勘違いしていたかも知れない。江戸の理系力

「江戸の理系力」という本を読みました。

勘違いしていたかも知れない。

江戸時代
ここ、2年ちょっと江戸時代が気になり出して
色々調べていくうちにどんどんその時代が好きになっていった。

庶民ホントに楽しそう。

調べれば調べるほど
教科書で習ったイメージ

「江戸時代は鎖国をしていたせいで、先進諸国から遅れを取っていました。
庶民は貧困にあえぎ、厳しい年貢の取り立てに、生きるのもやっとでした。」

が間違っていたかに気づかされるのです。

早い段階で分かったのが、識字率85%で、当時の先進諸国と比べ大きく上回っていた
という事実。

これはとても衝撃的で
やはり、色んな江戸関係の書籍に色々登場します。

すごいじゃないか、江戸時代の国民は

でも、ひょっとすると
私自身、このイメージから抜けきれていなかったのかも知れない。

この本を読んでそう思いました。

大体、識字率85%が持ち出される場面って
「だから、明治維新で西洋文化が急激に入ってきても
見事に対応し、驚異的な速度で発展することができたのです。」
に繋がっていく。

私もそう思っていました。

言っても識字率85%って文字が読める読めないという
極めて低レベルな境目

それぐらいのレベルとしては
底辺がしっかりしていたんだというイメージに向きすぎていた。

高度
違うかも知れない。

すごいかも知れない。

実は、高度なところも
既に先進的だったのではないか。

確かにいわゆる産業革命は経験していない。
物の生産で、石炭石油の化石エネルギーを使っての
大量生産を「先進的」と位置づけてしまうと
「ごめんなさい」です。

江戸時代は敢えて
太陽エネルギーのみで上手く回していくことに
価値観を見出だしていたので
それは仕方ない。

そこは置いておいて
学問的、理論的、技術的な部分って
あれれ
これひょっとして
全然高度なところも劣っていないじゃない。

本の性質上
優れていたところを列挙する訳ですから
それをそのまま全体的なレベルとは言えないんでしょうけど

あげてあるのは
天文学
測量学
医学
数学

ああ、あれね
とすぐ思い浮かぶのが伊能忠敬ですね
このブログでも扱いました。
伊能忠敬の、隠居後の第二の人生は?
伊能忠敬の、隠居後の第二の人生は?(続き)

もちろん、この本でも驚異的な偉人、伊能忠敬については
多くのページを割いてあるわけです。

今までは
頑張って良く歩きました
すごい精度です。

でも、さすがにこの本は「理系」となっているだけのことはあります。
いくら訓練して一歩が寸法ぴったりで歩けても
やっぱりどんどん誤差は広がっていきますよね。

今、道路で良く見かける向こうで誰かが棒持って立っていて
こっちからもうひとりの人が機械覗いて「ハイオッケー」みたいな

あれ、もう出来ているし
当然生じる誤差は
図面にいくつも三角形書いて
同じ地点への線をいくつも書いて
三角形の残りの辺を高等数学(和算)で割り出しつつ
調整していく。
このやり方だと、途中に川や林の様に入っていけないところがあっても
計算で割り出せる。

よく読み書きそろばん、っていうから
数学って要は計算ね、って思ってたんだけど

ところがどっこい
日本で編み出された、和算という数学は
計算だけじゃなくて、既に高等数学のレベルに達していた。
三角関数を用いつつの面積体積の割り出し、
円周率の近似値
高次の連立方程式
行列式に至っては
和算の第一人者、関孝和が
世界で初めて発見したと言われている。

数学って全ての理系の学問のベースだから
それがもうすでに世界レベルなんだったら
測量学、天文学は数学からの派生だし
化学物理学については本書では触れていないけど
ひょっとして進んでたんじゃないの?
って思わせます。

細かい色んな面白い話は次回以降に取っておきますが
はっきり言って、こりゃすごい

となると
驚異的な速度で発達した訳でもなんでもなくて

はいはい、理屈は分かってますよ
ほうなるほど、こう応用すればこんなものが出来るんですか
感動ですなあ
やってみましょう

はい
こんな感じですけどどうでしょう

えっ早っ
もう出来たの

ってぐらいのものだったのかも。

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