山芋のふわとろ焼き。良いかも。

カミさんがどこかのスーパーのお惣菜で買ってきたふわとろ焼き

すごく美味しいね
何が入ってるんだろうね

形状は分厚くて小さなお好み焼きみたい

やっぱり山芋なんだろうね
小さく刻んで入っているのは、たこだろう

そういうと数年前に北海道の富良野とかを家族旅行したとき
美瑛で入った焼き物屋さんで山芋のふわとろ焼きを食べた。
すごく美味しくて
帰ってきてから一回挑戦したんだけど
いまいちちゃんと固まらなくて
そのまま忘れていた。

週末だ
再度挑戦してみるか。

そういうと、あのあと山芋焼きの元、みたいなものを買ってきたけど
使ってないなあ

山芋焼き
山芋とたこを買い出し

まずは、山芋焼きの元をそのまま作ってどうすれば良いか考えよう。

一旦これで作って、粉と、山芋パウダー、水120cc
卵1個も入れれば良いのね

はーい

豚肉になっているのをたこに変えよう。

たこは細かく切って塩コショウであらかじめ炒めておきました。

2枚焼けるのですが
とりあえず一枚。

セットの中のオタフクソースをかけて
はい、出来上がり

ここからが本番
残してあるもう一枚分と同じくらいの生地の緩さにしましょう。

今度は山芋パウダーではなく、山芋のすり卸し。
そもそも全体の量がさっきの倍近い
卵は倍の2個にしましょう。
前回うまく固まらなかったのは卵が少なかったのでは、との推測ね。

問題は粉ですが
お好み焼きの粉と大して変わらないであろう想定
一旦、さっきと同じ60g
ちょっと緩すぎる
卵を倍にしたんだから、理屈では120gだけど
ここを我慢すればよりふわとろになるかも知れないし
真ん中取って、90gで挑戦だ。

