[英語] TOEIC力試し。430点

12/21に受けるTOEICが間近に迫って参りました
目指すは、日常会話程度、と言って良いらしい470点(995点満点かな)

2ヵ月前から一念発起
英語には極端な苦手意識があったので、人生を英語から避けて避けて過ごしてきたので
全くいちから
高望みはしないけど、受けるからには、470点を取りたい

試験は、リスニングリーディング含めて2時間もかかる巨大なもの
最初に受ける人はそもそも最後まで行きつけないらしい

今まで一度も通して力試し出来ていなかったけど
「完全模試」って奴をいよいよやってみることにしました

Part7までに分かれているんですが
Part2とPart5の専門の対策アプリの良いのを見つけたので
Part2とPart5に関してはかなり頑張りました
リスニングのPart3,4、リーディングのPart6,7は長文
勉強はしていますが、全く歯が立たないのは分かっています
Part2とPart5で6割くらい取って、
残りが4拓なので30%くらいで平均して、470点に行ければ良いなあ作戦

さあ、開始

やれどもやれども、あかん、何言ってるかさっぱり分からん、
ええい仕方ない、適当につけるか
ってものばかり
やはり予想通り、最後まで行き着けず
200問の中の、180問でタイムアップ。残りは全部Aに付けました

さあ、答合わせ

ジャジャーン

430点

470点に行かなかったかあ
でも、やっている間はもっとダメかと思っていたからまずまず

内訳はこう
リスニング
Part1 4問/6問 66%
Part2 10問/25問 40%
Part3 16問/39問 41%
Part4 13問/30問 43%
リーディング
Part5 19問/30問 66%
Part6 5問/16問 31%
Part7 19問/54問 35%

確かにPart5は良かったんだけど
期待のPart2が伸びず、引っ張ってもらえなかった
Part2対策を考えないとね

Part7の途中から全部Aにしたところは有難いことにAが多めだった
頑張って考えたところの正解率とほぼ変わらなかった
Part7の最後までにこだわらず、Part6に時間をかけるべきなのかなあ

ほぼ、エイヤで答えている訳なので
今回、430点でも、本番300点も十分あり得る
いずれにしてももう時間切れ
前日まで、やるべきことをやって
あとは運を天に任せよう

[英語]シリーズはこちら(少し下げてね)

今年の紅葉イベントはバッチリ

今日は、月に一度のウォーキングイベントの日
小金井で、庭園巡り

桜と紅葉という2大イベントは、なかなかうまく当てるのが難しい
特に桜は3回に1回くらい外しており、満開になかなかぴったり合わない
ここ2~3年は敢えて春に桜は狙わず、菜の花だったり、芝桜だったりでイベントを立てている

となると、紅葉まで避けるのはどうかと思い、紅葉イベントを立てた
ドキドキ

メインは小金井の滄浪泉園(そうろうせんえん)
よし、良い感じ

崖の上の紅葉はきれいに色づいていた

となると、崖下の池の周りの紅葉にも期待できたが
あら不思議
そこはイロハモミジは緑のまま

半分成功なので良しとしましょう
高い木の紅葉を下から見上げた景色も空の青さとのコントラストがとても良かった

入口近くには、オレンジっぽいモミジ
これも綺麗

こっちにも

環境学習館というのに行ったら、
小さな男の子が中から出てきて
いきなり
「なんで来たの?」
あれ?そうかそういう意味ね
「歩いて来たんだよ」

とても人なつこい男の子で、シャボン玉したり
色々遊んでもらった

そこの庭でも紅葉

三楽公園

その奥の庭園にとてもきれいにモミジが色づいていた








下から見上げた紅葉

貫井神社

ちょっとしたアクシデントがあり、多少早めの時間で切り上げたんだけど
最後の金蔵院でもモミジが色づいていた

[お出掛け]シリーズはこちら(少し下げてね)

[ことば日本史] 人生五十年

ことば日本史、戦国時代から

桶狭間の戦い
突然の激しいにわか雨が、織田信長の味方をした。
桶狭間山で休息をとっている今川義元軍に察せられることなく、
彼らを見下ろせる尾根にたどりつくことができたのだ。

