渋川春海。暦を作った人は碁打ち

「江戸の理系力」の話はしました。
勘違いしていたかも知れない。江戸の理系力

その後、「江戸のスーパー科学者列伝」という本も買って読みました。

これはすごいっ、て人を一人ずつ紹介することにいたしましょう。

初回はやっぱりこの人からでしょう。

渋川春海
天文学者。1639~1715

渋川春海は、「天地明察」という、最近映画化された小説の主人公。
生粋の天文学者と思いきや、碁所(ごどころ)四家(本因坊、安井、井上、林)のひとつ、安井家に産まれる。
ということなので、父、算哲の名を継いで、二代目算哲という碁打ち。

本人は、家業とは別に、子供の頃から強く興味を持ったのが星。
北極星は唯一動かなくて、他の星はその周りを回っている、というのは
随分昔から知られている常識
その常識に春海少年は疑問を持った。
庭の竹を利用して北極星の正確な位置を毎日観察
微妙に北極星も回転している事を発見した。

親はビックリして、
お前は北極星の生まれ変わりだ


天文学となると、暦がひとつの大きな到達点
太陽と月の動きを極めて緻密に計算して
少しずつずれていく一年を、
何年に一度どういうふうに修正するというルール作りこそが暦。

日本では、唐の時代、西暦822年から使われていた宣明暦(せんみょうれき)というのを
800年以上の長きにわたって、ずっと使い続けていた
中国側は、71年後には違う暦に変えちゃっているんですけどね。
中国は為政者が変わるとすぐに暦を変えたがる。

そんな中でも宣明暦が特に優秀だったので変える必要がなかったのが変えなかった理由だけど
さすがに800年も使っているとずれてきた。

何がずれるかというと、日食。

面白いなあと思うんだけど、太古の昔から
政治において日食の起きる日を予想するというのは極めて重要なこと
日食の日は前々から準備して
一切の仕事を停止しないと災いが起きる。

それぞれの暦で、日食の日を計算できる。

春海は、中国の数々の暦を比較検討し
授時暦(じゅじれき)が最も優秀だと結論付ける

日本も暦を変えるべきです。
授時暦にしましょう。
と、幕府に提案。

ほんまか
そんなに授時暦は優秀なのか

2年後、宣明暦でも授時暦でも日食が起きますよ
でも、予想日はそれぞれ違う日
結論が出ますね

さあ、2年後

授時暦 ハズレ
宣明暦 大当たり

えええっ

人生
寝ぼけとるんか
寝言言ってんと、碁を打て碁を!

普通こうなりますね

ここからが春海の人生が大きく変わります。

どうしても納得のいかない春海
冷静に分析を始めます。

もう、こうなったら、碁を打っている場合じゃない。

結論
中国の暦は経度が違うため正確さに限界がある。
日本オリジナルの暦を作るしかない。

何年か経過して

よっしゃ出来た!
日本オリジナルの暦だ

貞享暦(じょうきょうれき)
幕府に
すみません
とっても良い暦が出来たんですけど。

あらま
この前、大ぼら吹いた渋川さんじゃありませんか
顔を洗って出直していただいてもよろしいでしょうか

と言われることは覚悟の上。

貞享暦の事を考えるに
もちろん渋川春海の熱意は尋常じゃないと思うけど
それ以上に、幕府がすごいなあと思う。

良いじゃないか
この前の事は無かったことにしよう。

実は、碁打ちの経歴が役にたった。

幕府お抱えの碁打ちというのは
何かのイベントで誰かと勝負っていうのもあるんでしょうが
もうひとつ重要な仕事がある。

幕府のお偉いさんに、碁を教える先生。
その時は相手がどれだけ偉かろうが先生であって、相手は弟子。

この時期の一番の実力者、あの保科正之もそうだった。

やり取りの中で、強い信頼関係と絆が出来たんでしょうね
保科正之を中心にして、数人が根回しに走り回る。

渋川を男にせねば。

実に823年ぶりの改暦
初の和暦。

朝廷
幕府にはもうひとつ思惑があった。
暦に関しては、朝廷側にずっと主導権を握られっぱなし。

陰陽寮(おんみょうりょう)という、安倍晴明で有名な占術を司る陰陽師(おんみょうじ)のいる部署が全てを取り仕切っていた。

一気に主導権を奪い取ろう。

陰陽寮に変わって、「天文方」という新設の部署を幕府内に作り
はい、こっちでやりますから。

そしてその初代は
渋川さん、頼まれてくれる?

