丸の内がロンドンになった日

一丁倫敦(いっちょうろんどん)の話、近いうちに書きますと言いつつ、
そのままになっていました。
丸の内をふたつのテーマで歩く

一丁倫敦
丸の内は、各藩の密集地帯でした。
明治維新になって、さあ、撤収ーっ
丸の内だけに限りませんが、がらがらのもぬけの殻

この膨大な地域、どう使うよ
陸軍さん、あなたにあげますわ。

そりゃまたありがとう

陸軍が使っていた訳ですが
色々あって、移転することになりました。

さあ、困った。
移転費用が膨大にかかる
てっとり早く移転費用を捻出するため
ちょこちょこ売るんじゃなく
この土地を一括して買ってくれるところはなかろうか

はいはいはい。
手をあげたのが、渋沢栄一と三井の合同チームと、岩崎弥之助の三菱

分かった!
三菱が勝ったんでしょ
ほら、三菱地所を見に行こう、って可愛い女の子が宣伝してる。

いやあ
そうは簡単にいかないんですね。

入札をしました。
両方の出した金額が、陸軍の必要な金額に全く及ばなかった。
決裂

残念でしたね。

でも、どうしましょ、陸軍さん

にっちもさっちも行かない間に時間だけが過ぎていきます。
豊洲移転問題みたいですね

岩崎弥之助のところに連絡を入れます。

どうもどうも、その節は。

ところで、例のあの場所なんですが
これくらいでいかがでございましょう。
そろばんパチパチ

はいっ?
前言われていた金額と変わりませんやん

分かりました?

岩崎弥之助は、偉大なるお兄さん岩崎弥太郎が亡くなって、引き継いだばかり
でっかい仕事で、自分色を出したいところ

無いなあ、金

そこへ、外国に仕事で行っていた、昔からの大番頭から電報

カウベシ

何とかなるっしょ

土地やら会社やら株やら、売りまくって、金を工面

だだっ広い空き地を見て
あああ、買っちゃったよ

でもどうすんの
金はすっからかんだから、建物立てられないじゃない

ただ、広がる荒野

人々は、「三菱が原」と揶揄します。

ところが、不思議と天から降ってきたような特需
西南戦争が勃発します。
西郷どんには申し訳ないが、ウハウハ

よし
やるからには、みんなが唸るような歴史に残る町並みを作ろう
ロンドンの街を街を真似て
こんな感じでお願い

あの、ジョサイヤコンドルに設計を任せます

馬場先通りの四隅に一号館から三号館まで
ひとつだけは、おかみに、東京商工会議所として取られちゃった
四隅全部とったらオセロだと無敵だけどね

さらに、間を埋めるように、ガンガン作っていきます。

一丁というのは100m位なんですが
それだけの長い間、全部ロンドンという意味で
一丁倫敦(いっちょうろんどん)


町並みを絵で書くとこんな感じ

高さを完全に同じにして、統一感を持たせつつも
全く一緒じゃなく、それぞれ個性を持たせる。

綺麗です。

さあ、そして、このあと、
東京駅、一丁紐育(ニューヨーク)、高層ビル化と続いていくわけですが
後半戦は、また日を改めて。

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