五百羅漢寺に圧倒される

お出掛け、目黒から
の続きです。

五百羅漢寺(ごひゃくらかんじ)
目黒不動(龍泉寺)の横っちょに、五百羅漢寺というのがあります。
名前からしてすごそうですね。
言ってみましょう。

拝観料、500円です。

ちょっと高めですが、逆に期待できます。

五百羅漢って川越の喜多院でも、地元、東久留米の浄牧院でも見たし
絵で言うと、増上寺の資料館でも見た
はずれのないアイテムだと言える

羅漢さんってどういう位置づけかでいうと
仏像とまではいかない。
仏様というよりは、仏教信者

一般の生身の人間です。

お釈迦様には、10人の弟子がいる
当時も、その孫弟子みたいな感じでいっぱい信者がいた

お釈迦様は、私の教えを文章に起こしたりしちゃダメよ
口伝えで伝えなさい、と言って亡くなった。

ちゃんと覚えておかなきゃならないから
集まって、こうだったよね、と確認会を開いたり。

200年は守ったんだけど
もう限界、って色んなお経が作られていく訳です。

確認会の中で、10人だけでなく、孫弟子とかの信者もいっぱい集めて
500人の大集会を開いたことがあります。
その時集まったのが、五百羅漢、と呼ばれる人たちです。

500人ほど集まったということが分かっているだけで
誰一人名前すら分かっていません。

でも、この人たちがいたお陰で、200年後にお経もできたし、後々の我々が
お釈迦様の教えを知ることが出来る事は事実

今から、400年ほど前、中国の明の時代に
500人の羅漢さんに名前をつけようと言うことになりました。

後付けですから、本当の名前とは違います。
お経の中から取ったりしていますので
名前自体が教えになっている優れもの

羅漢堂
約半分の百数十体がここにある
大きさは、実物大の人間を小振りにしたくらい。
今まで見た五百羅漢の中では一番大きい。

とてもとても残念なんだけど写真NG
この圧倒する感じを言葉でどう伝えれば良いのか
ああ、写真を。写真を撮りたい

ネットから拝借

でも、迫力的なのはねえ

「らかんさんのことば」というのを売っていると書いてありました。
1000円か。
ちょっと高めだけど買っちゃおう

そこに出ていた、幾人かの羅漢さん


らかんさんのことば、ってどういう意味かというと
決まった名前が引用されたお経の意図する意味を「ことば」と表現している

颯陀怒尊者(そうだどそんじゃ)
過去を自慢するのは、進歩の止まった証拠

厳土尊者(げんどそんじゃ)
撒いた種は遅かれ早かれ芽を出す

摩訶刹利尊者(まかせつりそんじゃ)
己に克つものこそ、最も勇敢な勝者である

本堂
真ん中にとても大きなお釈迦様

右側、左側に羅漢さん


そして、バックにお釈迦様の教えが心地よい音楽とともに流れる。

静かに聞き入ります。

そのあと、資料館もあるんですが
ここも撮影禁止

良かった、本買っておいて。
家に帰ってから本を読んだんですが
五百羅漢寺というお寺さん
実にドラマチック
次から次からすごい話が。

ということで、このあと、五百羅漢寺の歴史と歩みをお話ししましょう
一回では無理なので分割します。

鉄眼道光(てつげんどうこう)
五百羅漢寺の五百を超える羅漢像、木製なので朽ちやすい
江戸時代に作られた、木製の仏像が今も残っているのは珍しいのですが
今残っているのが305体。奇跡的な数字です。

この500を超える羅漢像、さらに、とても大きなお釈迦様像も含め
一人の人が彫りあげたものです。
松雲元慶(しょううんげんけい)
五百羅漢寺も松雲元慶の時に作られた寺院

当然、松雲元慶から話が始まると思いきや
そのもうひとつ前にまだドラマがあります。

松雲元慶の師僧、鉄眼道光(てつげんどうこう)です。

寺院では、開山と開基という言い方をします。
開山は、お寺を開いた僧
開基はお金を出したスポンサーというか、作れと指示をした時の実力者的なひと

五百羅漢寺の開山は、松雲元慶ではなく、鉄眼道光
不思議なことに、五百羅漢寺が出来たとき、鉄眼道光は既に亡くなってこの世にいません。
でも、松雲元慶は自分を開山とせず、師たる鉄眼道光を開山と位置づけた。

何故なのかをお話ししていきましょう。

鉄眼は寛永6年、本願寺系の寺の家に生まれ
幼い頃から、儒教仏教の教養を身に付けます。
江戸時代3代将軍家光の頃です。
26歳の時に、黄檗宗の開祖、隠元に出会い黄檗宗に目覚めます。

そしてある事を決意します。

日本に仏教がもたらされて千年以上になるが
大蔵経(だいぞうきょう)(一切経)が一度も刊行されたことがない
中国から購入された大蔵経も数が少ない
私の手で、大蔵経を刊行しよう。

大蔵経とは、あらゆるお経の中で、最も総集的なもの
ボリュームも膨大です。
ところが、貴重であるが故に、中国から購入された大蔵経は
一般人はもちろんの事、僧でもなかなか見ることが出来ないものでした。

6956巻というとてつもないもの
この版木を作って、いくらでも刷れるようにしようと。
版木の数にすると、6万枚にもなります。

難事業中の難事業
でも、それができれば、出家信者のみならず、在家信者にいたるまで、
一気に誰でも大蔵経に触れることが出来るようになるのです。
十数年にわたる諸国行脚で、寄附を募り
苦難に打ち勝って、53歳で生涯を閉じる少し前に
とうとう完成を見るのです。

その過程で、情熱に打たれ
弟子となった人物がいます。
その人物は、僧ではありませんでした。
仏師です。仏像の彫刻家。
お分かりですね。松雲元慶です。

さあ、その出会いは。
明日、続きをお話しすることに致しましょう。

[お出掛け]シリーズはこちら(少し下げてね)

五百羅漢寺に圧倒される」への3件のフィードバック

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  2. ピンバック: 五百羅漢寺。超美人で江戸っ子チャキチャキ、お鯉のその後 | でーこんのあちこちコラム

  3. ピンバック: 目黒不動と、成就院と、目黒のさんま | でーこんのあちこちコラム

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