[天皇]75 崇徳天皇。不幸の前半戦

来ましたよ、崇徳天皇

崇徳天皇
1123~1141年

ひとりの人間の、しかも天皇の人生とはとても思えない
元はと言えば、崇徳天皇は何も悪くない
ひいおじいちゃんの白河法皇がお父さん鳥羽上皇の奥さんを孕ませて産まれた子供という
全くもって信じられない構図

鳥羽上皇に徹底的にいじめられる

崇徳天皇の願いはひとつ
自分の子を天皇にしたい

鳥羽上皇としては、何としてもそれを阻止してやろう。

鳥羽上皇は不思議な提案をします。
自分の息子、崇徳天皇からすると腹違いの弟、後の近衛天皇を養子にしませんか

崇徳天皇としては、なるほど、次を自分の子、すなわち皇太子とすれば
自分が院政を執る事が出来る
自由にやりたいことが出来るので
さらに、次の皇太子に自分の本当の子を指名して譲位しよう

はーい。それでいきましょう。

ところが蓋を開けてみれば、文書には「皇太子」となっているところが「皇太弟」に
弟に譲位したということだと、院政は執れない
じゃあ何のために弟を養子にしたのか。

騙された!

ちょっと抜けているのか、お人好しなのか
約束が違いますよね、と強く出れないんでしょうね

相変わらず、院政は鳥羽上皇

ここまでが不幸の前半戦

ただ、和歌の世界に没頭し
仏教にも帰依していくので、ここまでならば何とか

瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ
百人一首の解説も読んでね

このあと、一度挽回のチャンスはあったもののやっぱりダメ
不幸の後半戦が続き

追い詰められて
保元の乱という乱を起こす
そして負ける

後半戦は時期的には近衛天皇や後白河天皇の時期なので
続きはシリーズの次回といたしましょう。

[天皇]シリーズはこちら(少し下げてね)

[天皇]75 崇徳天皇。不幸の前半戦」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: [天皇]76 近衛天皇。崇徳上皇の不幸、生きながらにして天狗になる | でーこんのあちこちコラム

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です