[大奥]7 家継→最も哀しい正室、八十宮

大奥シリーズ
6代7代を通じて、天英院と月光院をお届けしてまいりましたが
7代家継に対しては、この人抜きでは語れません。
八十宮(やそのみや)です。
可哀想過ぎます。

ここまでの経緯はこれを読んでね
[大奥]6 家宣→天英院と月光院。壮絶なる女のバトル
[大奥]7 家継。天英院と月光院のバトルが決着。

天英院の京都派が一発逆転の大勝利に終わりました。
ただ、江島は追いやることができても
御大、月光院は残っています。
間部詮房との疑惑は証明出来なかった。

何といっても将軍のお母さんです。
気まずいですね

仲直りとかは無理にしても
お互いに今後うまくやっていくために何らかの手を打ちたい
極めて日本人的です。

考えに考えて妙案が浮かびました。
真ん中をとる、絶妙な案です。

公武合体
江戸時代も7代ともなると、色んな良くない部分が目立ってきます。
特に財政面はかなりまずい。
5代綱吉は、お母さん桂昌院が仏教に湯水のように金を使い、ガタガタ
6代家宣は勢い込んで立て直そうとしたはずが、京都かぶれになりすぎて
色々華美にしちゃって、輪をかけちゃった。

さらに危ないのが、7代家継の健康問題
4歳の家継は元々病弱
お父さんが亡くなって仕方なく継ぎましたが
無事に成人してくれそうにない。

5代も6代もお世継ぎがなかったがゆえに、弟、甥という関係から養子にもらいましたが
家継には弟も甥もいません。

幕府と朝廷との関係を見てみると、あまり良好とは言えません。
幕府が実質的支配者の立場を強固にすべく諸策を施した結果です。
ただ、京都派大勝利の今は、再考の余地があります。

言い出したのは月光院の江戸派側

公武合体

幕府の先行き不安な今
この際、朝廷の力を借りよう。

今まで、天英院のように、天皇の親戚から正室を迎えていたが
天皇の娘そのものを正室を迎えよう。

公武合体って、14代家茂の時に皇女和宮の降嫁が有名ですが
実はそのずっと前に、同じ発想が現実に移されている

歴史的大転換

月光院としては
京都派に全面敗北です
とのていを取りつつ
天英院のお父さん近衛基熙(このえもとひろ)と
勢力争いをしている、霊元法皇の娘を、息子の嫁にもらう
自分は皇族のお母さんになり、天英院より格上になれます。

天英院としても、京都派な訳ですから
京都と関係が強化されるのは悪い話ではない。
あまりに強烈に喧嘩を仕掛けちゃった手前
落とし処を提示してくれたのは有難い。

この時、7歳になっていたとはいえ、
結婚というのは驚きです。

家継ちゃん、結婚したい?

うん!

もっと驚きなのはお相手の八十宮
なんと2歳です。

やそちゃん、結婚したい?

バブー

実は、真の目的はその次にある
年齢はどうあれ
結婚したという形さえ取ってしまえば
その息子として跡取りを養子に迎える事が出来る

子供が大人を息子に迎えるってどういうこと?
と指摘を受ければ
あら、気づきませんでした
と、しらばっくれれば良い

その跡取りは皇族
皇族将軍の誕生です。
完全なる公武合体。

それだけ、家継の健康状態は不安視されていた

急げっ

慌ただしくも超豪華な結納式
あんまり急いでいたので、すっかり忘れていました。
本人たちは対面していません。

あとは、結婚式の日取りを決めましょう。
もうすぐ小さな花嫁がやって来ると江戸中が沸き立ちます。

ところが、将軍側からちょっと待って、の声

家継が夜桜見物で風邪をひいちゃった
風邪をひいただけでも一大事なんです。

そして、そのまま帰らぬ人になります。
将軍在位4年の哀し過ぎる一生でした。

もう少しだったのに間に合いませんでした。

この話は無かった事に
になるはずが
結納の時に約束を交わしちゃっています。

これ以降は徳川ね
その代わり五百石ずつ毎年差し上げます。

哀れ、たった2歳の八十宮
それ以降の長い長い人生はずっと未亡人として
再婚も許されませんでした。

全く会ったこともない、7歳の旦那様の事を想いつつ?
無理でしょう、そんなの

48歳で孤独な一生を終えました。

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