[昭和歌謡]20 天使の誘惑

昭和ヒット曲全147曲の真実シリーズです。

天使の誘惑
黛ジュン
作詞 なかにし礼 作曲 鈴木邦彦
1968年

好きなのにあの人はいない
話相手は涙だけなの
幸せはオレンジ色の
雲の流れに流れて消えた

私の唇に人さし指で
くちづけしてあきらめた人
ゴメンナサイネあの日のことは
恋の意味さえ知らずにいたの

うわぁ 純情!
人さし指で口づけしたんやと。

ところで、この歌
タイトルが「天使の誘惑」なのに
歌詞に「天使」も「誘惑」も出てこない。

でも、分かる気がするってところが
すごいですね。
なかにし礼さん

この歌売れましたよね
黛ジュンさん、レコード大賞。
ミニスカートでしたね。

今回、初めて知ったんだけど
お兄さんは三木たかしさんなんですってね。

純情
それにしてもこのとびきりの純情、良いですね。

私にも純情な頃があったなぁ

以前、好きな子と、全くしゃべれなくて
息も苦しくて、成績がどんどん落ちちゃった時のことを話したけど
あの頃
もちろん、その前の小学校高学年ぐらいまでさかのぼってもね。

顔が赤くなっちゃうのよ。
誰が好きなのか、すぐばれちゃう。
顔がほてって熱いのなんの。

みんなにむちゃくちゃひやかされて。

ところがですね
自分でも不思議なんだけど。

自分が好きな子じゃなくても
急に顔が赤くなっちゃう事がある。
これは困りもん。

相手だって困っちゃうよね。

あれ?
誰々さんの事が好きなんじゃなかったっけ
みたいに

もちろん、そっちも否定して
こっちも否定して。

もう、なんなのよ
って感じでしょうね。

紀州藩。なんちゅうたって紀州藩

紀州藩は御三家の中でも、最も中心的な役割を果たした藩です。

8代吉宗と14代家茂
だけど、正直
吉宗以降は、最後の慶喜以外、全部紀州藩みたいなもん。
いやいや、慶喜だって一橋家に養子に入ったんだから紀州藩

さらに言えば、尾張藩だって、最後の方は紀州藩。

吉宗がそうしちゃったんですね。
自分の血筋で全て繋げていくぞと。
御三卿という新しい仕組みを作って。

で、実際にそうなった。

幕府は紀州藩色に染まっているから
逆に言うと紀州藩独自のエピソードがあまりない。

で、今日は紀州藩の江戸屋敷についてお話ししようと思います。

江戸屋敷
参勤交代があるために、江戸には、一年おきに江戸に在住する時用の江戸屋敷が
びっしり。
各藩で言うと、大きな藩だと上屋敷中屋敷下屋敷の3箇所
小さな藩だと、2箇所だったり1箇所だったり。

でも、別格の紀州藩
3箇所どころではない。
和歌山社会経済研究所の以下のサイトで実に良く調べてあります。
http://www.wsk.or.jp/report/nakayama/02.html

えっここも? あらまこっちもという感じなんだけど
結構感動したのが、ほとんどウォーキングで歩いたことがある。

我ながら良く歩いたなぁと
感慨しきりでありました。

上屋敷
上屋敷の前に、元々、竹橋邸というのがあったらしい。
江戸城天守閣のすぐ近く、御三家が並んであった。
天守閣が焼け落ちた、明歴の大火の時に、こちらも焼けてなくなって
麹町に引っ越したらしい。
今の吹上御所の中。

