[岩宿]6 赤土の壁でみつけたもの

[岩宿] 相沢忠洋というひと
[岩宿] 一家団らん
[岩宿]3 少年の孤独
[岩宿]4 戦争とおばさん
[岩宿]5 さよなら
の続きです
考古学の歴史を抜本的に塗り替える大発見をした、相沢忠洋さんの自伝「岩宿の発見」から

行商
戦後、喰っていくために始めた行商は軌道に乗った
うま味があると分かると、仕入値が高くなるとか
売ることを頼んでいた商店主が、自分でやると言い出した
それでも、自分で喰っていくには十分

行商の良いところは仕事場が大自然の中の村々だということ
各地で食料増産等のために掘り起こされたあとがそのままになっていて
石器や土器をはじめ、祖先の残した遺物が散らばっているのによく出会った
驚くほど多くの量だった

生活はなんとかなる
でも、それだけで人生足れりというには物足りなかった
心の中にわいてきた夢をより大きく求め、育てていこう

古本屋で、桐生、足利、前橋の地図を買い求めた
黎明期の遺跡地を見つけてはそのたびに、赤丸印をつけていった
増えるたびに、夢も大きく膨らんでいく

赤土の断面
柿の実が赤く色づいている日だった

山と山とのすそが迫っている間の狭い切り通しにさしかかった
両側が2メートルほどの崖になり、赤土の肌があらわれていた

小さな石片が顔を出しているのに気づいた
長さ3cm幅1cmほどの石片はガラスのような透明な肌を見せて黒光りしていた
すすきの葉を切ったようで両側がカミソリの刃のように鋭かった

その時はまだ、それがどれほどのものかは分からなかったが
人間の歴史のもたらす跡を感じとった
3片だけだったが、同様のものを採取
土器片がないか、周辺を見て回ったが見つからなかった

それまでの経験だと、石片があれば土器片がその近くから見つかる
土器片によっておおよその時期が見当ついた

何度も眺める

どうもその石片は今まで採集してきたものと少し違う

ひょっとして「細石器(さいせっき)」と呼ばれるものではないか
細石器の実物を見たことはないが、本などで見て知ってはいた

でもなあ

まだこの時点では、細石器が日本にあるかどうかが明らかにされていなかった
それまで明らかにされてきた「縄文時代」よりさらに前のもの

帰路を急ぐ

持っている本を確認
「日本の石器時代と細石器の問題」

日本の新石器時代文化が大陸のどの部分の文化に連なるかは今のところ全く不明である
この重要な問題の解明に細石器のごときは一つの鍵となるかも知れない

今まで採集してきた石片全てと比較してみる
やはり「違うもの」だ
それが細石器であるかは分からないが
特殊な石片であることは間違い無さそうだ

大発見
お気づきかとは思いますが
これは大発見中の大発見

それまで、日本には縄文時代より前の時代はないとされていたのに
それより前の旧石器時代が存在する事を証明する
文字通り「時代を変える」世紀の大発見

ただ、ここで
「ビッグニュース! 日本に縄文時代より前の時代があった!」
にならなかった

本人自体、これを確信に変えるまでずいぶんの時間がかかったし
あまりに常識破れなので、この時点で発表したところで誰も信じなかったろう

相沢忠洋自身、モヤモヤしつつ、長い長い年月を費やすことになる

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かごから解き放たれて
戦争が終わった
生死ギリギリのところからの生還

戻った桐生市では
ほとんどの日本人がそうだったように
食っていくために精一杯になる

ただ、精神的にはそれまでと全く違っていた

「かごから解き放たれて」と表現されている
それまでは不遇な境遇に、ただ流され
かごが被さり、自分は小鳥だった

父は鎌倉に行っており一人だったが
成人していたので、自分の意思で自分の行く末を決めることができた
それまでは、自分だけが不遇だったが
戦後すぐは、みんなが横一線

住んだ長屋の隣人と共に、食べ物を調達するための旅に出た

浅草で奉公に出たときの経験がこんなところで役に立った
調達交渉がうまく運ぶ

少し遠くまでも行くようになった
そして、ある日
横須賀まで足を伸ばした

お母さんに会いに行ってみよう

最後にお母さんと話した時は、おそらく生きては戻れないであろう出港前だった
今は状況が違う

久々の再会
お互いの無事を喜びあい、話がはずんだ

だが、時間がたつにつれ、様子がおかしくなってくる
お母さんの新しい連れ合いである、親切にしてくれた、工員さん
今では、親子であることは分かっている
忠洋の父の事を問いただしてきた
酒が入るとますます絡みつくようになった

