[天皇]33 推古天皇。日本初。美貌の天皇

天皇シリーズ、いよいよ推古天皇です

推古天皇については、以前にも書いているので、そっちも読んでね
推古天皇は聖徳太子よりえらいから2万円札?

推古(すいこ)天皇
592~628 額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)
教科書でも習いましたね
日本で初めての女性天皇
女性の天皇は古代においては、その後もぼこぼこっと6人
さらに、江戸時代に二人です。
古代は女性天皇華盛り

推古天皇から称徳天皇までの間で言うと
実に二人に一人は女性天皇です。

私の実感で言いますと
男性より女性の方が優れているのは、疑いようのない事実ですから
まあ、当たり前、という事でしょうか

とは言え
それまでずっと男性で天皇が継承されていったのも事実です
なぜここから、女性なのか
もうひとつの大きな疑問。聖徳太子はなぜ天皇にならなかったのか

そのあたりを踏まえつつ、話を進めて参りましょう

美人?
推古天皇って美人だったんでしょうか
とても気になります。

この頃の事って資料がほとんどなく
日本書紀だけ。

その日本書紀って、天武天皇が作らせた事になってますけど
実際にはその奥さん、持統天皇が作らせました。

従って、その意図を考えながら読む必要があります。

この頃の色んな主要人物の殺人は全て蘇我馬子がやったとなっています
ほんとかなあ
馬子は色んな時期天皇候補と姻戚関係にあるので、そんな必要があるとは思いがたい
ことさらに、蘇我氏を悪者にして、自分達の大化の改新を正当化しようとしているのかも

そんな日本書紀が、推古天皇について書いているなかで
容姿が美しかったとしている

他の女性天皇について何も触れていないのにです。

前回、推古天皇が次期天皇の最有力候補である穴穂部皇子を
殺せと馬子に指示したと書きました。
「奉じて」という表現ですが、おそらく推古天皇からの指示

ちょっと唐突感がありますね
何故?

もうひとつ前に事件があったんです。
穴穂部皇子から推古天皇に対する強姦未遂
旦那様の敏達天皇を亡くして喪に服している場所に押し入ってです。

いつか復讐してやろうと思ったかも知れません。

穴穂部皇子から考えて、そんな事件を起こすことは
政治的に何一つプラス面はありません。
女性としての魅力がかなりあったのでは、と思われます。

崇峻天皇暗殺後
その後さらに、崇峻天皇暗殺という大事件が起きました。
兄弟の継承で進んでいたのが、完全に候補がいなくなりました。

そうなると今度はその子供達の世代
普通に考えると、優秀だと評判の高い厩戸皇子(うまやどのおうじ)(聖徳太子)
推古天皇としては、やはり自分の息子、竹田皇子に就いて欲しいと思うでしょう。

二人とも、今までの例からして、不可能ではないんですが20歳前後という微妙な若さ
次を聖徳太子に譲ってしまえば、自分の息子にはもう戻って来ないだろう
であれば、一旦自分で繋ぐことにより
次に、天皇の息子ということで竹田皇子を最有力に出来る

ただこう考えるとどうにもおかしい。
聖徳太子を皇太子として明確に位置付け、次期天皇ですよと宣言している。
不思議だ。

一番つじつまが合うのが
竹田皇子が死んじゃった。

敏達天皇の皇后として政治にも携わり
政治の面白さも分かったし
将来、自分の子供が天皇についたときのアドバイスとして
こうしよう、ああしよう

そうこうしているうちに、何だか自分でもやりたくなってきた。
一回やれば、気持ちとして満足するだろうし
その後、竹田皇子がそれなりの歳になれば譲れば良い
当時、譲位というのは前例がないのだけれど
前例の女性天皇だし
お願ーい
とか目をうるうるさせれば許してもらえるかも

そもそも候補が少ない中で
私やりたいです、と言われれば
前々々天皇の奥さんですし
まあ良いよ、となったんでしょう。
おそらく敏達天皇の時、本当に周囲を納得させるだけの
実績をあげていたんでしょう

甥っ子の聖徳太子が、実績のある叔母さんに対して
いや私やります、とは
なかなか言いづらいと思います。

即位
即位。

ところが、予定に反して、息子が死んでしまった。
ならば、そのまま自分がやるか
と、結局はかなりの長期政権

ただ、蘇我氏が、聖徳太子を強力に推してきた。
推古天皇としても、甥っ子だし、自分の息子と近い年齢なので
息子の面影を見たかも知れません。

今後は、この子を息子と思って立てて行こう。

聖徳太子を摂政につけている
若い天皇に、摂政を付けるというのが普通なので
何で?と思うが、
この辺は例によって、日本書紀の脚色かも知れない。

それでは、次回、聖徳太子目線で、続きを書いていきたいと思います。

[天皇]シリーズはこちら(少し下げてね)

