[添乗員] 新たなバリエーションも

昨日、2/21も添乗員のお仕事

その前までは、同乗研修として先輩と一緒にやらせてもらったコースと同じコースで
デビュー、単独2回目だったのですが
今回は行ったことのないコース
行ったことないのに単独な訳ですから、とてもExciting

とはいえ、一部ダブっていて、完全に行ったことないのは、伊香保石段街

過去日報というのがあり、細かな時間刻みの実績や、バス下車からの誘導方法等が書かれている。
ところが、なぜか、過去日報がうまく入手出来なかった
同乗研修の時の先輩がとても親切な方で、ラインでやり取りさせてもらっている
先輩が過去に同じコースをやったときの日報を送っていただけた
百人力

伊香保石段街は、ネットとかで調べまくる
あんまりいっぱいネットやユーチューブを見たもので、すでに行ったことある気になった

当日
7:30スタートなので、7:00受付開始
朝は4:50に起きた

超人気のコースで、私の経験上ダントツ最高の、42名
当日朝、キャンセル連絡あり、40名になったけど、バスは満席状態
受付も超忙しい
一組、受付したのにリストに済だと付け漏れて、まだ1組来られていないと思い込み
その方の携帯に連絡したりと大慌て
スタートがちょっとだけ遅れた

バス会社がいつものところじゃなく、そこからさらに下請に出された代車というパターン
これも初めての経験。代車の場合は、こちらからETCカードをお渡ししなきゃいけない

出発時刻の案内板は、いつもバスにすでに用意されていた
研修の時、用意されていない場合もありますからね、と言われていたので作っておいた
[添乗員] 出発時刻案内板の作り方

出発時刻案内板が見当たらない

出発時刻の案内板って無いんでしょうか
はい、ありません!
とキッパリ

いよいよ、自作の出発時刻案内板が役に立つ時がやって来ました

自作の出発時刻案内板については、また機会を改めて説明します

他にも、コミッション受領書なるものを使うタイプ
駐車場代をバス会社さんに立て替えてもらうときの手続き
等、新しく経験するパターンが目白押し

「経験済のやり方」がどどーんと増えることになった
次からあまり心配に思わなくても良くなってきた

自分なりのやり方も大分形になってきた
行程は過去日報から入力しておけば、
実績を入れていけば、過去の地点の時間差から、最後の解散までの各場所の時間が
全てトトトッと変わるように、Excelで作った
超便利

特に私として重要だと思うのは各観光地に着く時間を正確に知りたい
GoogleMapの現在地の青いマークの動きとも見比べながら、推測
なぜなら、その観光地の案内をどこからしゃべり初めて良いかが問題だから。
目的地に着きました!でぴったりしゃべり終えたい
しゃべり終わったのに、目的地がまだ先というのはとても気まずい

各場所でしゃべることの原稿は、そのコースに特有なことを入力すれば
たちどころに、原稿が変わるようにしてある

各場所のどこでどこに最終確定人数を伝えるかとか、
どこでどういう精算手続きをするかとか
場所別やるべきことリストをあらかじめ作って印刷しておく
当日一つずつ消し込みながら進めていく
この方法は無茶苦茶良い
何かが抜けると大ごとになるけど
確実に一つずつ進んでいけるし
何度も、ええっとここでは何しなきゃいけないんだっけと
毎回毎回考えなくて良いので、精神的余裕が全然違う

伊香保石段街
石段って365段なので、一年のそれぞれの日に対応した段があることになる
伊香保石段街のホームページを見ていると
自分の誕生日に対応する段で写真を撮ると幸せになると書いてある
面白そう
お客様に提案してみよう
段には何段目かはところどころ書いてあるけど、何月何日に対応するかは書いていない
ホームページを辿っていけば対応が分かるんだけど
それをみんなにやってもらうのはハードル高いなあ

Excelで対応表を作って配布した

かなり好評で、喜んでもらえた

疲れ
添乗4回目だけど、分かった事がある

無茶苦茶疲れる

翌日は、疲れが回復せず、しんどいのなんの
今後、この事が原因で添乗が出来なくなるととても悲しい

昨日、ブログを書けなくてごめんなさい
異常にしんどかった

慣れていないことなので、変なところに力が入りすぎているのかも知れない

何とか力を抜いてリラックスしながらできるようにしていきたい

[添乗]シリーズはこちら(少し下げてね)

