[昭和歌謡]78 想い出まくら

昭和ヒット曲全147曲の真実シリーズです。

想い出まくら
小坂恭子
作詞・作曲 小坂恭子
1975年

♪こんな日はあの人の真似をして
煙たそうな顔をして煙草を吸うわ
そう言えばいたずらに煙草を吸うと
やめろよと取り上げてくれたっけ
ねえ あなたここに来て
楽しかったことなんか
話してよ 話してよ
こんな日はあの人の 小さな癖も
ひとつずつひとつずつ 想い出しそう

良い歌ですね
好きだったなあ
何回歌ったろう
歌詞もメロディも自然な感じでゆっくりしていて。
どういう時にというのじゃなく
気がついたら口ずさんでいるような歌

歌詞に特に出ているわけではないので分からなかったけど
今回調べてみて初めて分かりました。
死に別れの曲だったんですね。
小坂恭子さん本人の体験ではないけど
死に別れた恋人をイメージして作ったらしい。

言われて見ると、この切なさは、そうだなあと思います。

沢田知可子さんの、会いたい、にもだぶります。
さらに、会いたいで思い出されるのは、
大好きだったTBSラジオ、永六輔の土曜ワイドその新世界
「会いたい」という統一したテーマで数ヵ月放送したんですけど
送られてくる内容があまりに切なすぎて
数人から、このテーマは聞いていて悲しくなりすぎます。やめてください、とお便り。
永さんもずいぶん考えて、やっぱりやめましょうとなった。
その時作られた、会いたい、というタイトルの歌
歌詞は、会いたいという言葉をただ繰り返す。
私も、当時、思い出すことが多くて、とても聞いていられなかった。

死に別れは、きつすぎます。
時間以外、何も解決してくれない。
ただ、寝ては起きてを繰り返し
時がたつのを待つしかない。

♪こんな日はあの人の想い出まくら
眠るのが眠るのが良いでしょう。

索引はこちら
[昭和歌謡]シリーズはこちら(少し下げてね)

清瀬の長命寺は、ほぼ増上寺で、歴代将軍揃い踏み

今日は週末、日曜日。

13:00からマンションの自治会で定期総会
自治会の役員をやっておりますので、任期満了の最後のお勤め
お出掛けはできません。

昨日の土曜日は、カミさんがお休みだったので大掃除。
週末なのに2日連続でお出掛けできないなんて
フラストレーションがたまって何ともならん、という体になっちゃいました。

事故のあと、車がようやく修理で直ってきたので
カミさんと、長女が
あっちに送ってくれ、こっちに送ってくれと。
車の無いときは平和でございました。

長女を清瀬駅に送った後の、ちょっとの時間
このまま、車でどこか一ヶ所くらいなら。

長命寺
いつも車で横を通って、
大きいお寺だなあと気になっていた、長命寺

そのすぐ前に、うどんのチェーン店があるので、
そこで先に昼食を済ませちゃいます。
ネットで前調べ

長命寺と検索すると
隅田川横の桜餅で有名な長命寺や、練馬の長命寺
ありがちな名前ですからね。
ようやく見つけて、下調べバッチリ
浄土宗です。法然です。

うどん屋の駐車場に車を置いて
食事もしたから、ごめんなさいね

山門
すごく立派な山門

今、頑張って、寺院の建築の各部品の名前を調べているので
名前が分かったものは書きながらいきますね

1.屋根がもこっとカーブしているので唐破風(からはふ)
 唐破風が付いているので唐破風門ということで良いんじゃないかと思います。
2.唐破風鬼飾り
 ここでは、徳川ゆかりなので、三つ葉葵を使わせてもらえています。
3.懸魚(げぎょ)
 破風(はふ)の下につけたのは懸魚なので、これも懸魚で良いんだと思う
4.枓栱(ときょう)
 ようやく名前が分かりました。
 すごくかっこいい。
 上野東照宮のように霊廟になると、ここがカラフルになるのよね