あらま
碁はもう良いんでしょうか

それ以外
暦の変更の段階で、例の二十四節気も日本オリジナルに変えてればねえ
当然、渋川さんは中国からそのまま輸入した二十四節気が多少合わないのは分かっている。

ところがどう思ったか
もっと細かい七十二侯というのがあるんだけど、それを日本に合うように変更して
二十四節気はそのまま
残念!

それから
渋川春海の功績としては星座
中国から伝わっていた星座に61個も追加した。

天文測量のための機械もオリジナルでいっぱい作ったよ

旧暦でも太陽暦を使っていた(二十四節気)

「旧歴で読み解く日本の習わし」を読んでいて、とても驚きました。

それって丸々太陽暦じゃないの!

二十四節気
啓蟄(けいちつ)だの大寒(だいかん)だの聞いたことはありました。

簡単におさらいです。

月の満ち欠けの1サイクル29.53日を一月とし、
12ヵ月で1年としたのが旧暦
でも、29.53×12=354日は365日より11日短い。
3年たてば1ヵ月分もずれるので、約3年に1回閏月をもうけてその年は13ヵ月ある。
結局は太陽の一年の動き(365日)に合わせようとしているので太陰太陽暦と言います。

啓蟄(けいちつ)だの大寒(だいかん)だのは二十四節気(にじゅうしせっき)と言うんですが
いつも旧暦の話の中で話題になるので
太陰太陽暦の中で、季節を表現するために区切った表現だと思い込んでいました。

逆だったんですね。

二十四節気は太陽暦だった。

太陰太陽暦だと、閏月のある年とない年で、何月何日から田植えをしようという日が結構ずれる
不便なので、太陽暦も使おう。
一年365日を4つに分け
昼と夜の時間が全く一緒の日を春分、秋分
昼が一番長いのを夏至、短いのを冬至
これで、春夏秋冬が分けられる。
さらにそれを半分に割る(1/8)と、ここからが春夏秋冬ですよという
立春、立夏、立秋、立冬になる
半分じゃなく3で割ってみましょう
すると1/12になって太陽暦の月と同じ長さになるわけです。
これを節と呼んでいます。
1月節は立春と一緒、2月節は啓蟄、3月節は清明というふうに名前がついています。

さっきの1/8の8と12の最小公倍数が24なので、二十四節気という事です。

二十四節気名 月 新暦の日付
【春】
立春(りっしゅん) 1月節 2月4日頃
雨水(うすい) 1月中 2月19日頃
啓蟄(けいちつ) 2月節 3月5日頃
春分(しゅんぶん) 2月中 3月21日頃
清明(せいめい) 3月節 4月5日頃
穀雨(こくう) 3月中 4月20日頃
【夏】
立夏(りっか) 4月節 5月5日頃
小満(しょうまん) 4月中 5月21日頃
芒種(ぼうしゅ) 5月節 6月6日頃
夏至(げし) 5月中 6月21日頃
小暑(しょうしょ) 6月節 7月7日頃
大暑(たいしょ) 6月中 7月23日頃
【秋】
立秋(りっしゅう) 7月節 8月8日頃
処暑(しょしょ) 7月中 8月23日頃
白露(はくろ) 8月節 9月8日頃
秋分(しゅうぶん) 8月中 9月23日頃
寒露(かんろ) 9月節 10月8日頃
霜降(そうこう) 9月中 10月24日頃
【冬】
立冬(りっとう) 10月節 11月7日頃
小雪(しょうせつ) 10月中 11月22日頃
大雪(たいせつ) 11月節 12月7日頃
冬至(とうじ) 11月中 12月21日頃
小寒(しょうかん) 12月節 1月5日頃
大寒(だいかん) 12月中 1月21日頃

夏至とかを季節の中心に置いているから
今の太陽暦より、もっと太陽の動きに直接的。
「純太陽暦」とも言える。

昔の人は太陰太陽暦と太陽暦の両方を使いこなしてたんですね。
すごすぎます。

おかしいと思ってたんです。
伊勢神宮が暦を配って大人気、とか
確かに今でも、カレンダーは一家にひとつ以上あるけど
そこまでありがたがるかね、と

太陰太陽暦と太陽暦の変換表が暦だとすると
これは、365個の数字を曜日ごとに機械的に並べればすむ現代と違い
専門家がちゃんと作らないと出来ません。
大の月、小の月の並び、閏月のあるなしも毎年違う
さらに、農作業上、二十四節気が分からないと仕事にならん
となると、暦がいかに有難いものかが分かりました。

