くうちゃん、緊急入院。頑張れ!

今朝、空(くう)ちゃんとキャベちゃんを起こしたら
空ちゃんの様子がおかしい。
うちのセキセイインコです。

空ちゃん
今ダイエット中で食事制限をやっているから
朝、餌をあげたとたんに、むさぼりつく。

あれ?
餌に興味を示さない。

キャベちゃんがいつにも増して激しくつつき落っこちた。

慌ててゲージを分けた

体が斜めになっちゃっていかにも辛そう
とうとう止まり木に止まっていられなくなって
地べたへ

これはまずい。
急いで娘たちを起こす。

くうちゃんが!

娘たちもなんとか餌を食べさせようとするんだけど
どうにも興味を示さない。

実は、先々週鳥専門の病院に行った。
長女がくうちゃんの鳴き方がおかしいと異変に気付く。
私は言われた後も良く分からなかったんですが。

長女は鳥たちに一番愛情を注いでいて
いつも遊んであげている。
帰って来たときは「ぴよ」と言いながら帰ってくるから良く分かる。

ハッキリした原因は分からないけど
甲状腺がどうのこうの
その薬をもらって様子を見ましょうと。

元気になった気がしていたんですが。

次に病院に行く日は、この土曜日
明後日まで持つかなあ。

空ちゃんは、一番最初にうちに来たセキセイインコ
2015年の8月だから、3年半とちょっと
そのあと海ちゃんが来て、
原因不明で突然死
そのあと、シャケちゃんが来て
また、原因不明で突然死
そのあと、今のキャベちゃん

パートナーが3人目なのに空ちゃんは元気に生き続けて来た。
人間でいうと40歳くらい。

見ているうちにどんどん悪くなっていった。
ほとんど動けない。
海ちゃんは、最後は見ていないんだけど
シャケちゃんの最後の時と似ている。
カミさんと私はあきらめムード
海ちゃんの時もシャケちゃんの時も、
こうなっちゃってから一時間くらいで亡くなった。

もうっ、諦めないでよ

長女が会社を休んで病院に連れていってくれるという。

悪いね、そうしてくれる?
空ちゃん頑張ってね

病院で
診てもらって、ハッキリした原因は分からないんだけど
いずれにしても、自力で全く食事を取れないので
それを何とかすべく、チューブで養分を飲ませる。
空ちゃん、そんなこと初体験なのでびっくり

