お出掛け、目黒から

予め謝っておきます。
ごめんなさい。
本格的なウォーキングお出掛けしちゃいました。
耐えられませんでした。

だってお盆なんだもーん

♪ボ盆盆盆盆盆~

目黒
色んな本からグーグルマップに行きたい場所をコメント付で書いていっています。
「行きたい場所」は緑色でマークされます。
ざっと見渡して、一番緑が多いのは

目黒だっ

JR目黒駅を出発し
行人坂を下って、まずは大円寺
行人坂の大火の火元。
色々見処満載の超大物
一回行っておりますが、再度一通りチェック
うん、異常なし
ということで、一度紹介しているので割愛ね
新江戸百景巡り。世田谷代官屋敷と行人坂

お七の井戸
ホテル雅叙園(元、目黒雅叙園)の敷地内にあります。

八百屋お七の悲しき恋の物語
いきさつはまるっと省略しますが
お寺の小姓吉三に恋した、14歳の八百屋お七は
思い詰めたあげく、火事を起こせば吉三に逢えると、放火をしてしまいます。
放火は獄門火あぶりの刑
吉三もあとを追おうとしますが、師匠に諭されます。

死ぬのはすぐできる
でも、この世であなたのやるべき事を見つけてみては?
それが、お七の弔いになるんじゃないか

その後、仏の修行をしつつ
目黒川に橋をかけ、道を普請し
生涯を土木事業に捧げます。

お七の井戸は
吉三がお七のために毎日水垢離(みずごり)をした井戸です。
先ほどの大円寺にも吉三のゆかりの石が残っています。

八百屋お七について詳しくはこちらを見てね
八百屋お七は、哀しき16歳
丙午(ひのえうま)の迷信。八百屋お七の思いを分かって欲しい。

なぜここにお七の井戸があるかというと、昔この場所に明王院というお寺があったから
さらに言うと、目黒雅叙園の敷地は広いので、柳生宗矩(やぎゅうむねのり)の下屋敷でもあった。
柳生宗矩と言えば、剣術の面では将軍家御流儀としての柳生新陰流を創設
沢庵和尚を、3代将軍家光に紹介したのも、柳生宗矩です。

ということもあるので、ここまで来たら雅叙園の中を拝見させていただきましょう。

ホテル雅叙園

ホテル雅叙園は随分前、私が若い頃に来たことがあります。
目黒雅叙園が全面改築して、ホテル雅叙園になったとき。
会社で、研修の一環的に、会社のみんなで見学に来た。

やたらにすごくて、中を巡るツアーみたいな感じで
口あんぐりしながら巡った。

あの時の印象が頭にこびりついている。
とにかくすごい。ど派手
とは言え、洋ではなく、和なんですが。

出たっ。竜宮城

庭園の滝が良いなあ


滝の上の方の奥に手すりが見える。
ひょっとして、椿山荘パターンか
やっぱり。滝の中側から外を見る

これすごい。建物の中に茅葺きの家を作っちゃった


あちこち装飾がすごいんだけど
あの若いときの口あんぐりの印象とはちょっと違う

帰り道で、「文化財百段階段」というのがあった
これか。
階段だったっけか

すみません
百段階段というのはどちらでしょう

こちらの奥のエレベーターから上がっていただくんですが
12/30からご案内するので、今はその準備中でございます。

やっぱりね。あの時見たのは、こっちの奥なんだな
あと20分待ちはちょっとキツい
今日は行きたいところが山ほどあるからね
今度にするか

ネットで見るとこんな感じ
おそらくほんの一部でしょうが。

蟠龍寺(ばんりゅうじ)
山の手七福神巡りで言うと、弁財天担当。

岩屋弁天というのがあります。
洞窟の中に弁天様

こりゃ弁天様らしくない。横に蛇がいるから弁天様って分かるけど
そもそも女性っぽくないしなあ。

ひょっとして、こっち? 遠くて良く見えないけど。

後で調べて分かったんだけど
両方弁天様らしい
石製と木製

ここで面白いのは、おしろい地蔵
以前港区にあったおしろい地蔵はなかなか笑えたので、こう御期待ってところ
えっ

い、いない

後ろを振り替えると

いたっ
でも、あんまりおしろい塗っていない

どうしたんだろう
引っ越し中?
自分で動いた?
どっちかだとは思うが、よほど深い事情がおありかと。
ここは詮索しないようにいたしましょう。

昔、顔にあばたのある若い女性がその事でとても悩み
このお地蔵様に願掛けしたら治ったとのこと
顔がきれいになる担当のお地蔵様らしいです。

都会にいる若い女性は綺麗な人ばかりですが
おそらく、みんなこのお地蔵様に願掛けしたんだと思います。

海福寺
予定にありませんでしたが
ふと目に止まりました。
黄檗宗(おうばくしゅう)ですと。
おおっ。黄檗宗って意識して見るのは初めてかも
中国風だって事ですよね

門が貴重だと書いてあったけど、
うーん、中国っぽくはないなあ

これは何かな?

えっ。永代橋崩落の犠牲者供養塔

寄って良かった。このような大物があったとは
永代橋崩落って江戸ファンなら絶対に知っている大事故
現代なら、御巣鷹山日航機墜落事故くらいの大惨事。

喧嘩の謹慎で、12年間禁止させられていた富岡八幡宮のお祭り
再開許可が出され、大挙人が押しかけた。
永代橋に人が詰まって、真ん中辺りから崩落
犠牲者が大量に出た。

なぜここに、という違和感がありますが
元々海福寺は永代橋のそばの深川にあったものがここに引っ越したらしい
それなら納得

鐘の下の波うっているのは、日本では見られず、中国風らしい

ああ、良かった。黄檗宗は中国風、が証明されました。
天和二年に、深川の海福寺が全焼したとき、鐘もダメになっちゃった。
鐘を作り治せたとき、黄檗宗の開祖、隠元がおめでとうと言った銘文が残っているとのこと
探しましょう。

あったぁ

良かった良かった。黄檗宗が確認出来ました。

まだまだ続きますが、一旦はここまで
続きは明日ね。

[お出掛け]シリーズはこちら(少し下げてね)

お出掛け、目黒から」への3件のフィードバック

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