[昭和歌謡]番外編 傷だらけのローラ

えらいこっちゃ
そんな馬鹿な

同世代の人が亡くなるってニュースが
ちらほらで出だしました

そんな歳になっちゃったのかなあ、とちょっと複雑な気分

秀樹ですよヒデキ
ヒデキ感激、ハウスバーモントカレーです。

みなさんも西城秀樹の思い出は思いっきりおありなんじゃないでしょうか

いつも昭和ヒット曲全147曲の真実という本に載っている曲を原則その順番通りに
エピソードや思い出を話しています
こら、偉いこっちゃ、順番飛ばそうと見てみたら、あら不思議
載っていないじゃないですか

新御三家では、郷ひろみのお嫁サンバだけ
ちょっとちょっと、それどうなのよ
ちびまるこちゃんに怒られますよ

ということで、番外編

傷だらけのローラ
作詞 さいとう大三 作曲 馬飼野康二
西城秀樹
1974年

♪ローラ 君は何故に
ローラ こころを閉じて

私は初めて買ったレコードがグレープの精霊流し
その次がかぐや姫の妹よ
フォークソングが好きだったので、フォークのレコードはいくつか買ったけど

歌謡曲で、レコード買ったのは後にも先にも、この傷だらけのローラだけ

学校に言ったら友達が駆け寄ってきて
おい、昨日すごい歌聞いたで
傷だらけのローラ、っちゅうねん
まあとにかくすごいねん

ほんまか
お前が言うねんから、そらすごいんやろな
どないすごいねん

そんなもん、言葉で言えるか
すごすぎてひっくり返るで
はよ聞き

はよ聞きっちゅうてもどないすんねん

そらもう、レコード買うしかないがな

レコード買って、家で聞いた

ひっくり返った

思わずボリューム下げた
隣近所から苦情が来るんちゃうやろか

もうちょっとだけボリューム上げてもう一回

ビックリしたなあ
この人なんよ
何者よ

これほんまに歌謡曲やろか

西城秀樹
すごかったですよね
新御三家

あの頃が、歌謡曲でのピークなのかも知れませんね

男も女もグループばっかりで
一人で勝負せいっ、て感じはあります。

自分があんまりテレビ見なくなっただけのことかも知れませんが。

愛と誠の映画も見に行ったなあ

ザ・ベストテンの史上初
9999点、今週の第一位、ヤングマン、西城秀樹さん
得点ボードがオーバーしちゃった。

ご冥福をお祈りします。

今回は、くうちゃんも一緒に歌っています。

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クジャクサボテン

花カレンダー始めました

明治以降の庭園は?

庭園シリーズ、前回江戸時代まで行きましたね。

明治以降に参りましょう。

廃仏毀釈
明治維新は大好きなんですが
どうしても気に入らないのが、この廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)
神道こそが日本の宗教ぞ、と仏教を否定
お寺をどんどん壊していく

今までずっと、神仏習合って神と仏は一緒ですって言い続けてきたのにね。

その嵐は庭園にも及び、東京の大名庭園も壊されていってしまいます。
ああ、残念!

