新江戸百景で、東海寺へ。

新江戸百景で、元和キリシタン遺跡と御殿山へ。
の続きです。

午前中の時間で2つ回れました。

この勢いに乗ってもう一丁

東海寺に行こうと思ったのですが
グーグルマップを見ると、その手前に、沢庵和尚(たくあんおしょう)の墓があるじゃありませんか。

お墓
行ってみると、そもそもここも東海寺の墓地

こんなすごい看板が

おおっ、まさかの渋川春海(しぶかわはるみ)
暦ファンとしてはたまりません。

そして、だめ押しの賀茂真淵(かものまぶち)
生きてて良かった。
塙保己一(はなわほきいち)のお師匠さんです。

入口近くで掃除をしているおじさんに
済みません、沢庵和尚のお墓はどの辺でしょう。

それぞれの墓の場所を、
分かりにくいんですけど、と言いながら教えてくれた。

沢庵和尚の墓はすぐ分かりました。

沢庵和尚については、名僧シリーズでやろうと思っているので、詳しくはその時。

それ以外がどうにも分かりません。
おじさんの言ったことは正しかったですね。
確かに分かりにくい。

中にも掃除のおじさんがいました。

すみません・・・

渋川春海が分かりました。

渋川春海から日本の天文学は始まりました。

他がまた分からず
また、別の掃除のおじさんに聞いて、井上勝と賀茂真淵が分かりました。
井上勝は、幕末の志士。伊藤博文、井上馨と共に長州ファイブと言われた人物で
モレルとともに、日本に鉄道を作った鉄道の父

賀茂真淵

東海寺

沢庵和尚のお寺です。
昔は、実に4万八千坪というどでかい寺院で、栄華を極めたお寺だったらしい。
だから、いっぱい有名な人の墓があった訳ですね
塔頭(たっちゅう)という大きな寺院の敷地内に建てられた子供の寺が17個もあった。
でも、残念ながら、明治以降寂れちゃって
その塔頭の中のひとつ、臨川院がこの場所で、東海寺の名を引き継いだようです。

入ると、目の前にどーんと鐘楼(しょうろう)

鐘楼って中に入れないようになっているところが多い中
ここは入れる。
というか、入っちゃった。

入っちゃった場合に必ず確認しているのは、後ろに書いてあるこれ

寛永戊寅の年とある
おお、さすが
江戸時代の初期、沢庵和尚の時期と重なる
当たり前か。

この梵鐘、家光のお母さん、桂昌院が寄進したらしいです。

隣のこの建物、古いわぁ


寛永時代のがそのまま残っているんだろうか

敷地内の墓地もちょっとだけ見て
さあ、会社に向かいましょう。

史跡巡り広場
帰り道、お隣のビルに気になる看板

ビルの前の空きスペースでそのような素晴らしいものが展示してあります。

例えばこんなの

たいまいはたいて、世のため人のため私のために、こんなものを作ってくれるとは
どれだけ性格の良い人なんでしょう。
文化勲章に推薦したいです。

品川宿散策マップも作ってあります。

ええっと、東海寺は、と
何々?丹波笹山藩の青山家や、堀田正盛の墓がありますって?

さっき東海寺にいるとき、新江戸百景巡りの本を確認したら
確かに堀田正盛の墓とはあったんだけど
「違う場所に」と表現されていたのであきらめた。

青山家の墓地って、東海寺内の墓地にあった気がするぞ
ということは、堀田正盛の墓もさっきのところにあったのでは?

これはもう、堀田正盛ファンとしては引き返さざるを得ませんね

堀田正盛は老中で、3代将軍家光の恋人。
男同士ではありますが、純愛を貫いたんです。
家光が亡くなると、自分も切腹します。

あったぁ

でも残念。
あとで調べると、せっかく撮った写真の、本光院と書いてあるのは、
近江宮川藩9代藩主の堀田正養(まさやす)のもので
堀田正盛はその隣の区画だったようです。

堀田正盛の墓には臨川院と書いてあるんですって。
臨川院って聞いたことありますね。
そうです。この場所の塔頭であるお寺の名前です。
この臨川院、実は堀田正盛が建てたもので
そのまま、自分の戒名にした訳です。

堀田正盛の墓って、ついちょっと前に、上野の現龍院で確認したばかり。
ここは、正確には、慰霊塔らしいです。

さあ、これで3つクリア
あと残りは9箇所となりました。

会社に行きましょう。

どこ行こう、そうだ!おでかけマップ

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