[名僧]円仁。この人なくして天台宗なし。じっとしていられません。

[名僧]最澄。日本の仏教の半分はこの人
[名僧]最澄。今何をすべきか、先のために何をしておくべきか
の続きになります。

円仁(えんにん)
最澄はとても卓越した人ではありましたが
その素晴らしさは、優秀な弟子を育てた事でさらに花開くことになりました。
円仁です

円仁は最澄の直接の愛弟子。
弟子なので、師匠の言う通り良く勉強して、というのはその通りなんだけど
全くその範疇を超えています。

全くじっとしておられない性格というか、行動の人。実践の人。

中国から帰国したばかりの最澄の弟子になります。
優秀な弟子がいっぱいいる中で一番優秀で
最澄の代わりが出来た人は円仁だけ。

東北回って、天台宗を広めて来てね

はーい。

東北を回る回る
後の中国内も含めれば、歩いた量は伊能忠敬にも匹敵するのでは。

松島の瑞巌寺を始めとして、東北の有名なお寺は、たいがい円仁が開いた、ないしは関わっています。

よしっ。次は本場に行って勉強だ
日本にいても、横に最澄いるわけですから
そんなに苦労しなくっても、と思いますがね

何度かの失敗を経て、唐へ

ところが、最澄が行ったときからすると、急速に事態は悪化しています。
唐自体が崩壊に向かって行っています。

一番の目的の天台山への入山を許可されなかった。

このままで帰れるかっ
遣唐使一行からこそっと別行動

あれ、円仁どこ行った?

違法です。
この時点でお尋ね者

目指したのは五台山
天台山とは並び称せられる、仏教の聖地ではありますが
ものすごい山奥

58日かけて約1270キロメートルを踏破
標高3000mを超す最高峰の北台叶斗峰にも登りました。

よう来なすった。

日本人では二人目です。
一人目は、最澄と一緒に唐に渡った霊仙三蔵
そのまま、五台山で死んじゃってます。

まだまだっ
次に向かったのは長安
無茶苦茶遠いです。

53日間かけて、約1100キロメートルを歩き通します

その間にも色々寄って、主に密教について学びます。
天台宗は、法華経を中心にして、全ての仏教を捉えていこうというものでしたが
空海帰国後、大流行した密教については、理解が弱いというのが弱味でした。

もう、密教も完璧。

ようやく着いた長安ですが
えらいことが起きていました。

武宗皇帝は仏教が大嫌い。
徹底的な仏教弾圧が始まります。

寺院はことごとく焼かれます。
折角集めた何百ものお経
渡してなるものか

目標は生きて帰ることに変わります。
既に入唐してから9年が過ぎています。

今までの苦労は、自分の修行というより
日本で待つみんなに、より深い仏教を伝えるため
こんなところで死ぬわけにはいきません。

百回以上帰国願いを出しますが、全く取り合ってくれません。
そもそもお尋ね者ですし、弾圧の対象の仏教の僧

でも、人柄なんでしょうね。
新羅の商人たちがかくまってくれ
彼らの船に荷物と共に紛れ込む事に成功します。

唐での9年間の苦労を
「入唐求法巡礼行記」全4巻にまとめて出版。

マルコポーロの「東方見聞録」、
玄奘三蔵の「西遊記」とともに、
三大旅行記として世界的に有名らしいです。
「東方見聞録」「西遊記」と同じくらい有名って全然知りませんでした。

最澄は1年、空海は2年ですからね
重みが違います。

空海の密教を東密、円仁等の天台宗の密教を台密、と言ったりもします。

円仁は、第三代天台座主(てんだいざしゅ)となります。
最澄の伝教大師に続き、慈覚大師という大師号ももらいます。

日本に帰ってきてからも精力的に歩き回り、
みんな知っている、日光山、浅草寺、目黒不動なんかを次々と開きます。
もうゆっくりすれば良いのに
じっとしておられない性格なのね

そのあと、天台宗では、円珍というこれまた立派な僧が出て、また唐に行くんですが
帰ってきてから路線対立しちゃうのね

円仁(慈覚大師)の流れをくむ山門派と、
円珍(智証大師)の流れを汲む寺門派に分かれちゃいます。

ここだけちょっと残念

索引はこちら
[名僧]シリーズはこちら(少し下げてね)


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