季節感
ひとつ問題があるとすると
季節感の肌感覚と春夏秋冬の区分が合わないという事でしょう。

春分、夏至、秋分、冬至を季節の真ん中と決めちゃって
そこからの前後3ヵ月分を春夏秋冬にしちゃったところ

地球って、日が一番長くあたる夏至が一番暑い訳ではなく
そこから地表がどんどん熱くなっていって、
2ヵ月近く先に一番暑いピークを迎える。

感覚より、科学的計算の方を優先しちゃった。
ある意味すごいと思うんですけどね。

8月8日から、はい秋です、って言われてもねえ。

立春、立夏、立秋、立冬は計算上のものとあきらめて
大寒や大暑といった季節の表現の二十四節気が
肌感覚とピッタリしていたら
誰も文句言わないんでしょうけど
それすら、肌感覚とは若干違う。

理由はこれが作られた場所
中国華北地域

日本の江戸とかよりは緯度が高いので
東北や北海道の季節感に近い
また、日本独特の梅雨や台風の要素が取り入れられていない。

中国の名前そのままじゃなく
日本の季節感の名前
梅雨とか、台風みたいに変えときゃ良かったのにね。

渋川春海がそれまでずっと使われていた中国の暦から
日本の経度に合わせて計算し直した
貞享暦(じょうきょうれき)を貞享2年1月1日(1685年2月4日)に改暦したとき
二十四節気のそれぞれの名前まで変えるチャンスだったのにね

日本だって南北に長いから
結局は、二十四節気も自分の地域で考えて
毎年、どこの何日目に、こういう農作業を行うといった
マイごよみを補足追加しておく必要がある。

逆に言うと、それさえ出来ていれば
二十四節気は、自然相手の仕事の強い見方になってくれる。

江戸では、かなは、こう書いていた

「江戸のマスコミかわら版、寺子屋式で原文から読んでみる」という本を読みました。

実は、結構前に読んでいて、その時は、すごいっと思ったのですが
習得するのがなかなか難しく今まで時間が経っちゃっていました。

江戸のマスコミかわら版~
どういう本かというと
江戸時代に書かれていたかな(ひらがな)を習得し
江戸時代のかわら版をはじめとする出版物を直接読めるようにしましょう。
その上で、色んな事件のかわら版を解説してくれています。

何とも贅沢なてんこ盛りの内容です。

江戸かな
実は、この本ではじめて「江戸かな」の存在を知りました。
(著者の吉田豊さん命名。一般的には変体かなに含まれちゃっています。)

お恥ずかしい限りですが
そう言われてみると、江戸に関わる本は結構読みましたが
本とか狂歌とかかわら版とかが原文で「元はこんな感じ」的に添えられている事はありました。

大体は絵にだけ眼が行って
横の字は、何だかよく読めないなぁ、程度
いずれにしても書かれている内容は解説されているので、全く気にもとめなかった。

ひらがな、カタカナの成り立ち的なことも「ん」の話やいろは歌や五十音表の話等で
ちょこちょこ書きました。

それでも「江戸かな」の存在は知らなかった。
ひらがなはいつ頃できましたよ、って時点で
今のあいうえおがそのままの形で出来ちゃったものとばかり。

江戸時代は、今のひらがなの形と違う文字も存在していた。
大体は、今のひらがなに近い文字もあるんだけど
第2バージョン、第3バージョンの文字が一部に存在していて
それを覚えないと当時書かれたものを読みこなせない。
(以下、引用は全て「江戸のマスコミかわら版、寺子屋式で原文から読んでみる」からです)

