[ことば日本史]3 世を出たらどうなる?

「ことば日本史」から
まだまだ飛鳥奈良時代です。

出世
仏教では、仏が衆生を救うために世に生まれ出ることも指すが
仏道修行に入って世間を出ることが出世

なるほど
通常の生活を捨てて出家
世に出るんじゃなく、世を出ること

最初はだいぶ今と意味合いが違っていたんですね

ところが、後の貴族社会で
出家した公の子弟の昇進がとくに早かったので、
今日いうような意味に変わった訳です。

世を捨てて出家したのに今の意味の出世しちゃうって
どうなのそれ、って気もしますが。

ずだ袋

「頭陀」は、僧侶が衣食住の三つの欲望を捨てて仏道修行にはげむこと
そのために 食行脚することを陀行という。
そのときに、必要な物を入れた袋を首から下げて歩いた。
それが「頭陀袋」

やがて一般に、何でも入るだぶだぶの袋のことをそう呼ぶようになった。

めっぽう強い
めっぽうは、滅法。

法が滅んだとなれば、もうなんでもアリ。 めちゃくちゃである。
だから「めっぽう強い」は、「めちゃくちゃ強い」ということ。

昔のプロレスで言うと、
アブドーラ・ザ・ブッチャーや
タイガージェットシン みたいな感じ

(古っ)

おあいそ
愛らしい様子を「愛相」という。

この言葉が遊里で、客に愛想をふりまくというふうに使われ、
さらには「愛想を尽かす」ともいうようになり、
それが略されて「愛想」だけで「愛想を尽かす」の意味になる。

つまり、これでオシマイお別れってことだ。
はい、清算

寿司屋でおあいそ、というのは
もうおしまいですよ、お勘定お願いしますよ、って事だけど
言葉の転化の過程からすると、なんかちょっと淋しい言葉ですね

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[三十六歌仙]14 藤原興風。春霞は白じゃないのよ、分かるぅ

三十六歌仙シリーズ

藤原興風

契りけむ 心ぞつらき たなばたの 年にひとたび あふはあふかは
(「一年に一度だけ逢う」と約束した織姫の心がつれないことだ。
一年に一度だけ逢うなど逢ったことになるだろうか、いや逢ったことにはならない。)

興風の名はさまざまな歌集で
役職も尊称もつかない呼び捨ての状態で書かれています。

六位という低い身分のままだったためで、
生涯についての記録がなく、生没年もわかっていません。

ただ歌人としては宇多天皇に認められるほどの実力者であり、
数々の歌合(うたあわせ)に招かれて歌を詠んでいます。

売れっ子だったんですね
プロの歌人としてやっていけたんでしょう。

『古今和歌集』は繊細優美で理知的、
『新古今和歌集』は華麗で技巧的、というふうに言うことがありますが
藤原興風は最も古今和歌集的な歌

いくつか見ていきましょう

春霞 色のちぐさに 見えつるは たなびく山の 花のかげかも

春霞の色がさまざまに見えているのは
霞がたなびく山に咲いている花々の影なのだろう

霞が乳白色だけでないのに気づいた興風が歌いました
えっ、白でしょ霞は。

素晴らしいですね、藤原興風ともなると
そもそも春霞が白だけでなく色んな色だというところから始まっています。

なんでかなあ
そうか、山の花たちの色が映り込んでいるからなのか
ガッテン!

こんな歌、一般人では無理です

冒頭の歌はストレートですね
契りけむ 心ぞつらき たなばたの 年にひとたび あふはあふかは
(「一年に一度だけ逢う」と約束した織姫の心がつれないことだ。
一年に一度だけ逢うなど逢ったことになるだろうか、いや逢ったことにはならない。)

一年に一回だけ会う?
ムリムリ

今風に言うとそういう事でしょうか

これらの2首は宇多天皇の寛平(かんぴょう)年間に
班子女王(はんしじょおう=宇多天皇の母)が主催した
歌合で詠まれたものでした。

宇多天皇と醍醐天皇ってイメージ的にセットです
宇多天皇に好まれた人は、菅原道真のように、醍醐天皇にも好まれた気がします。

次の歌は宇多天皇の息子
醍醐天皇の延喜(えんぎ)13年(913年)に行われた歌合で詠まれたもの。

ちりはてゝ 花なき時の 花なれば うつろふ色の 惜しくもあるかな

(ほとんどの花が散ってしまい
花のない時期に咲く(菊の)花ですから
衰えていくその美しさがいっそう惜しく思えるのです)

花の美しさを歌うのではなく
散りゆく花を歌う
それもちょっとひねっている

最後は歌合わせの歌ではない
となると、ゲーム的に作ったものではなく
実体験なのかもしれない歌

わが恋を 知らむと思はゞ 田子の浦に たつらむ波の 数をかぞへよ

(わたしの恋心がどれほどのものか知りたいと思うなら
田子の浦に立つであろう波の数をかぞえてみなさい)

ねえねえ、私の事どれくらい好き?