山門の中から見上げたところ

一番上は、枓栱で良いと思いますが
その下の飾りシリーズが良く分かりません

鐘楼(しょうろう)
鐘衝き堂です

こんな大きな鐘楼はなかなか見れません。

1.枓栱が2段階に繋がっていますので、二手先の枓栱というやつです。
 かっこいい
2.垂木飾(たるきかざり)
 ザ・寺院って感じです

薬師堂

出ました。三つ葉葵

ちなみに、この紋のデザイン元になっている植物はフタバアオイというもの
三つ葉葵って、現実には存在しない架空の植物らしいです。

薬師如来像は清瀬市の有形文化財
残念、やはり拝めませんでした。

すごいのが、このあとの本堂もそうですが
灯篭や、宝塔等は、増上寺の、各将軍の霊廟やお墓のところにあったもの
なんで、そんな貴重なものがここにあるかというと
増上寺は太平洋戦争の空襲で壊滅的な打撃を受けて荒れ放題
あまりに広い敷地を管理しきれず、やもなく、切り売りすることになる。
その時のお墓を掘り出した時の話はこちら
増上寺、将軍のミイラ当てクイズ!

狭くなると、持て余す色んなもの
歴史的価値には目をつぶるしかありません。

誰か買ってください。

はい、と手をあげたのが西武鉄道。
一旦狭山に集めます。
重要文化財等は不動堂に。
その他大勢の石灯篭、墓石塔等の石材は、空き地にごろごろっと。

でも、空き地に西武球場立てることになって
誰かもらってくれません?

という経緯でここにございます。

灯篭には、増上寺の文字が。

これは、瑞春院とある


ということは、綱吉の側室で唯一男子徳松を産んだ、あのお伝の方じゃありませんか
ちょっとちょっとお伝の方の宝塔を空き地にごろっとはいかんでしょう。
せめて、説明看板書きましょうよ、長命寺さん
目立つ観音様の後ろのその他大勢の中に置いといちゃいかんでしょう。
たまたま私は写真撮って後で調べたから良いようなもんの。

こっちの灯篭には、常憲院が寄進したとの文字

常憲院とは5代将軍綱吉
こっちの灯篭は、有徳院

有徳院とは8代将軍吉宗
こっちは有章院

有章院とは7代将軍家継
こっちは淳信院

淳信院とは9代将軍家重

早い話が歴代将軍揃い踏み
それがこんな風に無造作に

八角宝塔
本堂の前、左右にどどーんとあるのが八角宝塔。
何と、向かって右が6代将軍、家宣の正室、天英院

左が11代将軍家斉の正室、広大院

出たっ、三つ葉葵

八角宝塔とはどういった位置付けのものなんでしょう。
お墓としての、宝塔は、増上寺や寛永寺にあるのは知っているんですが。
誰がどういう目的で作ったものか、なぜここにあるのかは分かりませんが
ちゃんと三つ葉葵が付いているので、おかしな紛い物ではないと思います。