[ことば日本史] 天下分け目の天王山

羽柴秀吉は、信長の死を知ると、包囲中の高松城の毛利氏とただちに講和をむすび、
迅速に兵をかえし、西国街道を上がってきた。

勝負は、京都盆地にはいる大山崎でつけられることになった。
秀吉は、摂津の諸将を糾合して富田に着陣、
織田信孝らの兵を合わせ、軍を山手、中手道筋、川手の三手に分け、
十三日に進撃する。

光秀は、細川、筒井氏を欠く劣勢のまま
勝竜寺城から淀城の間で迎撃しようとし、
十三日午後、秀吉の軍と激突。

光秀側で戦上手で知られる斎藤利三が大活躍
序盤は、光秀軍優勢に進みます。

天王山麓に布陣していた羽柴秀長、黒田官兵衛らの部隊は、
天王山中腹を進撃してきた松田政近・並河易家両隊と交戦状態に入ります。

そのまま1時間ほど、一進一退の攻防を続けますが、
右翼(川手側)に配置されていた、池田恒興、池田元助、加藤光泰らが密かに円明寺川を渡河し、
津田信春を奇襲します。
それが光秀本隊の側面を突くような格好になり戦局が一変します。

あえなく敗退した光秀は、夕方、勝竜寺城に入り、
深夜を待って、近江へ向けて逃走するが、
その途中、山科の小栗栖(おぐるす)で土一揆に襲われて殺された。

この山崎の戦は、
序盤の天王山での攻防が勝敗を決したといわれるようになり、
天王山の戦とも呼ばれるようになった。
そこで、 勝負のかかった山場を「天王山」というようになった。

[言葉]シリーズはこちら(少し下げてね)

埼玉県立歴史と民俗の博物館に行ってきました

大宮氷川神社に行ってきました
大宮公園に行って来ました
の続きです

埼玉県立歴史と民俗の博物館

ちょうど2:00から、刀剣のガイドが始まりますよ

ええっ。ぜひ

国宝の刀剣が特別公開され、そのガイドをしてくれる

おじさんのガイドを聞きながら、回ったんだけど
偉いなあと思ったのは、その中に小学校低学年の男の子を含むファミリーがいたこと
この男の子、歴史の事が結構分かっている
自分が子供の頃を思い返すと、こんなガイドのツアーがあっても見向きもしなかった。
日本の未来は明るいなあ

刀剣の説明に入る前に、埼玉県を含む武蔵の国の歴史
奈良時代
律令制度での国

各国に、国分寺を作る

各国分寺には七重の塔を作らないといけない決まりなんだけど、そんな費用はなかなか出ない
こんなのを作って、はい七重の塔を作ったてい、で

がとう!(瓦塔)

男の子が大きな声

ええっ、なんで?なんで知ってんの?

そこに書いてあるよ

あっそうか

平将門

前九年と後三年

鎌倉幕府

源頼朝が武士の世を作るに当たって、全面的に支援したのが、武蔵国の武士たち
その功績に報いる形で、武蔵国の武士たちは全国に守護、地頭となって全国に散らばり、領地をもらう
その傾向は室町時代になっても続く
なんと、元武蔵武士はこんなにもいる

これは全く知らなかった

この前置きに続いて国宝の刀剣の話になる
国宝の刀剣3つを作らせたのが、元武蔵武士で、地方に赴任した大河内氏

ガイドさんが言われるのは、刀剣って、単なる武器ではないらしい
機能性だけが必要なら、美しくなくても良い
武士にとっての刀剣は自分自身を象徴するもの
武器なら、常に携帯する必要があるが
この国宝の刀剣はそうではなかった

極限まで美を極め
神社、すなわち神に奉納した
その神社は、元の武蔵の国だった
武蔵武士の誇り。武蔵の神と自分を繋ぐもの
超有名な名人に作ってもらった刀
そんな貴重なものなら手元に置いておきたいだろうが
そうはしなかった

いわゆる鑑定書がついている
これを折り紙と言うらしい
折り紙つきというのはここから来ている


裏には梵字が彫ってあった

古墳
刀剣にまつわる解説は終わったが、解説していただいたのは、博物館のほんの一部
ありがとうございました

あっ、さっきの男の子のファミリーが、古墳の方のコーナーで
ガイドさんに説明してもらっている
便乗させてもらおう

あああっ。出ました
さきたま古墳群
そうだそうだ、埼玉が誇る歴史的に革命的な古墳


古墳の中に並べられている円筒埴輪

この段の数が、位を表すらしい

さあ、さきたま古墳群と言えば、鉄剣
複製とは言え、ここで出会えるとは思っていなかったので大興奮


さきたま古墳群の中の稲荷山古墳から出土した鉄剣に、文字(漢字)が彫られていたんだけど
これによって、雄略天皇が実在した人物であることが証明された
しかも471年という完全に特定された年まで分かった