上屋敷なんだけど
赤坂の東宮御所と迎賓館の場所

実は元々は、麹町が上屋敷で、赤坂が中屋敷だったんだけど
麹町が火事で焼けちゃった。
実質赤坂の方が上屋敷的使われることになったらしい。

明治4年(1871年)廃藩置県で旧紀州藩主茂承は和歌山県知事を免職
和歌山から上京(旧藩主は華族となり東京に集められたため。)してここに住んだ。

ところが、明治6年(1873年)皇居として使用されていた江戸城西の丸が火事で焼失
茂承は即日参内

どうぞ、赤坂邸をお使いください。

悪いねえ。

明治21年(1888年)新皇居が落慶するまで、この赤坂邸が皇居として使われます。

この前、迎賓館にウォーキングイベントで行ったとき
立派な日本式の門が一ヵ所だけ残っていたんだけど
それがこの名残だったんですね。
迎賓館

迎賓館東門

中屋敷(紀尾井町)
赤坂プリンスの場所です。
今の東京ガーデンテラス紀尾井町

文政6年(1823年)に焼失するまで紀州藩上屋敷でした
でも、その後再建されずに、中屋敷となっています。

なんかちょっと変な気がします。
再建されなかったんだったら
中屋敷としても使われなかった気がしますが
中屋敷として使える程度に再建したという事なんでしょうか。

公園として残してある、清水谷公園。
ウォーキングイベントで行きましたがとてもいいところです。
行ってみるとなぜ清水谷なのかがようく分かります。
まさしく都会のオアシス。
大久保利通暗殺の地なので、とてもでかい追悼婢があったり
昔の水道の事が分かったりと見処満載ですし。

千駄ヶ谷
現在のJR千駄ヶ谷駅南側・東京体育館の辺りから鳩森神社に至る地です。
明治になって、この広大な屋敷地は徳川宗家の所有となる。

江戸城開城で大奥を出た天璋院篤姫は、最終的に、この地に永住し、
16代家達を養育した。

その後、東京都が「武道館」建設の候補地として、宗家から譲渡される。
戦争のため武道館は建設されないまま終戦、
昭和29年に東京体育館が建設されました

このあたりもウォーキングで行きました。
鳩の森神社も良かったなぁ。
立派な富士塚があった


まだあるんですね

ここも行きました。
旧芝離宮恩賜庭園。
浜松町の駅から直ぐの綺麗な良い庭園です。

以前は海の水を取り入れて、潮の満ち引きで景観が変わっていた。

色々な人を経て、徳川清水家の屋敷に
弘化3年(1846年)に徳川清水家当主の斉彊が12代紀州藩主として就任したため、
紀州徳川家芝御屋敷(格は下屋敷)となりました。

明治5年には有栖川宮邸として使用され、明治8年宮内省が買い上げ、翌年、芝離宮

明治24年には迎賓館が建設されたが、関東大震災(大正12年1923年)で焼失、
翌年、昭和天皇御成婚記念として東京市に下賜されて恩賜庭園となった

木挽町
(中央区銀座1-19・20、2-12~16)
まだまだありますよ。

ここは残念ながら、庭園があるわけでも、婢があるわけではありません。
紀州から船で海上輸送されてきた物産を保管する蔵屋敷として使っていたようです。

松涛
渋谷駅から近くの松涛(しょうとう)公園の場所
ここも紀州藩

残念! ここだけ行ったことない

築地
ここが一番大興奮
ツキヂホテルの場所です。
今の築地市場の立体駐車場のあるところ。

元々、紀州藩邸だったのを安政3年(1856年)幕府に返上
勝海舟や坂本龍馬で有名な軍艦操練所ができ、
その後いよいよ、築地ホテルに。
築地ホテル大好きっ
この築地ホテルの存在が
私が江戸や明治文明開化好きになったきっかけですからね。

興味ありましたら
明治4年にツキジホテルって何だろそれ

日本橋蛎殻町
(中央区日本橋蛎殻町2-1)
日本橋蛎殻町のロイヤルパークホテルの辺りです。

万年橋
ここも行きました。
芭蕉庵史蹟展望公園の辺り。
隅田川沿いです

うわあっ
飽きてくるほど多い。

時期的にダブっていない場所もあるけど
ほぼ5箇所、最大7箇所。

すごいぞ
さすがは紀州藩
江戸屋敷見廻り担当の人は大変だったろうなあ。

[仏像の見分け方]五大明王たち、まずは降三世明王から

仏像の見分け方シリーズ
前回は不動明王でした。

今回はその取り巻き達
前川清に対するクールファイブですね
内山田洋だったり
えーっと・・はげてる人。

五大明王
五大明王は不動明王を中心に、
東に降三世(こうさんぜ)明王、
南に軍荼利(くんだり)明王、
西に大威徳(だいいとく)明王、
北に金剛夜叉(こんごうやしゃ)明王(真言密教)
もしくは烏枢沙摩(うすさま)明王(天台密教)