そういうと見たことある!って思ったのが「し」

あれこれ
簡単そうなものからまいりましょう
1.今のひらがなと字母(元となる漢字)が一緒のもの
くずし方がちょっと独特
や が ゆ みたいで若干戸惑います。

2.字母は違うが、字母となる漢字がなんとなく思い浮かび、分かりやすいもの
とは言え、き とか め とかは、かなり頑張って覚える必要があります
み は得意ですよ

3.字母も違うし、とにかく機械的に覚えるしかないもの
これの、※のところはぜひ覚えるべしということです。

難しい

字母が今のひらがなと違う場合がなんとも難しい。
た、はようやく覚えましたけど

かわら版?
なかなか覚えられないということで
自分に言い訳しだします。

かわら版一枚も持ってないしなぁ
結局この本でも出ているかわら版は、現代の中にしてくれている。

いけませんね
こういう言い訳。

そんなこんなで、結構長い間、ほおっておきました。

ところがです。
ウォーキングで色んなところに行っていると
江戸かなに出会う事が以外に多いことが分かってきた。

橋に書かれていたり。

あっ、これあの本に有ったなあ
何だっけ
えーっと

もちろん、困るという程のものではない。
より楽しめないというだけのこと

この前、明治神宮に行ったとき
宝物殿に入った。
明治天皇、昭憲皇太后に関わるお宝が展示してある

そこで、明治天皇か昭憲皇太后かが詠まれた和歌があった

まさしく江戸かな。

よし

今後も覚えては忘れの繰り返しだろうけど
再挑戦することにしよう。

劇作は最高のしょうもない文学

江戸の娯楽をいくつか書いてきましたが
今回は、江戸の文学

とは言いましても、堅苦しいのではありませんで
しょうもないやつです。

杉浦日向子さんの、「江戸へようこそ」からです。

戯作
江戸の文学に大きく戯作(げさく)と言われるジャンルがあります。

洒落本、滑稽本、読本(よみほん)、人情本、草双紙(くさぞうし)
草双紙は絵の入った本で、赤本、黒本、青本、黄表紙に別れる
内容と対象年齢で色が分かれるんだけど
赤は桃太郎の類いの子供向け、
黒は男の子向けの勇ましいやつ。武勇伝とか仇討ちとか
青は芝居噺が中心のいわゆるおんな子供向け。

黄表紙は、嘘。
実はそんなものは江戸時代にはない。
青本の発展形で、高級って訳じゃないけどちょっと大人向け
子供が読んでたらおませさん。

青本は日に当たると黄色に変色しちゃう。
じゃあ、最初から黄色に塗っちゃえ。

後の時代の人が黄表紙と名前をつけた。
江戸時代には、黄表紙も青本って呼ばれていた。

内容
ちゃんとした正道を行くものに対し、ちゃんとしてないやつ全般が戯作。

ブログでいうと、でーこんのブログ。

時期的に言うと、一番戯作的な戯作が華開いたのは、田沼意次の時代。
その後の松平定信の寛政の改革で弾圧を受けたので、
風刺の文学だと思われがちだけど
全くそんなことはない。

もっと内容がない。
教訓も主張もない。
パロディというのともちょっと感覚が違っていて
当時の流行り言葉がわんさか無理矢理押し込まれている

金々先生栄花夢
「江戸へようこそ」の中で
恋川春町の、金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)が全編紹介されている。
黄表紙、すなわち絵物語なので絵がそのままで
字のところは、読みやすいように杉浦さんが書き直している。

ストーリーは、片田舎の青年が江戸へ出ようと目黒不動に来て
名物の栗餅を頼み、できるのを待つ間に居眠り
その夢の中で、金持ちの養子になり、吉原とかで遊びたい放題
あまりの散財に勘当されたところで目が覚めると餅がつきあがっていた。
やっぱり田舎に帰ろう。
それだけ。

これを教訓と感じ、真面目に働こうという人が十人に一人くらいはいるかもしれないけど
まず、そういう目的では読まない。
黄表紙は、物語を楽しむ文芸ではない。

ありがた山のとんびがらす
うっちゃっておけ煤掃に出よう
等々、当時の芝居とかの流行り言葉が散りばめられているので
口に出しながら当時の口調で読み、本人はご満悦だったんだろうなあ。

今の我々が読むと、
はい?これがまたなんで空前の大ヒット?


こういうのを「茶」というらしい。
おそらく茶化すの茶

明るい無意味、吹っ切れた無目的
腹の足しにもならぬ笑い。

アバウト党の党首である私としては
とてつもなく魅力を感じるのです。

社会の多くがそういった方向を向いている。
子供たちはほぼ例外なく義務教育でもない手習いに通い
当時世界的にも例を見ない85%の識字率。
おそらく、大半は立派な人間になろうと思っているわけではなく
こんなとりとめもない本が読めるようになりたい。

平和って最高!

おそらく弾圧をした松平定信は
どう読んでも風刺的要素がないこれらの文学に
内容として問題ありとした訳ではないだろう。

松平定信のくそ真面目な性格からして、逆
こんなあまりに内容のない文学を読んでいる暇があったら
もっと真面目に働けと

でも、庶民は「茶」の精神で
茶んちゃらおかしいやいっ