目黒不動と、成就院と、目黒のさんま

お出掛け、目黒から
五百羅漢寺に圧倒される
五百羅漢寺。五百羅漢像を一人で彫った松雲元慶という男
五百羅漢寺。超美人で江戸っ子チャキチャキ、お鯉のその後
の続きです。

ずいぶん、五百羅漢寺で紙面を取ってしまいました。
失礼しました。

目黒不動
超大物です。
一度来ていますので、
今回の目的はその中の二ヶ所のみ
ひとつは、権八小紫の比翼塚
もうひとつは、鷹居の松

平井権八。芝居に出てくるときは白井権八、と言います。
鳥取で人をあやめ、江戸に逃げてきます。
そこで、吉原の三浦屋小紫と良い仲に
お金が続かないので、小紫に会いたさに、辻斬りや強盗を重ねていきます。
追っ手に追われ逃げ込んだのが、目黒不動の隣の東昌寺

かくまわれているうちに、諭され、改心
尺八を学んで虚無僧姿で、死ぬ前に一度両親に会いたいと、鳥取へ
でも既に両親は亡くなっておりました。

虚無感に包まれて、自首を決意
鈴が森で処刑されます。

東昌寺に墓が出来るのですが
小紫が墓の前で後追い自殺するのです。

ということで、比翼塚があります。

比翼塚とは、中国にいた、羽根が二対ある比翼の鳥にちなんで
愛し合って亡くなった男女の霊を弔うもの
八百屋お七と吉三にも比翼塚があります。

鷹居の松

3代将軍家光が、鷹狩りに出かけた。
でも、大事にしている鷹が逃げちゃった

鷹ちゃんやーい

残念
見つからない

失意のうちに、行こうと思っていた目黒不動に行くと

はーい
待ってたわよー

鷹が先回りして、目黒不動の松に止まっているではありませんか。

ということで、鷹居の松

でもなあ
松って止まりにくいんじゃないかなあ。

あっ、いた!

成就院
実は今回、一番来たかったのが、成就院

これも目黒不動のすぐ近くです。

ここではやはり家光なんですが
目黒不動の帰りに、成就院に寄る

すると、そこで住職が

上様
これから私の言うことをよおく聞きなされ

急に真剣な表情になった。

いつかこの事を打ち明けねばと思っておった。
実は、あなたには、弟がおられる。

えっ

家光のお父さんは秀忠。お母さんはお江(ごう)
お江はやきもちやきの強烈な強妻家
秀忠は浮気なんてしたら殺されそうなので我慢我慢。
ところが、一度だけ、あまりに魅力のある女性がいた
お静。
ついふらふらーっと
子供が出来たんですが、こら、えらいこっちゃ。

お江に何とか知られないようひた隠し。
お静は、身の危険を感じ、お腹の子供とともに逃げ回ります。
かくまってくれたうちのひとつが、この成就院

産まれたのが、あの保科正之です

その後、おそらくその事実を知らぬまま、お江は亡くなります。

ようやく、お静と保科正之に平和が訪れる。
とはいえ、お江の取り巻きはまだいますので
事実を公には出来ません。

時は流れ、秀忠も亡くなり、3代家光の時代
この日になります。

弟が、
弟が居たのか
会ってみたい。

後日、この成就院で
お静と保科正之は、家光と、涙の対面を果たします。

保科正之は、家光に重用され、将軍の側近として
次の4代家綱の時代まで支えます。

でも、徳川姓にはならなかった。
保科正之が、断ったからです。
自分をかくまって受け入れてくれた保科家への思いです。

もらった領地、会津は
正之の死後、松平姓を名乗ることになり
幕府と兄弟
幕末に、幕府側で最後まで戦い抜いた白虎隊の悲劇は
ここに端を発します。

お静地蔵です

ところで、成就院はタコで有名
開山は慈覚大師円仁ですが、
ご本尊の、薬師如来像をついつい海の中に投げ入れてしまった

ついつい、ご本尊を海の中に投げ入れるとはどういうシチュエーションなのか、いまいち理解に苦しみますが。

すると、海から、タコが現れて
こんなん落としませんでした?

以来、蛸薬師と言われています。

おおっ。なんて素敵な、郵便バイク

目黒のさんま
またまた、家光です。
目黒は家光ゆかりだらけ

茶屋坂街かど公園という小さな公園に爺々ヶ茶屋という茶屋があった

鷹狩りでこの辺りが大好きな家光
帰り道で、
お腹空いたぁ

サンマを焼く臭いに誘われて

すまんが、それ頂戴

な何じゃ、このうまい食べ物は

それ以降、寝ても覚めてもさんまの事ばかり

でも、いくら言っても江戸城では食べさせてもらえない。

ある時接待を受けたとき
何か欲しいものがないか訪ねられ

さんまじゃ、さんまを頼む

最高級のさんまを準備し
何かあっては一大事と、脂を全て抜き、小骨も抜いて蒸し焼きに

パサパサのさんまにガッカリ

これは、どこのさんまじゃ

はい、日本橋魚河岸で求めてまいりました

そりゃいかん
さんまは目黒に限る

お馴染みの落語の舞台がここだったのです。

ちょっと不思議でしょう
なぜいくら言ってもさんまを食べさせてもらえなかったのか

江戸時代の武士は何でもかんでも身分や序列をつけたがる
何と、食材にまで序列があったんです。

将軍が食べてはいけない食材はこんなにあった

さんまは食べてはいけない食材だったわけです。

ウォーキングはまだ続きます。
続きは明日ね

[おでかけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

目黒不動と、成就院と、目黒のさんま」への1件のフィードバック

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