さっきよりは緩めなので、ひっくり返すのは難易度が上がりますが
これしきの事で弱音を吐いては、関西人として失格。

イメージは宇宙ステーションの中
フライパンとフライ返しとふわとろ焼きをシンクロさせて
ふわとろ焼きに重力を感じさせない。

ふわっ

はい、大成功

出来上がりのイメージは
元を使ったのと丸々一緒です。

ここで味を比べて、微調整すべきなのは分かるのですが
比べたところで、対策の打ち方が分からないでしょうし
勇気が沸きません

5枚焼いちゃいました。

どうだっ

さあ、食べ比べ

まずは、元を使った方。
うん、こんな感じね

さあ、オリジナル

えっ、えええっ
元、より美味しいやん
山芋の美味しさが良く出てるし、より、ふわとろ

とは言え
この前買ってきたお惣菜の方がもっとふわっとして美味しかった。

お惣菜のプロ、恐るべし。

カミさんに食べてもらうと
お惣菜の方が美味しかったね。

はい
否定はしません。

改善の余地あり、って事ですね
今度、天カスを入れると言うこともやってみようと思います。

食べ方は二種類。

ひとつはお好み焼きソースを付ける
出来ればオタフクソースにしてあげましょう。

もうひとつは、おつゆに浸けて食べる
好き好きではありますが、
次女はこちらの方がお好み。

にんべんのつゆ、みたいなのを薄めるだけ。

覚え書きです。
山芋360g
水120cc
お好み焼きの粉90g
卵2個
たこ70g

江戸東京博物館。「江戸のスポーツと東京オリンピック」

今日は、ウォーキング同好会のイベントです。

毎年猛暑対策にこの時期に行っている丸一日江戸東京博物館で江戸について喋りっぱなし

終わって、ああ疲れた。

イベントでは常設展示の江戸ゾーンを回ったんだけど
今、特別展の方で、「江戸のスポーツと東京オリンピック」というのをやっています。

前回のウォーキングイベントの時、メンバーから
招待券を2枚もらっていた。
普通に入ると1000円かかります。

イベント終わりで、あるメンバーが
せっかくここまで来たから
特別展も行きたいと。

じゃあチケット2枚持っているので行きましょうか。

江戸のスポーツと東京オリンピック

江戸ってスポーツって何だろう。

やっぱり武道や乗馬は、武士たるもの当然でしょう。
あと、思い付くのは、相撲。
江戸と言えば、相撲です。

意外にも家康が得意で
みんなに推奨したのが、水泳です。

ここまでは知っていたんですが
後は何だろうな

入口で撮影OKか聞いてみると
それぞれ、OKやNGのマークが付いていますとのこと。

はーい。

結論的には半分くらいしかOKが有りませんでした。

まずは水泳。
やっぱりそう来ましたか。
速さを競うものではなく
曲芸に近い感じ
とっても面白い絵だったんだけどいきなり写真NG

そのあと、馬術武道と来て、予想通り。
全部写真NG

出ました。予想外。
打球っていうんですと。
ポロに近いのかな。
馬にのって、玉を特別の道具でどうにかこうにか
全く分かりませんね。失礼。

そのあと、流鏑馬(やぶさめ)があって

やっぱり相撲
小野川と谷風の引き分け相撲

昔は引き分けというのもあったんですね

出た、雷電
重ねた手は私のね

蹴鞠(けまり)


江戸より前は、スポーツと言えば蹴鞠、というのは百人一首シリーズの時分かりましたが
どんなものでも自分達で取り入れちゃって遊んじゃうのが得意な江戸庶民。
やっぱり、蹴鞠も楽しんでいたそうです。

オリンピック
二つ目のテーマ、オリンピックゾーンに入っていきます。

嘉納治五郎先生

出たっ
金栗四三

友情のメダル

ベルリン大会での棒高跳び
金メダルが、アメリカの選手に決まったあと、日本人が銀、銅を争う
同じ記録のあと、風雨の中だったので、二人は話し合って中止を決定
帰ってから、半分にパリっと分けて半分ずつを接着したメダルを作る

おおおっ。本当に半分半分だ
残念。こんな良いのに、写真NG

1940年の東京オリンピックが決まったときの号外


せっかく決まったのに、戦況の悪化で、中止になった幻の大会。

そして、1964年の東京オリンピック

円谷幸吉のマラソンシューズも展示されていたのに写真NG
ああ残念。
円谷幸吉。おいしゅうございました。
会場のテレビで初めて、円谷幸吉のマラソンゴールを見ました。
競技場に入ってきた時は2位で、3位の選手にすーっと抜かれていく。
銅メダルでも十分なのに、色々言われたんでしょうね
自殺の時の遺書が悲し過ぎます。

体験コーナーとかもあって
大変楽しゅうございました。

おでかけマップ

[大奥]14 和宮。恋文を書いては破り。

大奥シリーズ、とうとうこの人。
スーパーアイドル、皇女和宮(かずのみや)でございます。
待ってましたっ

和宮(かずのみや)
14代将軍、家茂の正室です。

3代以降、全て将軍の正室は宮家(天皇家の親戚)
ないしは五摂家(藤原氏のうち、摂政関白になる事のできる、近衛、一条、二条、九条、鷹司)からのみ正室を迎えています。
子供のうちに死んじゃった7代家継は例外。
島津家からもらった、11代広大院茂姫と13代天璋院篤姫も最終的には近衛家に養子に入ってから輿入れ

初めて歴史が変わります。
和宮は天皇家そのもの

最初から、時間を追って参りましょう。

誕生
弘化3年(1846年)仁孝天皇の第八皇女として産まれます。

ところが、産まれるまでにお父さん、仁孝天皇は亡くなってしまいます。
その時点で、御所の奥の禁裏(きんり)はお兄さんの孝明天皇のものになります。
側室であった、お母さんの観行院は実家に帰り、橋本家で出産します。
従って、お父さんの顔は見たことがありません。