親切にしてくれ、出港の時はわざわざ見送りに来てくれた
あの人と一体同じ人なのかと思うくらい

来るんじゃなかった

いたたまれなくなって、家を飛び出した

お母さんは追っては来なかった

夜遅かったので、ひたすら駅へ歩く
終電車にギリギリ間に合った

なのに、鎌倉で電車を降りてしまった
駅の待合室で一夜を過ごす

明くる朝、子供の頃に育った場所を巡る
知らない間に涙が頬を伝っていた

母はもういないのだ
自分に言い聞かせた

桐生へ戻ろう

さよなら

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志願兵として
相沢忠洋少年も、青年となり
日本は戦争へと突入していく

相沢青年は、志願兵となり、横須賀へ

駆逐艦「蔦」を作る仕事を担当
大工部門を受け持っている工員さんと仲良くなる

「兵隊さん、下宿は決めましたか?」

「まだです」

「どうです。広くはないが家でよかったら来ませんか」

休みには何度か泊まらせていただいた

3度目に訪ねたとき、おばさん(工員さんの奥さん)もおられて
こころづくしのごちそうをいただき、賑やかに雑談した
たまたま鎌倉の話になった

「鎌倉は子供の頃に住んでいたので知っていますが、あまり行きたくない」

「鎌倉のどこに住んでいたのですか?」

「浄明寺です」

「・・兵隊さん、お名前は?」

「相沢です」

おばさんは一瞬驚いたようだったが、取り繕うように別の話題に移った

あくる朝、帰るとき、おばさんも同じ方向に用事があるので一緒に行きましょう、ということになった

鎮守府正門近くになった時、おばさんが突然立ち止まった

「洋(ひろ)ちゃん、元気で大きくなったわね・・・」

おばさんは、11歳の時別れたお母さんだった

まったく戸惑ってしまい、その後何を話したか覚えていない

その後は上陸が許されない日々が続く
いよいよ出港が近くなった日、短時間だったが上陸が許された

急いで、工員さんの家を訪ねる
不在
思いきって、お母さんの職場先を訪ねてみた

近くの防波堤の上に並んで腰をおろした
「出港なんだね」
包みの中から大きなおむすびを取ってくれた
生まれて初めてのなんとも表現のできない味だった

この時、お互いに何を話したかも覚えていない
ひどく長い時間だったようにも思えるし、ひどく短かったようにも思える

「くれぐれも体に気をつけて」

当時、出港してしまえば、再び生きて再会出来ることなど思いもよらなかった

出港の日、工員さんも見送りに来てくれた
親子であることはまだ知らない

出港後、甲板に立ち、逸見の山の方を眺めた
その一角にお母さんがいる

季節が巡り夏になった
「蔦」は山口県の小さな漁村の海岸に敵機の攻撃を避け擬装接岸していた
8月6日、北東方の一角で異様な閃光が起こった
その方向に入道雲のようなものが広がっていた

全員が甲板に集められ
出撃命令が出されるであろうことが告げられる
それからの10日間は慌ただしかった

8月15日「総員集合」で甲板に整列
スピーカーから玉音放送が流れた

呉港へ終結せよとの命令が出る
自爆か、突撃出港かのいずれかだと思った

呉で伝達があった
「即時帰郷準備をするように」

戦争が、終わった
帰れる

19歳の夏だった

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転々と
両親が離婚
兄弟たちはそれぞれバラバラになり
忠洋少年は寺に預けられた