東西南北なので、四天王と考え方は一緒ですね

五大明王は五智如来(密教の五つの智恵をそれぞれ備えた
五体の如来の教令輪身であり、
如来と同じ方角にそれぞれの明王像が配されます。

降三世明王
降三世明王は、こんなことして本当に大丈夫でしょうか

降三世とは、三世を降伏させたという意味
じゃあその三世とは
過去、現在、未来の三世界を統べるヒンドゥー教の最高神シヴァ

シヴァを降伏させたなんてそんなこと言って良いの?
宗教戦争になるよね。

そもそも、明王は他教を取り入れてその神様達だったはずなのに。
そもそも、シヴァは不動明王だという説もあるくらいなのに。

なんと、足で
大自在天(ヒンドゥー教の神シヴァ)と
その妃烏摩(シヴァの妻ウマー)を踏みつけ、
その上に立っています

恐ろしや
シヴァのみならず、そのカミさんまで。
血の雨が降ります。

うちでカミさん踏みつけようもんなら
おこづかい減らされます。

ぜひ、これは見なかったことにさせてください。

見分け方
降三世明王は明王のなかで、最も恐い顔。
顔が3つ、目が3つ、手が8本です。

頭髪は逆立って、口元からは牙を出しています

胸の前で2本の手の小指をからめて交差させた
「降三世印」という珍しい印相を結びます。

残りの手で色んな物を持っています。

[百人一首]61 いにしへの~ はじめての大役

いにしへの 奈良の都の 八重桜
けふ九重に にほひぬるかな

遠い昔の奈良の都の八重桜が
今日 京の九重(宮中)に咲き誇りました

伊勢大輔
伊勢大輔(いせのたいふ)は、お父さんもおじいちゃんも三十六歌仙という
名門の家柄

超豪華メンバーを揃えた、中宮彰子に仕えるメンバーの一員になる。
中宮彰子に仕える超豪華シリーズは今日で最終回となります。
でも、超豪華は次回まで続くんですけどね。

鑑賞
まだ新人だった頃
大きなイベントが発生。
僧都奈良から、八重桜が贈られるという。

受け取り役という名誉な大役
当然、紫式部の名前が上がります。

ところが紫式部

私は遠慮させていただきたいわ。
どうかしら
フレッシュな伊勢大輔さんにお願いしては

えええっ、わ私ですか?

他ならぬ、紫式部直々のご指名。
反対する人はいません。

噂を聞きつけた、中宮彰子の父親、最高権力者、藤原道長

ほお、君が受け取り役をやるそうじゃないか。
どうかね
せっかくの機会だ
歌でお返しをしてみては。
私も、君の作った歌が聞いてみたいものだ。

いらんこと言います
ただでさえ、胃がキリキリ。

見事!
見事ですね
歴史に残る名歌と言って良い。

古都(いにしえ)の奈良と
けふ(今日)の京都

奈良と
けふ(京都)

八重桜と九重。ここのえを宮中と読んで、京都の都。

相手を立てつつ、自分のところの栄華を自慢する。

一堂
おおおっ、とちょっとした騒ぎになった。

あまりの出来に
心配で心配で固唾を飲んで見守っていた
中宮彰子

感激しちゃって大興奮。

やんごとなきお方は、大興奮すると
歌を詠んじゃいます。

九重に におふを見れば 桜狩
重ねてきたる 春かとぞ 思ふ

宮中に桜が咲き匂って お花見のよう
春が二回来たみたい。

「伊勢大輔の歌に比べればいまいち」感をちゃんと出してるあたり
わきまえていらっしゃいます。

こういうの一番泣けます。
社会に出てまだ数年の、二人の娘の父親としては
もう他人事ではございません。

ようやった。
ゆうてみ 何でも買うたるで