お父さんが亡くなっている上に、この1846年という年は特別な年
丙午(ひのえうま)なんです。

丙午産まれの女性は、相手の男性を不幸にする。

そんなん迷信や
えらいべっぴんさんの宮さんやないか
きっと幸せにならはる

とは言うものの、本人には
丙午のいわれをひた隠しにし
本人が知るのはずっとあと

二歳が過ぎても、つかまり立ちも出来なかった。
生まれつき片足が不自由。
やっと歩けるようになっても、片足は引きずった。

大丈夫や
高貴な生まれの宮さんなんやで
そないに歩かれへんでも
なぁんも不自由はあらへん

やはり不憫には思い、出来るだけ早めに縁談話
6歳の時、11歳歳上の有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)
何もかも承知です。

熾仁親王と同年代の男の子が橋本家にいたこともあって
橋本家に頻繁にやって来る。
和宮もいっぱい遊んでもらう。
親切なお兄ちゃん。

次第に、婚約と言うことの意味も分かってくる。
熾仁親王としても、年頃になって変化を遂げていく和宮を
恋愛の対象としてとらえるようになってくる。

歌の手紙が届くようになる。
もちろん恋の歌。

いやあ、どないしょう。

届いた途端に顔が真っ赤になる
どうやって返事を書いたら良いか
書いては破り書いては破り

そんなに大変なんやったら
もう送らんといてください、って言わはったら?

もうぉ
いけず

そして、いよいよ婚礼の時期が1年半後の具体的な日に決まる。

ああ、あのお方のお嫁さんになれるのね。

皇武合体
ペリー来航以来、世の中はしっちゃかめっちゃか

積極的な各藩は、どんどん発言するようになり
世の中の風潮は、幕府に厳しくなっていく。

てんでバラバラでは力にならないので
統一的なベクトルを持つようになってくる。
幕府より朝廷じゃないのか

江戸幕府が始まって、隅に追いやられ
見る影もなかった天皇という存在。
孝明天皇がもの言う天皇だったという事もあって、俄然注目を浴びる。

そうなると、幕府の中でも、朝廷と一緒になって難局に当たるべし
という皇武合体論
武士の世の中になってからの根幹部分に関わる歴史的大転換

そのために、次の天皇の正室を、天皇家そのものから迎えよう。

候補は3人。
一人は赤ん坊、一人はおばあちゃん、もう一人は1年半後に具体的な式の日取りまで決まっている婚約者がいる

和宮様でいかがでしょう。
幕府としても必死です。

お兄様、私は絶対嫌です。
そんなことになるくらいなら尼になります。
丙午だってことも言ってくださいね。

孝明天皇は断固拒否
もう一回言いますよ。和宮には婚約者がいるんです。

幕府は諦めません。
お許しをいただけるまで、ここを動きません。
ここがどこなのかは知りませんが。

孝明天皇は外国人が大嫌い。
世間では攘夷の嵐が吹き荒れている。
でも、幕府は及び腰。
外国に勝てるわけないのは十分分かっていますので。

よし、断る良い口実を思い付いたぞ
これを言ったら諦めるはず。

即刻攘夷を成し遂げること。
さすれば、許可しよう。

えっ、ありがとうございます。
即刻慎んで。

ちょっとちょっと
即刻攘夷だよ

はい

お兄様ぁ

渋々、和宮も了承。

熾仁親王は
婚約解消はいたしません。
婚礼の延期。
いつまでもお待ちしています。

和宮、吹っ切れてはいないから
無理難題の条件を和宮からも出して断ってもらおう作戦

大奥に行っても、京風を通すとか
御台所(みだいどころ)とは呼ばず和宮様と呼ぶようにとか
一ヶ月後ぐらいに京都に里帰りでお墓参りさせろとか

確かに大奥の評判はひどく落とすのですが
じゃあ、来なくて良いですとは言いたくても言えない。

反対派が襲撃するとの噂が出て、東海道は避け
中山道を大行列。

おトイレや、お風呂は
特別に部屋ごと作って、何十人もで担いで移動式

江戸到着
何度もごねつつ、江戸に到着。

家光の時の孝子のように、一生ブスッとして過ごすのだろうと思われました。

ところが、旦那様の家茂が信じられないような人だった。

この後は、シリーズの次回ね

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[天皇]17-18 履中、反正。倭の五王とは

履中(りちゅう)天皇
大兄去来穂別尊(おおえのいざほわけのみこと)~432年?