(表)
「辛亥年」(=471年)七月中記乎獲居臣上祖名意富比垝其児多加利足尼其児名弖已加利獲居其児名多加披次獲居其児名多沙鬼獲居其児名半弖比
(裏)
其児名加差披余其児名乎獲居臣世々為杖刀人首奉事来至今「獲加多支鹵大王」(ワカタケル=雄略天皇)寺在斯鬼宮時吾左治天下令作此百練利刀記吾奉事根原也

その隣に、熊本の江田船山古墳から出土した鉄剣も複製ながら展示されていた
こちらにも「獲加多支鹵大王」の文字が書かれていて
九州から関東までの広い範囲で、すでにヤマト政権の勢力が及んでいた事が分かった

埴輪
これらは複製ではなく本物
でかいっ

家の扉にはドアノブまで付いている

板碑
1階に降りると、ひっくり返りそうになった
なんなんだーーこれは

板碑ファンとしては、色々な板碑を見てきたが
今まで見た最大の板碑の10倍位のでかさ

近くで見上げてうなり
離れて全体を見てまた唸った
複製とは言え、実物大
長瀞の神社に奉納されていた、日本最大のもの
一枚の岩から作ったなんて信じられない
長瀞以外ではこんな岩は無理だろう

見沼代用水の話とか
興味深いものが続々と
ああ、ダメだ。良すぎる
時間がない
今日は長女も来ているし、早く帰らないと、お出掛けしたことがカミさんにばれる

これだけの規模の博物館は、ここだけオンリーで来なきゃダメですね

[お出掛け]シリーズはこちら(少し下げてね)

大宮公園に行って来ました

大宮氷川神社に行ってきました
の続きです

ひえーっ
タブレットの電池がとうとう無くなった

小動物園では
ツキノワグマもいたし、ミミナガヤギというとっても耳の長いヤギもいたりして楽しかった

大宮公園もとても良い公園だったんだけど、写真撮れずじまい

目指すは大宮公園の北の端にある埼玉県立歴史と民族の博物館

さて困った
いつもならGoogleMap があるので何てことはないんだけど
タブレットが使えないと広大な大宮公園の敷地内で全く方向が分からない
極端な方向音痴のカミさんの気持ちが良く分かる

園内マップを探すんだけど、こういうときに限って行けども行けどもマップが見つからない
腕時計もしてくるのを忘れたから、時間すら分からない
現代人の悲しいさが
タブレットに全て頼っている人生なので、ニッチもサッチもどうにもブルドッグ
2000円をけちってさっきコンビニで充電ケーブルを買わなかった自分が悔やまれる

護国神社って書いてあるでっかい鳥居が公園内にある
鳥居はあれども神社がない
うーん不思議

ああーっ、マップがあったあ
現在地マークを見る
北に向かっているつもりが西に向かっていたようです

博物館に行くには、護国神社の横を通るのか

護国神社
うわーっ、何これ
すごいーっ
なるほど、さっきの公園内の鳥居は一の鳥居みたいな感じであそこからここまでが参道なのかも
あまりにすごかったので、ネットから写真を拝借

埼玉県内で、太平洋戦争で亡くなった方たちを祀っている
空気がピリッとした感じ
出征する時の像や、特攻兵士の像など身が引き締まる気がする

北に向かうが、公園が終わっちゃった
ぐるっと回ってようやく埼玉県立歴史と民族の博物館を発見

ただ、良く良く考えると、このまま博物館に入るとしても
埼玉県立ってぐらいだから、かなり充実した内容に違いない
写真撮れなきゃ後悔ばかりが残る気がする
やっぱりコンビニ探して充電ケーブルを買ってからにしたい

受付のお姉さんに

すみません。変なこと聞きますが、この辺でコンビニってありますでしょうか
タブレットの電池が切れまして・・・

確認すると原則撮影OKとの事
何としても、充電コードをゲットせねば

コンビニまでの地図を書いてもらってゴー
おおっ。復活したあ

このあと、予想通り、大満足の博物館になります
続きは明日ね

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