病院が預かってくれて、そのあとも食事を与えてくれることになった。
緊急入院です。

長女が、夕方また引き取りに来ます、と行って一旦引き上げ
何とか頑張っておくれ

そして夕方
自分で餌を食べられるところまで回復したらしい。
かごの中をうろつけるくらいまで。
獣医さんの手も噛んだらしい。
よしっ。何とかなるかも

なぜ回復してきたかは分からないんだけど
多分温めたからじゃないかということで
とっても暖かくしています。

色々検査をして、尿が黄色かったので尿の検査をしたら
数字が悪かった。
肝臓が悪いかもということで
肝臓の薬をもらって来た。

これでこのまま回復したら、長女の大手柄です。
我々はあきらめてたからね。

頑張れ!空ちゃん。

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ミモザ

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家康13 信雄、何すんねん

家康12 天下の愚策
の続きです。

ずっとにらみ合いを続けていた、小牧。
突然大阪に帰っちゃったところまででしたね

秀吉は、
もう降参、とはもちろんなりません。

家康を見くびっていたかも知れん。
ここまでとは思わなんだ
こうなったら、にらみ合いは続けつつも
大きくターゲットをシフトする。

織田信雄(のぶかつ)
信雄家康連合軍の一方、信雄の方を落とす。

信雄領の城をガンガン攻めて、どんどん落とす。
家康への対峙は緩めないので家康は動けない。
初戦からすでに200日を越えています。

信雄からは応援要請がいっぱい来ており
家康としても、そっちにも兵力を割く必要がありそうだと考えて準備を始めた。

次なる一手
そろそろか

天才秀吉の次なる一手

敵を欺くにはまず味方から。
富田左近将監と津田右馬允を呼ぶ
古くから信長に仕えてきた二人

信長様はいかに素晴らしいお方であったか
涙ながらに語る。
いつでも涙を流せる名優です。

二人も、感極まり、畳に突っ伏して大号泣。

何かの間違いで、今このような状況にはなってはおるが
信長様への恩は、信雄様への恩とあいたがわぬ。
全く本意ではござらん。

お任せ下さい。そのお役目。

早速、信雄の元へ

涙の語りが通じ、講和成立。

信雄の本音は、「待ってました!」

領地のやり取りについては、秀吉側に有利ではあっても、飲めない範囲ではない。
信雄の娘を秀吉の養女とする。
信雄の家臣の子弟を人質として差し出す。
これだけ。

徳川殿に相談してから、という言葉はついに最後まで出なかった。

二日後に家康の耳に入った時、信じられなかった。
何かの間違いであろう。

でもそのあと、正式な使いのもの
かような次第にて。

絶望

憤りとかそういうのじゃなくて、ただ絶望。

随分周到に準備した
頼りない同盟相手ではあっても、勢力的には徳川領に匹敵し
ちょうど倍になる計算。
もし、この同盟がなければ、討っては出なかったろう。

しかも、ごそっと敵側に回る訳だから
どう強がっても勝ち目はない。

長きに渡って続けて来た、小牧長久手の戦い。
秀吉、家康、どっちの勝ち、と問われれば家康だろう。
であるが故に、返す返すも残念でならない。

いずれにしてもこの先の行動を決めねばならぬ。

そういうと、似たような事が過去にあった。
あの時は、石川和正の発案に救われた。
白黒はっきりせず、時間稼ぎをする案

石川を呼べ

秀吉の元へ
今回の和睦、天下万民の悦びでござる

こう伝えよ

はっ

われらが主人にありましては、
御両家のこのたびの事、あらあらめでたや、
かほどにめでたきことなし、
とそのことのみ申しておりまする

そうか。三河殿も喜んでくだされたか

満面の笑み。

ならば、天下鎮静のために、三河殿もわがほうへ養子を送らるるや

ありゃっ
こりゃ想定外
そんな問いへの答えはもらってきていない。

どうする数正

於義丸(おぎまる)(のちの結城秀康)さまをご養子にしていただきとうございます

判断
少し考えさせてくれ

結論は分かっている
人質は出さざるを得ない。

だが

それだけのこと。

普通、それは秀吉の傘下に入ることを意味する。
でも、家康はそうとらえなかった。
というか、そうしなかった。

通常なら、家康が連れていく。
でも、そうしなかった。
大阪へは行かぬ。