本堂
ただただ大きくて、威厳がありました。

おっと、もう帰らなきゃ。

どこ行こう、そうだ!おでかけマップ

仏教では、なぜ肉食禁止なのか

雑草が教えてくれた日本文化史、という本を読みました。

肉食
江戸時代の事を調べていると、日本国民は、ほとんど肉を食べていないことに気づきます。
とても不思議だなと思っていました。

仏教の影響だというのは分かるとしても
それにしてもね

仏教では、なぜ肉食禁止なのか。
ようやく分かりました。

そもそも、仏教では肉食は禁止されていなかった。

出家者は、俗世の欲を否定するために
最低限のものだけを所有し、農業などの働くこともしない。
そうすると、死んじゃうので
托鉢を行って恵んでもらって生きていく。

出されたものは有り難くいただくので
それが肉だとしても、有り難く受け入れる。

禁止しているのは、むやみに殺すこと、であって肉食ではなかった。

仏教がおこったインドでは、少しずつ、殺生のイメージが強い肉食を敬遠するようにはなっていく。
そして、大乗涅槃経で、はじめて肉食禁止がうたわれる。

中国に伝わって、仏教は時の権力者により弾圧される事がたびたび起きる。
そのため、僧たちは、山岳地帯に逃れ
そこで寺院を展開していく。

托鉢して食料をいただこうにも、回りに人がいない。
失敗した。

仕方ないんで、農業をして食料を作るんだけど
良い理由付けを考えないといけない

これは、俗世の「仕事」をしているわけではない
「修行」をしているんだと。

どう考えても同じことをしているのは、ありありなので
やましい気持ちがいっぱい。

あっそうそう
大乗涅槃経を思い出し
肉食はダメだけど
植物なら良いと思うよ

精進料理という考え方を作り出し
これこそが、守るべき戒律だと。

でも、これは山の中の話であって、
中国でも一般にまでこの考え方が広がった訳じゃない。

日本へ
日本へは、このスタイルの仏教が伝わってきた。

日本人たちは首をかしげる。
肉食禁止、そりゃなんで?

動物には命があるから可哀想でしょ

びっくりした日本人
植物にも命はあるじゃない。

動物って、捕まえようとすると逃げるし
殺すと悲鳴をあげる
血だって出るし
ほら、可哀想でしょ

それは否定しません。
でも、カチンと来ているのは
植物にだって命はあるでしょ、ってこと

ここは、理屈の問題じゃなく
それぞれの民族が長い期間で養ってきた感覚的な問題。

ここで一旦整理しますと
キリスト教文化圏の人たちは
動物のうち、家畜かどうかで線を引くそうです。
人間も動物も神様が作ったものだけど
人間は、世界を支配することを神様から委託されている。
元々、家畜は神様が人間の食料にするという目的で作ったものだから
家畜を殺して食べても何ら問題はない。
でも、それ以外の動物は殺しちゃいけない。
植物はというと、ほぼ言及されていない。

インドや中国は、動物か植物かで線を引く
仏教には、六道というのがあるがその中には畜生道というのがある
人間は、動物に生まれ変わることがある
でも、植物道は無いから、植物には生まれ変わらない。
五行で言うと、木、火、土、金、水、の五要素。
木、は自然の構成要素であり
人間や動物とは違う。

日本はというと、どこにも線を引かない。
動物も植物も命があり、
もっと言うと、山にも、石にも川にも命がある。
人間も動物も神様に作られたものではなく
八百万(やおよろず)の神だから
神様も人間もほぼ同列
食べて良いものといけないものに線引きはなく
全て命のあるものをいただく訳だから
手を合わせて「いただきます」と言ってから食べる

そんな日本に、外来の仏教がやって来た。
本音で言うと、何でも取り入れるのが大好きな日本人なので、取り入れたい。
正直、植物の食料も豊富なので
魚が良いとさえしてくれれば
肉食禁止はそう困らない。
問題は、どう折り合いをつけるかだけ。

植物は命があるんだけど食べて良いと
仏教的にうまく解釈したい。

考えましたよ、日本人
草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)
中国のある書物にあったのを見つけ、あっこれだ!

おそらく、元の中国人たちは分かっていないと思います。

草木のみならず、山や川や石やすべてのものは成仏して、仏になれる。
出たっ、八百万の神ならず、八百万の仏
植物だけでも良い筈なのに、八百万に広げちゃう辺りがとても日本人的

でも、植物たちが念仏唱えて成仏するのは難しいものがあるので
人間がお手伝い
いただきます、と言って食べてあげて
その人間が成仏すればいい。
責任重大。
山や川や石はどうすんの?
ごめんなさい、良く分かりません。

さあ、問題の肉食禁止
元々、どっちでも良いと思っているので
ええよ、そうしよか

仏教を信じているか否かに関わらず、
全国民がほとんど実質的に肉食をしていない国民はかなり珍しい。

でも、禁止ってのもなんだしね
食べたくなったら食べれる方法を確立しておきましょう。

鶏肉なら、かしわ
馬肉なら、さくら
猪肉なら、ぼたん
鹿肉なら、もみじ

はい、植物です。

肝心の牛肉ですが
彦根藩では牛肉の味噌漬けが考案されて食べられていましたが
基本的に、牛は馬同様、古くから労働力なので
食べるという発想がなかったようです。
牛乳だって、子牛が飲むものだからということで、一切飲んでいません。