でも有難いことに、この傾向はそれほど長くは続かず
富国強兵、国粋主義へシフトしていく中で
旧き善き時代への懐古傾向が強まっていって
廃仏毀釈は忘れ去られていく。

今残っている名庭園は、ぐたぐた言っている間に
まあいっか、になった庭園

西洋風庭園
鎖国状態が江戸時代の260年も続いたので
庭園は日本独自の発展をたどり
西洋の影響を受けなかった。

ちなみに、元になった中国の庭園とも違う部分は
またの機会にお話しますね

明治維新だっ
庭園も、西洋のものがどどっと入ってきます。

さっき西洋風と書いたのは
やっぱり日本人。
そのままっていうのはしっくりこないので
アレンジしちゃうわけです。

不思議なのか当たり前なのか
日本庭園と西洋の庭園
こんなに違うかってくらい違います

日本庭園は、わびさびって感じだけど
西洋庭園って、スコーンと明るい感じ

基本的な価値観が違うからです。

西洋では、人間も自然も神様が作ったもの

日本では、自然自体が神様
自然自体を庭園に模倣することで、ああ有難や

西洋では、自然と同じものより、自然にはないもの超越したものに
有難やと感じるらしい。

自然にはないものは、まず直線
西洋庭園は直線でバンバン
おおっまっすぐー、きれいっ
自然を征服したぞー

次に完全な左右対称
自然にも左右対称っぽいものはいっぱいありますが
こりゃ完璧、ってものはないですからね

水なんだけど
日本では高いところから低いところに流れる
当たり前ですね

西洋庭園では噴水
水が下から上に
オーマイガー

石だって
日本じゃ、ちょっと変わった形の石を探して来て置くけど
西洋じゃ、彫刻とかを施してから置く

じゃあ、そんなに違うんだったら
日本人は日本庭園にしか感動しない?

どうでしょう、みなさん

私は、西洋風庭園も綺麗だなあと感動するんです。
噴水はあった方が嬉しいし
芝生と、花壇です。
日本庭園にはない要素

パンジーやペチュニアやマリーゴールドなんかが
どどっと咲いていて
芝生が綺麗に刈られて緑が広がっていると
みんなで輪になって座って、ハンカチ落としがしたくなる

逆もまた然り。
都立9庭園とかに行くといつも思うけど
外人さんたちの多いこと。
外人さんは、ホントに日本庭園好きですね。

何だか嬉しいです。
せーかいーはひーとつー

という事で、日本庭園と西洋風庭園が歩み寄り。

最近行った、肥後細川庭園、椿山荘、六義園
意外に、日本庭園と芝生って違和感ないのよね


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イソトマ

花カレンダー始めました

大野弁吉はロボット技師

江戸の理系力シリーズは、天文学、数学、医学と来ましたが
今回から、機械工学です

ちょっと割り込みで、先に田中久重やっちゃいましたけどね

大野弁吉
おおのべんきち 機械工学 

からくり技師です。今でいうロボット
以前紹介した田中久重より、若干前になります。
田中久重。東芝未来科学館に行って来ました。
田中久重。東芝未来科学館に行って来ました。続き
甦れ、田中久重の万年時計