さて、先程の石川数正の答えだが
秀吉にある思いを起こさせた。

こやつ、崩せる。

手紙を書かせた。
数正から秀吉にあてた手紙に対する返信。
数正はそんな手紙は書いていない。

とても婉曲な表現ではあるが
内容は、数正が秀吉に内通していると思わせるもの。
いざとなれば言い逃れできるように、自分自身では書かない。

その手紙をわざと見つかるような場所にぽいっと置いてくる。

家康は、そんないかにも胡散臭い手紙ははなから相手にしない。

幹部たちも信じた訳ではないけれど
何かというと秀吉に好意的な数正のことを快く思っていない。

ひょっとしたらと、心のどこかでは思っている。
遠巻きにし、真綿で絞めるような、ねちぃっとした四面楚歌。

そんな空気を知らない家康。
於義丸の付き添いは、当然のように数正
数正は、さらに自分の子供まで差し出した。

石川数正は、徳川にとって特別な、発祥の場所、岡崎城の城主
いかに信頼されているかが分かるだろう。

ところが
付き添いのちょうど一年後、
妻子だけを連れ、岡崎城を逃げ出し
秀吉の元に走る。

悲しいですね
それなのに秀吉陣営の中で、歴史的にこれといった働きをしていない。
先に人質で行った息子の方は、それなりに活躍したんですが。

一旦区切りましょう。
続きは、シリーズの次回。

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ヒューガミズキ

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[大奥]6 家宣→天英院と月光院。壮絶なる女のバトル

大奥シリーズ6代目までやってまいりました。

大奥と言えば、天英院と月光院
大奥史上最も熾烈な戦いが繰り広げられた時期でございます。

実は一回書いています。
こちらも見てね
天英院と月光院、あな恐ろしや大奥女のバトル

家宣(いえのぶ)
6代将軍家宣はその前の綱吉が大嫌い。

4代将軍家綱にお世継ぎが出来ないその時点で、仕方ないので弟に。
弟は二人いて、綱重と綱吉
綱重の方が年長なので当然、綱重に行くと思いきや、通り越して綱吉に

その綱吉にもお世継ぎが出来なかったので
ようやく綱重に回ってくる順番なんだけど
綱重の方が年長なので、綱吉が死ぬときには、綱重の方が先に死んじゃってました。
唯一良かったのが、綱重にはお世継ぎがいた。
それが家宣です。

将軍を横取りされた父の恨み、とばかり
綱吉の取った政策をことごとく潰していきます。

将軍が次に回って来そうなので、例によって正室を京都の宮家からもらいます。
近衛熙子(このえひろこ)。後の天英院です。
まだこの時は甲府藩

かなり皇族に近い、大物です。

それまで、武道にのみ励んでいた家宣ですが
雅な世界に衝撃を受け
体育会系から文化系に大幅シフト
学問と芸能に目覚めます。

学問については、学者の新井白石を招聘
毎日毎日講義を受けます。

文化的にはことごとく京風に変えていきます。

次の将軍に決まった頃には、おすめという側室を得ます。
綱吉の側近柳沢吉保が身の危険を感じ、ご機嫌を取ろうと献じたもの

とても気に入られたんだけど、この人も公家出身だったため
京風に拍車がかかります。

48歳にしてようやく将軍に。
江戸城に乗り込みます。

前回書いたように、ひとつ前の綱吉の時から
江戸城の大奥では、京都派と江戸派がバトルを開始しています。

力をつけた京都派がどどっと殴り込み

今までは、正式に将軍になるまでは
正室は御台所(みだいどころ)と呼ばずに、御簾中(みすなか)と呼んでいた
ところが、いきなり御台所と呼ばせた。

びっくりした老中が、問い合わせに大奥へ
応対に出てきた斎の局(いつきのつぼね)

そんな前例があったのですか
私は、将軍家では室町御所の例式にならうと伺いました。
それゆえ御台所と呼びました。
事のついでに伺いますが、今後は室町将軍家より一段ひき下げてよろしいのですか

おお、恐ろしい。

ほんまかなと、各所に問い合わせる
林大学頭(はやしだいがくのかみ)も新井白石も分からない
新井白石が分からないってよっぽどです。

恐る恐る京都にいる御台所のお父さん、近衛基煕(もとひろ)に聞いてみた
すると、証拠の古文書を添えて
御台所(みだいどころ)と御簾中(みすなか)の違いをこと細かく解説した手紙が送られてきた。

