シュリーマンが遭遇した人物は?(含、ダイヤモンド富士)

「徳川将軍家の演出力」の第二弾です

シュリーマン
トロイア遺跡の発掘で有名なハインリッヒ・シュリーマン
欧米で様々な事業で大金持ちになります。
42歳で商売から身を引き、幼い時からの夢であった、トロイア遺跡の発掘に取り組みます。
その直前、1年以上の長きに渡って世界一周の旅に出ます。

その中で、なんと日本にも寄っているんですね
時代は幕末真っ只中、慶応元(1865)年ですから明治維新の3年前

えっ
この本を読んでびっくり
少し前に受けた江戸検定に問題として出たんですよね
正解しましたよ。

では、クイズに致しましょう

【問】
慶応元年、のちにトロイア遺跡の発見者となる考古学者シュリーマンが来日し
ました。到着早々シュリーマンは東海道を進むある人物の行列を目撃し、「堂々
とした美しい顔は少し浅黒い」とその容貌を旅行記に記録しています。その人
物とは誰でしょう?
い)生麦事件直前、品川宿を通過する「島津久光」
ろ)長州再征のため上洛する途中の「14代将軍徳川家茂」
は)江戸に向けて進軍する「東征大総督·有栖川宮嬢仁親王」
に)京都で逮捕され、江戸に護送される途中の「大盗賊日本左衛門」

答えの前に別の話題を割り込み

ダイヤモンド富士
ダイヤモンド富士を追いかけて
でお話しし
5000円の電池も買って、気合いが入っておりました、ダイヤモンド富士の撮影
チャンスは昨日と今日の二日間のみでしたが
残念無念
同じ場所の同じ時間での撮影はこんな感じ

お日様ぁ
どこにおいでなのでしょう

来年頑張ることに致しましょう。

良かった良かった。
こんな予感がしたんですよ。
先週「ちょっとずれてるけどダイヤモンド富士」を撮影しておいて良かった
うん、私は賢い。

ということで、答に参りましょう

【答】
ろ)長州再征のため上洛する途中の「14代将軍徳川家茂」

簡単でしたね
「徳川将軍家の演出力」って最初に言ってますから将軍です。

決め手は慶応元年
生麦事件はもうちょっと前の文久2年だし
江戸に向けて進軍する有栖川宮嬢仁親王は、慶応4年

大盗賊日本左衛門が堂々とした美しい顔の筈ないですしね

陸路での上洛は莫大な費用がかかるし時間もかかる
軍艦での上洛も計画されましたが
外国船の良い標的になるだろうとのことで敢えて陸路

前回、将軍の権威付けのため、将軍の顔は滅多なことでは見られなくする
茶壺に追われてトッピンシャン
政策だとお話ししました。

激動の幕末の状況は、敢えて逆の戦略に出ました。
大行列で、東海道を進んで権威を見せつけると同時に、将軍も馬上に乗り顔を見せる
パレード政策です。

この前の即位パレードもそうしてくれていればもうちょっと見やすかったのに。

一般庶民に対しては、家の中でじっとしているようにとお触れは出たようですが
幕末ともなれば、庶民もそんなお触れを守ろうとも思っておらず
もうお祭り騒ぎです。
江戸の木綿問屋の鹿島萬兵衛は、当時の様子を日記に書いていますが
赤坂御門の目と鼻の先の青山で、目撃しています。
土下座も立ったままでみんな見ていたようです。

尾張藩の武士すらこぞって見学に行ったという記録が残っています。
御三家ですら、その時まで、将軍の顔を知っている人はほとんどいなかったのです。

すでにこの時、修好通商条約は締結されており、外国人は横浜の居留地にいます。
外国人としても、将軍の顔を見たい
とは言え、先ほど書きましたように生麦事件の後です。
二度とそんな大トラブルを起こしたくありません。

横浜の居留地からは出ないで下さいよ

ちょっとちょっとそんな殺生な。
プリーズショーミー

交渉が重ねられ、英語でまくしたてられると、やっぱり外人さんにはかないません。

ちょっとだけね

まあ、宣伝にもなりましょう

横浜から4マイル(6.4km)も離れた保土ヶ谷に特別拝観場所が設けられました。
シュリーマンは、横浜にできた日本初のホテルに滞在中、その報せを聞き
こりゃ面白そうと、保土ヶ谷に向かった訳です。
オー、ファンタスティック

幕府は、どうせならうまく利用しようと
「外人さんも大喜び、将軍大行列」をわざわざ錦絵として書かせています。
それがこちら

先ほどの、江戸検定の問題にはひっかけが含まれています。
「顔は少し浅黒い」というところです。

後にシュリーマン自身が書いた「日本中国旅行記」の中の表現なんですが
家茂はとても色白なんです。
徳川将軍ファンの中ではかなりの常識

いかに白人さんたちが、そんなレベルじゃなく真っ白かって事ですね。

[江戸の文化]シリーズはこちら(少し下げてね)

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