌などを奉る歌では定評のある人

中務(なかつかさ)との歌のやりとりが多く、ひょっとすると夫婦だったかも知れない

中務と言えば、あのすごい女性、伊勢の娘です。
中務も三十六歌仙に選ばれています。

源信明と中務との間には女児がいます

中務に送った歌がこれ
年ふれば 忘れやせむと 思ふこそ 逢ひ見ぬよりも 我はわびしき

何年か経てば、貴女は私を忘れてしまうでしょう
そう思うことの方が、逢えないことよりも切ない。

中務の返歌は「ながらへむ命ぞ知らぬ忘れじと思ふ心は身にそはりつつ」。

鑑賞
ほのぼのと 有明の月の 月影に 紅葉吹きおろす 山おろしの風
(ほのぼのと明けてゆく有明の月の光に山から吹き下ろす風に紅葉が舞っているのが見えます)

五・八・五・八・八と、三句も字余りのある珍しい作。

『深窓秘抄』『近代秀歌』など多くの秀歌選に採られた、信明の代表作です

「ほのぼのと」という語は、現代ではどことなく温かみが感じられる表現に使われがちですが、
実は暗い状態にやや光がさしてくる様子だったり、
ほんの少ししか光がなく薄暗いさまを意味します。
つまりこの和歌は、ぼんやりとした奥深い情景の傍で、
山から吹き下ろされた冷たい風によって、
情緒的な紅葉が一掃されたという意味合いのものとなります。

この歌を重要視し、これを常に胸に置いて和歌というものを案じるといいといったのが、心敬
「冷えさび」の教科書のような歌だとされてきました。
あの正岡子規も大絶賛しています

それでは、中務とのやりとりをもうひとつ

はかなくて 同じ心に なりにしを 思ふがごとは 思ふらむやぞ

頼りない気持のまま、あなたと心を一つにしたけれど、
私が思っているほど、あなたは思ってくれているでしょうか。

中務の返し

わびしさを 同じ心と きくからに 我が身をすてて 君ぞかなしき

切ない気持ちでいることは、貴方も私も「同じ心」なのですね。
そう聞きましたからには、我が身など捨てて顧みません。
ただ貴方のことが愛しくてなりません

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