キャベちゃん、卵、卵よ

おこめちゃんが来たのが、7月なのでもう4ヵ月
おこめちゃんがやって来た。

2匹飼いだと、お互いで遊んじゃうので人間には、あまりなつきません
とは言え、個体差があって、
歴代の、くうちゃん、海ちゃん、シャケちゃん、キャベちゃん、おこめちゃん
の中で言うと
海ちゃんが一番人間大好きだった。

ゲージを開けるとすぐに人間の方に寄ってきた。
服の中にも入り込んで首から入って腕の方に抜けるというイリュージョン

その次を行くのがおこめちゃん
高かったですからね
人間に良くなつくのでこの値段です、という
他とは桁がひとつ違います。

やっぱりペットショップさんは嘘を言っていなかったんですね

特に一番良く構っている長女には、良くなついていて
すぐに頭に乗ります。
そして髪の毛をカジカジ

その流れで私の頭にも乗って来たんだけど
おっと、滑るっ

色んな頭があるのよ

キャベちゃん
おこめちゃんが、たびたびキャベちゃんに乗っかり、くいくい

まだ赤ちゃんだと思っていたのにね

3日前

た、卵よ、卵

あのキャベちゃんが、お母さんになるのかも知れないのね

過去には、くうちゃんシャケちゃんペアの時に、くうちゃんが卵を産んだ
くうちゃんの卵

結局はひとつも孵らなかったんだけどね

さあ、巣箱だ!
物置に巣箱がしまってあります。
綺麗なのと、どうしたのそれ、っていうの

綺麗な方を開けてみると

げげっ

中に蟻さんがびっしり

仕方ない、どうしたのそれ、の方
くうちゃんが、カジカジして芸術品に仕上げました。
使用方法間違っているんですけど。

据え付けました。
うちのゲージは、真ん中で渡り廊下を作って二つを繋げてあってその片方に

あれれ?
何だ?あの変なでかいの

普通なら、朝起こして、つなげてあげた途端、行ったり来たりで大騒ぎなのに
キャベちゃんも、おこめちゃんも、怖がってそちらに行こうとしません。

そう言われると、キャベちゃんも巣箱を見たことがない
くうちゃんの旦那様シャケちゃんが亡くなった後に来ましたからね

もう、そんなに経つんだなあ。

とりあえずそのまま、会社へ

帰ってきて見ると、巣箱側のゲージにも行った形跡はある
中の卵の位置も変わってたから
巣箱の中にも入ったかも

くうちゃんの愛情がたっぷり染み付いているからね
卵の位置を動かそうとして
クシャ
いかん、やっちゃった

ごめんね、キャベちゃん

紙屑も敷いてあげました。

くうちゃんには不評だったんだけどね
全部外に出しちゃった。

好き好きはあるでしょうから、分かりませんよね

さあ、どうなりますか
くうちゃんの時のように、5個とか産むのかなあ
あの時は、可愛そうなくらい食事もあまり取らず、巣箱の中にずっといて
シャケちゃんが口移しで、餌をあげていた。

本能で分かるかなあ
くうちゃんとキャベちゃんは一緒の時期はあったけど
くうちゃんからキャベちゃんに
卵を産んだときの暖め方を説明するとね
みたいな話はしてなかったろう

また、報告しますね。

[セキセイインコ]シリーズはこちら(少し下げてね)

[昭和歌謡] 95 津軽海峡冬景色

昭和ヒット曲全147曲の真実シリーズです

津軽海峡冬景色
石川さゆり
作詞・阿久悠、作曲・三木たかし
1977年

♪上野発の夜行列車降りたときから 青森駅は雪の中
 北へ帰る人の群れは 誰も無口で
 海鳴りだけを 聞いている

津軽海峡冬景色
出たっ出た出たっ 津軽海峡冬景色
ありがとうございます。です。

こんなすごい演歌、なかなか聞けるもんじゃございません。
文句無しの最高峰でしょう。

上野かぁ
関西人の私としては、上野の持つ特別な意味合いを
頭では理解できても、感覚として本当に理解できている訳ではない。

東北から集団就職でやって来て、東京で頑張る
辛いことがあると、東京で初めて降り立った上野駅に行ってみる
列車に乗れば田舎に帰れるんだなぁ
でも帰らない
こぶしをグッと握って、
明日からまた頑張るか