ぎゃふん

仕方ないなあ
と、京都から江戸へ、基煕公が長期出張
二日に一遍ぐらい江戸城に登城してはしきたりとかの大講義

みんな反感を持つと思いきや
武士のみならず庶民に至るまで基煕公の大ブーム
杏葉牡丹の紋をつけることが流行る。

家宣も大喜びで言われるがまま

大奥も大名も、位に伴った公家の服
朝鮮王の使節への接待も、今までの能楽から雅楽に変わっちゃった。

城内、雅楽が大流行であちこちからピーヒョロロ

肝心のお世継ぎは?
御台所、天英院には、一男一女が出来るがすぐに死んじゃった。

それならばと、側室おすめに男の子、大五郎
これは、行けるんじゃないか

全てが京都一色になるように思われた。

江戸派
異変がおきました。
家宣、ある女性に一目惚れする
絶世の美女

今までのなよなよっとした京女ではなく、
健康的な魅力のある江戸女、お喜世
後の月光院です。

初めて、家宣の中に潜んでいた江戸っ子魂に火が付いた。

そして、お喜世が男の子、鍋松を産みます。

大五郎か鍋松か
嫌がおうにもヒートアップ

ところが、大五郎、三歳にして病死
大体こういうときは、毒殺説が出るのですが
真相は分かりません。

一気に江戸派が盛り返し。
強力な人が江戸派につきます。
間部詮房(まなべあきふさ)と新井白石
実質的に全ての政治を行っているこの二人

京都派の頼みの綱の基煕公をいつまでも江戸に引き留めておくわけにはいきません。

ただ、鍋松にしても病弱で予断を許さない状態。

そして、大きな転換期が訪れます。

家宣、風邪をひいたと思ったら
そのままころっと死んじゃった。

50歳ちょっと
将軍として3年10ヵ月の短い期間でした。

鍋松はまだ4歳なんですけど、7代将軍家継になります。

月光院は将軍の母。

勝負ありですね。

4歳の将軍に何ができる訳ではありませんから
間部詮房と新井白石は今までにも増して何でもできます。

悔しいっ
天英院は一、時期は、京都派が完全制覇の手前まで行っただけに諦めきれません。

何か方法がある筈だ。
毎日その事ばかり

そして、「その日」がやって来るのです。

さあ、続きはシリーズの次回ね。

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ハナキリン

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[昭和歌謡]74 昔の名前で出ています

昭和ヒット曲全147曲の真実シリーズです。

昔の名前で出ています
小林旭
作詞 星野哲郎 作曲 叶弦大
1975年

♪京都にいるときゃ 忍と呼ばれたの
神戸じゃ渚と 名乗ったの
横浜(ハマ)の酒場に戻ったその日から
あなたが探してくれるの待つわ
昔の名前で出ています。

独特の声でやけに印象に残る歌でした。
この昔の名前は何かですが
「ひろみ」です。
3番の歌詞に出ていますのでね。

ドラマチックです。
どんなことがあったんでしょうね
ああ気になる。

名前
親からもらった名前の他に、別の名前を持つ。
特別な世界の話でした。
結構最近までそうだったと思います。

一変した
SNSが身近になり
そこでは別の名前を持てた。
特別な世界ではなく、普通の世界

芸名のような別の名前を持つ人生ってどうなんだろうなと
ずっと思っていた。
そんなの嫌だなというニュアンスを持ちつつ。

でーこん、と、佐々木、は違う。

でーこんは、私の今の人生の中で、かなりのウェイトを占めている
ブログも、ウォーキング同好会も、でーこんですから。

こんなにすぐに慣れて、違和感のないものだとは思わなかった。
違う名前での私は
やっぱり私だった。

でーこんさん、と呼ばれるのは
佐々木さん、と呼ばれる事と全く一緒だった。

良く、バーチャルな世界だから、というような言い方をする
仮面を被っているというニュアンス。

他の人の事は分からないので
「でーこん」についてだけしか話せないけど
何にも仮面を被っていない。

むしろ、「でーこん」こそが、私を引っ張っていっている気がする。

ブログには世の中に対して否定的な事は書いていないと思う。
そちらの方がアクセス数が増えるのは知っているけど
後味の悪さが残ってしまうから。

ついつい、そういった内容を書いてしまったときは
読み返した時に、違和感を感じ、
だいたい消している。

「でーこん」というキャラクターを作り、演じていると思えなくもないけど
何度考えてみても、でーこんは私自身であり、私と1mmも違っていない。

でーこんを初めてから
気持ちの持ちようや、一つ一つの行動に至るまで
変わってきた気がする

でーこんよありがとう

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デンマークカクタス

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