仁徳天皇の長男
羽田八代宿禰の娘、黒姫さんを奥さんにしようと思います。
ところが、弟の住吉仲皇子(すみのえのなかつみこ)が

私が、婚約者の大兄去来穂別尊ですよ、と偽り
黒姫を犯してしまう。

さらに
どう考えてもすぐにばれるぞと
先回りして、お兄さんを殺そうとします。

お兄さんもその事に気付き、さらに弟の瑞歯別皇子(みつはわけのみこ)と一致協力
住吉仲皇子を返り討ちにして殺してしまいます。

反正(はんぜい)天皇
瑞歯別皇子(みつはわけのみこ)~437年?

履中天皇の弟
履中天皇は、住吉仲皇子事件で協力してくれたので
借りがあります。
自分には子供がいましたが、瑞歯別皇子を皇太子に指名します。
自分が死んだら次は弟に頼むよ

その通り、履中天皇が亡くなった後、反正天皇となります。

ものすごい歯並びが良く
前から見るとこりゃ一枚の白い板でしょ、というくらい。
だから、瑞歯別皇子という名前

倭の五王
日本にはまだ文字がない時代なので
この時期の最中に書かれた書物がない

中国には文字があったので、その書物から推測するしかない。

宋書
北から騎馬民族が南下して国を打ち立てた。
宋です。
ここに、日本の王が挨拶に行った。

讚(さん)という王。
西暦で言うと、421年。

遠いところ悪いねえ。
と、爵号を贈られている。

その後とんとんと、数年おきに使者を送っている。

というようなことが「宗書」に書いてある。

それによると
421年から50年ほどの間に、5人の倭の王が宋に挨拶に行っています。
けっこう頻繁に王が変わったんですね。

倭の五王と言ったりします。

挨拶に行ったら、
大兄去来穂別尊(おおえのいざほわけのみこと)です
なんて言ったら
は?
って言われるだけ

自分の中国名を決めてから行きます。
ハンドルネームの「でーこん」みたいな感じかな。
漢字で一文字にします。

讃・珍・済・興・武
の5人です。

200年以上経って、日本でも文字が書けるようになって
古事記や日本書紀が出来る
履中天皇や反正天皇、また、和名の大兄去来穂別尊や瑞歯別皇子は
古事記や日本書紀に書いてある表現です。
それぞれの天皇がどれくらいの期間天皇としていたかは書いてあるんだけど
そもそも、各天皇は100年以上生きたことになっているので
元々疑わしい。

宋書の五王が古事記や日本書紀のどの天皇に当たるかがとても重要

明らかにこの名前でしょという中国名をつけてくれてりゃ良かったのに
それは、最後の「武」王だけ
雄略(ゆうりゃく)天皇です。
雄略天皇の和名は、大泊瀬幼武尊(おおはつせわかたけるのみこと)
前後は尊称だったりして、結局名前そのものは「武」だけ
疑う余地なし。

一番最後が決まったので、どう遡っていくか。

この辺りの天皇はこの通り

済・興・武の後ろの三人は、お互いの続き柄の関係を書いてくれているので
済=允恭(いんぎょう)興=安康(あんこう)武=雄略(ゆうりゃく)で
まあ良いんじゃないかと。

問題は、前の二人。
讃と珍

後ろの三人との関係を書いてくれていない。

さらに、中国内部でも、宋書と若干違う書き方をしている文書もあったりと
混沌としている。

宋書には讃と珍が兄弟とあるので
一番有力な説は、讃=履中、珍=反正

ただ、讃は仁徳天皇だとか、応神天皇だとか
はたまた、古事記や日本書紀には現れない、他の氏族だとか。
説が分かれるのは面白いです。
それによってけっこう色んな解釈が伴って変わってくる。

謎が謎を呼ぶんですね。

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