良くあるシチュエーションです。

こーーんなに大好きさ、
と両手を大きく広げるのは一般人

ほら、あそこに立つ波の数を数えてごらん

ひーふーみーよー

あっ、また、
きりがないわ


それと一緒さ

もう、おきちゃんったらあ

百人一首ではこれになります。
出ましたっ。私の地元のすぐ横、高砂(たかさご)のうた
みんなこの歌は十八番にしていて競い合って取っておりました。
誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに

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[歳時記]11/3 ゴジラが封切られる

「おもしろ歳時記」シリーズから
11/3はダブってもうひとつネタがあったので二つ目

ゴジラが封切られる

日本の特撮怪獣映画の第1号「ゴジラ」が封切られたのは、
1954(昭和29)年11月3日。

それ以来、ゴジラは日本はもちろん海外でも有名になり、
やがてハリウッドで アメリカ版「ゴジラ」が制作されるほどの人気者になったのだ。

「ゴジラ」の着想は、東宝のプロデューサー田中友幸氏が、
インドネシアから帰る途中、飛行機で思いついたといわれている。

眼下に広がる静かな海をながめているうちに、
ビキニ環礁で水爆実験の死の灰を浴びた日本の漁船「第五福竜九」の悲劇を思い浮かべ、
水爆実験で海底に眠っていた恐竜がよみがえるという話を思いついた。
田中氏はさっそく作家の香山滋氏に原作を依頼。ゴジラの制作がスタート。

「ゴジラ」というネーミングは、「クジラ」と「ゴリラ」の合成語。
一説には、東宝に「ゴジラ」というニックネームの社員がいて、ここから拝借したともいわれる。
また、「ジーラモンスター」と呼ばれるメキシコ毒トカゲが、
命名に一役買っているという説もある。
いずれにしても、語呂のよさが決め手になったようだ。

ゴジラ
大人気でしたね
残念ながら子供の頃にリアルタイムでゴジラを見たことは無いんだけど
2~3年くらい前かなあ
長女がシン・ゴジラのDVDを買ってきたので見た。

なるほど、と思いました。
ゴジラ自体はしゃべらないけど
その行動から憂いを感じると言いましょうか

人間が力を合わせて巨大生物をやっつけるという物語ではありつつも
もとはと言えば、人間の無茶な行動で生まれちゃったわけで
オレはなんか悪いことしたのかよぉ、って

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[歳時記]11/3 レコードの日

「おもしろ歳時記」からのシリーズ

11/3
1957(昭和32)年、日本レコード協会は「レコードは文化財」との考えから、
11月3日の文化の日を「レコードの日」に決めた。

エジソンがレコードを開発したのが1877年
日本の歴史でいうと西郷隆盛の西南戦争の時

国産第1号は1891年3月、愛知県岡崎に住む中條勇次郎が製作。
その1年後には、東京の尾花千市も開発に成功している。

俗に「蝋管レコード」とよばれるこの機種には、
日本人の演説、声色、はやり歌などが吹き込まれ「一人でものをいう機械」と驚嘆された

その後円盤タイプのものは、輸入されていた
国内生産されるようになったのは1907(明治40)年。
浪曲と邦楽で一枚1円50銭程度だった。

その後、大正時代になって、レコードは飛躍的に発展する。

「カチューシャの唄」が2万枚のヒット
松井須磨子です

著作権のない時代だけに勝手に再録音した複写版が登場。
そのとき、レコード会社は1枚75銭に下げて対抗した。

大正2(1914)年の選挙の時、大隈重信は演説をレコードに吹き込んで大人気
見事当選し首相になっちゃった。

レコード
若い時、良く聞いたなあ
フォークが好きだったのでそればっかりだったけど

一番好きだったのは、泉谷しげる
全部買ってた

あとは吉田拓郎の「元気です」とか
井上陽水の「氷の世界」とか

CDは大人になってからで
その頃はあまり音楽に興味が無くなっていたのでほとんど持っていない

今はCDだって売れないらしいです
ダウンロードすれば曲が聞ける
音楽業界自体はずっと右肩上がりらしいですけど。

ジャケ買いなんて死語になるんでしょうね

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