索引はこちら
[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

へんちくりん、江戸の面白絵

へんちくりん江戸挿絵本、という本を読みました。

改めて、江戸大好き
茶の精神です。

茶化す、の茶ですね

これから紹介しようとしているのは、大きなくくりでいうとパロディですが
風刺のような、批判精神があるわけではありません。

その場でクスッと笑ってそれでしまい。
後に何にも残らない。

そんな言わば「つまらない」ことが大好きな江戸の人たち
大田南畝、山東京伝、酒井胞一といった超一流の芸術家たちが率先してやっている
葛飾北斎なんかも同一線上にある

ちょっと前に紹介した千住宿の酒合戦なんかは
このあたりの一流芸術家たちが審査員なんだけど
入口の看板には
下戸と悪酔いするひとに加え、理屈言う人お断り、と書いてある

所詮人生糞袋

神様と仏様
元々不真面目なものを茶化しても面白くないので、対象は真面目なものになります
神様や仏様は良いターゲット

七福神が、吉原へ行っている、このパターンは結構多いです。
大田南畝(おおたなんぼ)の作品です。
天明元(1781)年作と書いてありますが、これは嘘
天敵の超堅物松平定信に見つかるとえらいことになります。

寛政の改革で、出版規制が入る前の作品だということにしましょう。

七福神ファンの私としては、一番気になったのが寿老人
頭が大きいのは、福禄寿の筈
どうも、大田南畝はほかにも頭の長いのを寿老人と詠む狂歌がありますから、
書き損じじゃないようです。
阿倍仲麻呂の「三笠の山にいでし月かも」をもじって、
鹿を連れた寿老人図に添えた「三笠の山のやうなおつむり」

何故これがそんなに気になるかというと
椿山荘にある福禄寿と寿老人が逆だったのです。
福禄寿の説明看板に、頭が大きいと書いておきながらの逆


こうなると、福禄寿と寿老人を逆にすること自体に特別な意味があるとしか思えない
ああ、気になる。

同時期の、超人気作家、朋誠堂喜三二(ほうせいどうきさんじ)の笑い話をひとつ
七福神のうちお腹の大きな大黒天と布袋和尚は、
みんなで連れだって歩くのにも遅くなります。
寿老人はつかわしめの鹿に乗るからいちばん速い。
弁才天は唯一の女ながら足早で、布袋に向かって「はやく歩みなせへ」と言います。
布袋答えて、「ほてえことをいふ人だ」
ふてえとほてえをかけただけですが
やり取りの様子が可愛いですね。


こちらの絵は、山東京伝の絵

千手観音が手を切り取ってレンタルするという、斬新な発想

黄表紙という絵の中に字が入る、一世を風媚するパターンの初期の作品
無造作に転がっている、切り取られた手
よほど儲かったと見えて、横に置いてある千両箱
面の皮屋千兵衛の笑顔が素敵です。

「絵本神名帳」(えほんじんめいちょう)という神様を色々紹介した本があります。
茂義堂(もぎどう)主人と名のる人物の序によれば、
昔、熟然房(つくねんぼう)というお坊さんが見せてくれた作品だと言っています。
もぎどう、はろくでなしの意味だし、
つくねんぼうは、ぼんやりたたずむ、の意味だから
これ自体冗談でしょう。

蝋燭のしん

芯(しん)と神(しん)をかけただけ
あまりのクオリティの低さに開いた口が塞がりません。

この神は夜な夜な現れて人を明るみに導くが、
「三十目、五十目、百目の位」があって(目は匁で重さの単位、蠟燭の寸法の違いをいう)、
「和光」つまり神仏の光明にもランクがある。
不信心だと芯を切るときに消え失せる、
と書いてあります

和蝋燭って、洋蝋燭と違い、芯を切りながら使うらしいです。

それにしても、この憂いに満ちた表情はいとおしくさえ感じます。

また、今度他のも紹介しますね。

索引はこちら
[江戸の文化]シリーズはこちら(少し下げてね)