当初はお父さんが時々訪ねてきたが、だんだん来なくなってしまった
孤独な日々
何があっても嬉しく思うことがなくなり
ただただ家族で暮らした、一家団らんの日々が恋しくてたまらなかった
世の中の状況も戦争への空気が色濃くなっていく

1年が過ぎた頃、今度は、北鎌倉の叔母さんの家に移った
お父さんが叔母さんの家で住込みで手伝うようになったから。
叔母さんの家での生活はどうもうまくいかなかった

夏になると、お父さんが急に群馬県の桐生(きりゅう)に行くことになった
一緒に桐生へ

桐生の山の上で遊んでいると、ふと足元に土器の破片があることに気づいた
鎌倉で一家団らんの頃、土器を拾ったことが思い出される
ああ、ここでも遠い時代に祖先の一家団らんの場所があったのか、と
土器と一家団らんのイメージがさらに強く結び付くことになる

桐生での生活にやっと慣れた頃、お父さんに
「カツラ屋とはきもの屋と、どっちがいい」と聞かれる

少し考えて「はきもの屋がいい」と答える
お父さんは笛吹きの芸人
それが故に一家がバラバラになってしまったと考えていたので
芸人に関係の深いカツラ屋は嫌だった

奉公
浅草のはきもの屋で奉公することになる

学校へ行けるということだったが、それどころではなかった
働きづめの毎日は慣れてくるが
何から何まで差別されたのがどうにも辛かった

3月になり、ようやく夜学に行けることになる
朝晩で体はきつかったが、それでも学校は憩いの場だった

三社さまの夏祭り
初めて小遣いをもらって、遊びに出させてもらった
「つまらないものを買わずに貯金するんだよ」

露店でふとみると、石の斧とやじりが並んでいるのが目に入った
これいくら
50銭と30銭
懐には10銭しかない
何度も何度も手に取る

10銭しか持ってねえのか
じゃあ仕方ないなあ

ただひたすらに眺める
おじさんも、その様子をずっと見ている

その石斧、持ってきな

つまらないものを買っちゃダメって言ったじゃないか
と怒られたので、荷物の奥に隠す

翌日、学校に持っていくと、先生は誉めてくれて
土器が陳列してあるという上野の博物館のことも教えてくれた

行っては見たが、とても立派な建物だったので
自分のようなものには場違いじゃないかと
初回は中に入れなかった

年内最後の休日
意を決して上野に行った

本当なのか

自分が持っている石斧や土器の破片とほぼ同じようなものが
立派なガラスケースの中に並べられている

一巡りして、また戻って

「もう閉館ですよ」

声のをかけてくれた若い守衛さん
そんなに遺物が好きなら、一度遊びにいらっしゃい、と
手帳に、名前と道順を書いて渡してくれた

宝物の紙切れ
次の休みが待ち遠しかった

数野さんは暖かく迎えてくれて
石器や土器や昔の人の暮らしを色々教えてくれた

自分の家と思っていつでも遊びにいらっしゃい

遊びに行ける家ができた
その事がとてつもなく嬉しかった
借用した本をむさぼり読む
古代人への憧れが益々強くなっていった

実際に遺跡の出た場所に行ってみたい
数野さんからいただいた資料から
板橋区志村の小豆沢(あずさわ)から、土器が発見されたと知る

板橋ならなんとか行けないこともない
ずいぶんたったが、ようやく9月末になり出かける機会を得た

この辺の筈なんだけど・・
誰に聞いても知らないと言う
あきらめて帰ろう
喉がひどく渇いたので、水をもらえないかと一軒家に声をかけた

へえ、遺跡かい。おかしなものが好きなんだね
奥からおかみさんらしい人が出てきてくれた

そういうと、うちの裏の畑を掘ると
貝殻がたくさん出てきて、その中から焼き物のかけらも出てくるわよ

えっ。ど、どのような焼き物ですか

いくつか取ってあるなあ
あったあった

一目で縄文土器の破片だと分かった
何度も何度もなでまわし、ながめつづけた

欲しけりゃあげるよ。掘ればまた出てくるから
何度も礼を言い、土器が出た場所にも連れていってもらった

感無量だった
古代人の一家団らんの場所

続きはシリーズの次回

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