[百人一首]95 おほけなく

百人一首シリーズも残り少なくなってまいりました。
ラストスパートは超大物揃いとなります

おほけなく うき世の民に おほふかな 
わが立つ杣(そま)に 墨染の袖

身のほどもわきまえぬ事ではありますが
仏のご加護を願って俗世の人々に覆いかけるよ
比叡山に住み始めた、この私の法衣を

前大僧正慈円
わたの原 漕ぎ出でて見れば ひさかたの 雲居にまがふ 沖つ白波
の藤原忠通の子
大物なんてもんじゃありません。
摂関家に生まれた訳ですから、日本の政治は、この人に委ねられる筈でした。
ただ、激動のぐっちゃぐっちゃの時代

10歳で忠通が亡くなり、11歳で出家
賢明な選択でしょう。
身の危険を感じたかも知れません。
兄は関白兼実、まだまだ激動が続きます。

出家後がまたすごい
坊さんとしての実力と実績が抜きん出ていた。

あの、仏教界最高峰、最澄の比叡山、天台宗なんですが
天台座主という最高の位に、なんと4回も就いた

4回もなんて、他に例はないけれど
逆に言うと、4回外されちゃったのかも知れない
近しい人が、政治的に失脚復権を繰り返したのかとも思われます。

鑑賞
ものすごいですね
普通の人にこんな壮大な歌は詠めません
史上最大のスケールです。

この歌、30歳そこそこで、命に関わるほどの超過酷な修行をこなしおえたくらい
天台座主になるのはまだまだ先です。

おほけなく は、「おこがましいですが」
そんな感じで始まります。

次から言うことがあまりにもすごいので
これを言っておかないと
この若僧が
自分を何様だと思っているんだ、となっちゃいます。

うきよの民、は俗世の全ての人達
世界中の全ての人です。

そんな全ての人に、被せてあげましょう。
私の墨染の袖、すなわち法衣をって事です。
もちろん、これは比喩なので
私が全ての人達を救ってしんぜよう、と言っている訳です。

なんたる自信

その間の「わが立つ杣(そま)」の杣とは
木材を切り出す為の山の事です。
ここでは、比叡山を言います。

なぜ、杣が比叡山かというと理由があるんです。

この歌は、当時の歌の多くがそうであるように
本歌取りです。

ただ、その本歌がものすごい。
史上最高の本歌です。

「阿耨多羅(あのくたら)三藐三菩提(さんみゃくさんぼだい)の 仏たち わが立つ杣に 冥加あらせたまへ」
なんとあの、天台宗の始祖、最澄の歌なのです。

阿耨多羅(あのくたら)三藐三菩提(さんみゃくさんぼだい)とは、お釈迦様のいた、インド北部の
サンスクリット語で、最高の真理知恵というような意味

サンスクリット語で和歌を詠んだ人はあとにも先にも最澄ぐらいじゃないでしょうか

その大師匠の歌から、「わが立つ杣に」を引いてくるなんて
あまりの事にスカッとします

見ててくださいね
私が全ての衆生(しゅじょう)を救いましょうと。

墨染は、住み初め、もかけていて
比叡山に住み初めたばかりですが
ともう一回へりくだってはおります。

森進一のおふくろさんの歌のようですね

♪雨の降る日は傘になり
お前もいつかは世の中の
傘になれよと教えてくれた~

ある意味、まだ若いから詠めたとも言えるかも。
あるいは
権謀術数渦巻くこの時期に嫌なものをいっぱい見てきて
それでも懸命に生きている庶民たちをみて
何とかしてあげたいと、純粋に沸き上がってきた気持ちかも知れません。

何だかんだ言っても、それから千数百年経った今も世界が滅びていないところを見ると
慈円さんの墨染の袖が守ってくれているのかも知れません。

感謝感謝

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