そういう思いが積み重なっている上野
「上野発の夜行列車」というだけで
その世界がどどっとやって来る

そして、津軽海峡
上野かと思っていたら、すでに一行目で津軽海峡

失恋しましただの、哀しいだの、ややこしい事を一切書かず
情景描写だけで、全てを分からせ、そして引き込んでしまう。

やっぱり阿久悠先生はただもんじゃございません。

石川さゆり
この人なくしては成り立ちません。

歌のうまい演歌歌手っていっぱいいるでしょうけど
世界観にここまで一気に引き込める人は数える程でしょう。

ウイスキーがお好きでしょ、なんて
初めて聞いたときは、生きてて良かったぁ、と思いましたもん

はい、好きです、とお答えしておきました。
本当は大して好きじゃないんですけどね。

[昭和歌謡]シリーズはこちら(少し下げてね)

[名僧] 安国寺恵瓊。僧のまま大名になった男の最期

[名僧] 安国寺恵瓊。僧のまま大名になった男
の続きです。

僧なのに大名
秀吉が明智光秀を討ち、実質天下人へ
その過程での旧織田勢の中で繰り広げられた主導権争いの中
色んなお誘いはあったが、
恵瓊(えけい)が強く主張し、秀吉支持を変えなかった。

一旦落ち着いた後、秀吉は強気になっているので、再度境界線交渉
当然恵瓊の出番
毛利側はずいぶん譲ることにはなったが、平和裏のうちに解決

そんなこともあって、毛利は秀吉政権の中で、重要な幹部として扱われることになる

ビックリなのが恵瓊自身
僧であることは変わりないんだけど
伊予国和気郡に2万3千石(のちに6万石へ加増)
北九州に3千石の領地を与えられ、大名になっちゃった

ただ、僧であるので
安国寺の方にも、寺領として1万1500石を与えられている。

順風満帆です。

家康か三成か
ただ、秀吉との個人的信頼感によるところが大きいので
秀吉が死んでしまうと転機が訪れる。

徳川家康です。

秀吉と近ければ近いほど面白くない存在。

そして決戦の時

毛利内部で協議が重ねられる
家康か三成か
どっちに付く

勢いからすると家康なんだろうけど
恵瓊はほとんど家康に会ったことがない

石田三成は良く知っている。

毛利の重鎮、吉川広家は家康を強く主張
確かに、石田三成のことは良く知っているが
知っているが故に味方したくない。
一言で言うと、いけすかない

結論として、毛利輝元が最終ジャッジ。恵瓊の意見を採用
広家は折れた。
西軍へ

関が原の戦い
格的には西軍の総大将は毛利輝元
まずは大阪城に入る
関が原の現場で指揮するのはやはり石田三成

毛利の中で現場を担当するのは、毛利秀元
最前線は吉川広家
その後ろに恵瓊

実は広家、徳川と通じていた。

今回の件は、あくまで恵瓊が独断で暴走したこと
輝元は関与しておりません。

勝つのは家康だと読み
「その後」に毛利が有利になるように
ある意味、毛利の事を心底愛しているが故の行動

広家派がよってたかって、輝元を大阪城から出させないように押さえ込む

いざ決戦

三成
行けえっ!

当初は互角の戦い

どうした、毛利
なぜ動かん

最前線の広家は、全く動かない

毛利内部も
どうした、どうなってるんだ

解せないのが恵瓊
広家が動かないなら
恵瓊が変わって陣頭指揮することもできた筈

今までの大活躍は、あくまでも外交の交渉
戦闘の地で、命を省みず、刀を振り回すというのは
いざ現実になると恐くなったのかも知れない

無策、の一言

決戦に敗れた後は、生き長らえようとあちこち逃げて回ったが
京都に潜んでいるところを、捕らえられて、
石田三成や小西行長らと共に
大坂や堺で引き回しを受けた末、京都の六条河原で斬首、
その首が三条橋にさらされることとなった

機を見るに敏を繰り返して来たのに
一番重要なところで間違えちゃったのね

じゃあ、広家が守ろうとした輝元は?

大阪城にいたとは言え、総大将してましたよね
はい、領地没収

ええっ、騙されたの?
広家、悔しいーつ

徳川腹立つぅ
の気持ちが幕末まで持続されるんですね

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