からくり鯉の滝登り

笛吹き童子

からくり舞鼓人形

ああ見てみたい
からくりって聞いただけで、「男の子」はたまりませんね
茶運び人形とかは、動画検索してもらえると見れますよ

面白いのが、ねずみからくり
ゼンマイを回すと人形が太鼓を叩き、
ネズミが穴からチョロチョロ出てきて、また穴に戻る

根付・飛び蛙も傑作
根付けはとても小さなアクセサリーなんだけど
3cmほどの小さな蛙がゼンマイ仕掛けでヒョコヒョコ飛び回る

ほおーっ、て感心するだけじゃなく
ユーモアがあって笑える。

からくり以外
からくり以外にも色んなことしましたよ

ピストル作ったり
望遠鏡や時計

鶴の形の模型飛行機で実際に飛ばして見せた。

何とカメラまで作っちゃっています。
日本に紹介されたのが、1841年
その数年後、もう、自分で作っちゃっています。

理解者
こんな弁吉の良き理解者だったのが「銭五」とも呼ばれた加賀の豪商、銭屋五兵衛

弁吉は富や名誉には全く無関心で、気紛れな性格。
仕事は気が向かなければ、頼まれてもやらないから
常に貧乏。

親交の深かった銭五からでさえ弁吉は生活の援助を受けようとしない。
見かねて、銭五が米を持ってきた

いらんことすな

俺はお前に施しをしようとは思っていない
これは今から頼む指物の前払い

味噌、醤油、野菜、魚、弁吉の大好きな酒、
そして奥さんの着物まで持ってきたんです。

田中久重は東洋のエジソン、と呼ばれていますが
大野弁吉は北陸のダ・ヴィンチと言われています。

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ハナグルマ

花カレンダー始めました

イギリス公使、オールコック

オールコックは初代イギリス公使になります。

当時、文句なしに世界の最強国はイギリス

特に日本にとっては、最も影響を受け
世界と言えば、中国、と思っていたその強大国にアヘン戦争で勝っちゃった

そんな馬鹿な
信じられないことをやってのけた、恐い恐い国

そのイギリスが送り込んできたのが、このラザフォード・オールコック

オールコック
ペリー来航の6年後、1859年にやって来ます。

日本に攘夷の嵐が吹き荒れておりました。

アメリカの公使、ハリスの通訳をしていたヒュースケンが
1961年1月14日に、浪人たちに殺されてしまいます。

次はわが身か

オールコックは、日本にいた3年間で経験した事を
「大君の都」という本にまとめています。

江戸高輪の東禅寺を公使館としていたのですが、
東禅寺を、本の中でべた誉めしています。

「その寺は湾のへりにあって、十分な宿泊設備とひろい土地を有し、
しかも海上との通信·連絡も容易だという欠くべからざる条件を
全部かねそなえていた」
「これほど美しい草庵を選べたことは幸いだといわざるをえない」
「あまりにも完璧であるがゆえに、何か恐ろしいお返しが
わたしの運命の上に降りかかるのではないか」

残念ながら、その予感が第一次東禅寺事件として的中してしまうんです

第一次東禅寺事件
1861年7月5日、10数名の水戸藩士によって襲撃を受ける
でも、奇蹟的にオールコックはけがひとつしなかった。

後に別手組と言われる、護衛の武士たちが勇敢に戦ったんです。
護衛で頑張った人達は、イギリス本国から感謝のメダルを贈られています

そして、さらに翌年、1862年5月29日
今度は、その頑張った護衛のメンバーのうちの一人が
単独で襲撃をします。
第二次東禅寺事件。

婦人を伴って遊び回っていること
大切にしていた自慢の火縄銃をけなされた事が我慢ならなかったらしい
悲しいですね。

こうなると、恐くて仕方ないので、あんなに気に入っていた東禅寺をあきらめ
寺のような借り物じゃなく、常設の作ってくれと、幕府に強く訴え。

御殿山に、イギリス、フランス、アメリカ、オランダ4国の為の敷地を準備
まずは、イギリスの公使館を建設。
ほぼ完成と言う1863年1月31日
伊藤博文、高杉晋作、井上馨という超豪華メンバーを中心とした
長州藩士13名が、イギリスの公使館を焼き打ちにしてしまいます。

もう踏んだり蹴ったり

4国結託して、江戸を引き揚げ
横浜に移ろうとするんだけど
この頃から、仲良かった筈の4国が微妙な温度差を見せ始め

英仏、英米の各公使がどんどん仲悪くなっていきます。

観光
何度も危ない目に合ったオールコック
もう、日本はうんざり?

半分当たりで半分外れ

とても嫌になった日本は、幕府に対する印象
のらりくらりで、まともに安全を確保してくれない幕府の事が大嫌いになります。

おそらくこの辺の印象が、後に新政府側に大きく傾いていくベースになっているんでしょう。

残りの半分は、それ以外の日本
風光明媚な日本の事が大変気に入り
富士山や熱海など、各所を奥さんと観光して回ります。

富士山に登頂した初めての外国人としても有名です。

富士山頂にイギリスの旗を立てちゃう、やんちゃな事もしちゃうんだけどね。

次に行った熱海
吹き上げる間欠泉に愛犬が
当たっちゃって死んじゃいます。

悲しみに暮れるオールコックに
名もなき地元の人達が、丁重にお葬式をして
自分の事のように哀しみます。

これにはオールコックも感激
日本人の人情に触れて
本でも日本の庶民の事を忘れられない出来事として描いています。

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キツネアザミ

花カレンダー始めました