信長軍は一気に義元の本陣を急襲した。

義元に槍を突きつける服部小平太。
義元は、刀で膝を切り払うが、毛利新介(秀高)に後ろからくみつかれ、首を取られた。

永禄3年(1560)年5月19日の、史上に名高い桶狭間の奇襲である。

今川氏は、当時の最大の戦国大名。
すでに三河を掌握し、武田氏や後北条氏と和解の態勢を作って、
信長がほぼ支配するようになっていた尾張への侵入をはかっていた。

このとき義元の軍勢は二万ほどであったとみられ、対して信長軍は数千人。
どちらも確かな数はわからないが、大きな差があったことは確かだ。

この圧倒的な大軍に対して、
籠城すべきだという意見が強かったところを、
信長は断固として野戦で挑むことを決した。
敵勢を分散させておき、
19日の未明、信長はわずかな手兵を率いて出陣、
山道をひそかに迂回して、義元の本陣へと迫る。

そして風雨に乗じて本陣の横手の高所から一気に襲って、
奇襲を成功させたのである。

この出陣の前夜、信長は、幸若舞(こうわかまい)の「敦盛(あつもり)」を舞った。

その一節が今なお有名な次のくだりだ。

人間(じんかん)五十年、下天(げてん)のうちをくらぶれば、夢まぼろしの如くなり。
一度生を受け、滅せぬもののあるべきか。

諸行無常を謡う信長の声を聞いて、
将兵たちはそれぞれの胸に覚悟を深めたという。

この逸話にちなんで、
命がけの行為にのぞむとき、
失敗覚悟の困難に立ち向かうとき、
「人生五十年」とつぶやき、その短さ、はかなさを思って覚悟を決める。

その50年、とおに過ぎちゃった
私はいつも、人生の中で今が一番楽しいと思いつつ生きてこれたので
いつ死んでも良い

[言葉]シリーズはこちら(少し下げてね)

[外交]4 三国干渉から日露戦争へ

外交資料館に行って来ました
[外交]2 条約の改正に頑張る外務大臣たち
[外交]3 日清戦争は朝鮮の内乱?
の続きです



三国干渉
日清戦争に勝って、下関条約で以下の4点が決まります
1 清は朝鮮の独立を認める
⇒朝鮮はもともと独立国だが清との属国関係を解消するという意味。
2 日本が手に入れた領土:遼東(りょうとう)半島・台湾・澎湖(ぼうこ)諸島
⇒台湾総督府設置。初代総督に樺山資紀就任
3 賠償金:約2億両(テール)(当時の日本円で約3億1000万円)
4 清は新たに、沙市・重慶・蘇州・杭州の4港を開港する。

日本中は大喜び

ところが、そりゃまた何で?
という事態がおきます

三国干渉、すなわち、ロシア、ドイツ、フランスが、遼東(りょうとう)半島を中国に返せ、と言ってきたのです
ここで抵抗するとこの三国相手に戦争って事になりかねないので、渋々返します

中国って日本にも負けちゃうのね、と認識した列強各国が、中国におそいかかります
「中国さん、おたくの中のこれこれの都市、うちに期限付で貸してくんない?」

都市を貸すって何でしょうね
早い話が、期限付きの実質植民地、租借(そしゃく)と言います

中国分割
ありゃりゃ
日本が中国に返したはずの遼東半島の中の主要な都市、旅順と大連が
気づくとロシアの租借地になっているじゃありませんか

日本の中でのロシアに対する国民感情は最悪に。

もちろん、中国国民もおもしろくありません
勘弁してくれよ、あいつら
一部の中国国民が立ち上がります
義和団(ぎわだん)と名乗る人たちです

さらに義和団は清政府に働きかけます
ここは奮起して、戦争しようよ

君たちの言うことももっともね
よし、宣戦布告だ
北清事変です

この宣戦布告に対して、列強各国は一致団結して、立ち向かいます
8ヶ国の連合軍
イギリス、アメリカ、ロシア、フランス、ドイツ、オーストリア=ハンガリー、イタリア
そしてなぜか日本も加わる

この戦いで、連合軍の勝利
北京議定書で、中国はごめんなさい

北京議定書で連合軍内の日本は何ももらいませんでしたが
ロシアが実質的に満州を支配することになった

えええっ
いよいよ、ロシア憎し

ただやっぱり、ロシアは中国の比じゃない
味方が欲しい
やはりロシアがどんどん力を持ってくることを脅威に感じていたイギリスと手を組みます
日英同盟です

イギリスが助けてくれることになったら力強い
ロシアに日露戦争をしかけます

アメリカも応援してくれて、ロシアに互角に戦い
日本海海戦ではほぼ勝利をおさめます

とはいえ、日本ももう限界
一方のロシアはというと、第一次革命で、国内が混乱してきた

もうそろそろ戦争やめたい、ってところに
アメリカが手をさしのべてくれた

おふたりさん、私が仲介しますから、手打ちってことでどうでしょう

ハイハイ、乗ります乗ります

ポーツマス条約
なんと、日本が勝った、ってことになりました

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