毘沙門天は、違和感いっぱい

大黒天、恵比寿が二福神となったが、
二つより三つ、と欲が出てくる
そこで台頭してくるのが、毘沙門天と弁財天。
毘沙門天が加わって三福神になるか、弁財天が加わって三福神になるかのどっちか

とても違和感
毘沙門天は天とつくのでインド出身
中国に渡り仏教に取り入れられた時に天部に所属

大黒天や弁財天と同じルートをたどる

ところが、他の二人が、日本の中で色んなものとくっついて性格を変え、にこやかな福の神になっていくのに、一人だけほぼ変質しない。

いかついまま
武将のまま

だったら何で福の神なの?って謎が残る。

戦って敵をやっつけるのが仕事
そういう人が欲しかったんでしょうね。
七福神の中でバランスとして「強さ」を象徴する人が一人くらいいた方が。

結果として強いの大好き系の人は、毘沙門天を崇め奉ることになる。

本来福の神は、マイナス面の排除ではなく、プラス面の増幅のはずだったけど
毘沙門天についてはマイナス面の廃除的要素が強くなる。

貧乏神をやっつけて豊かに、だったり、病気をやっつけて健康に、だったり。
結果的には一緒でも、人それぞれでアプローチが違うんでしょう。

四天王
四天王とは、増長天、持国天、多聞天、広目天
あれあれっ。
毘沙門天は?
毘沙門天は多聞天と一緒。
一人や七福神の中では毘沙門天と表現し、四天王の一人として語られる時は多聞天と表現される。
ショーケンと萩原健一みたいなもんですね。

仏教では、須弥山(しゅみせん)というでっかい山があり、そのほとりに円盤上の平らな部分がある。金輪際と呼ばれる。
金輪際に浮かぶ4つの島に、人間が住んでいる
山の中腹にいて、それぞれの島を守ってくれるのが四天王。
毘沙門天は北を守ってくれる。
四天王の中では一番強いとされている。

インドも中国もほぼこんな感じの世界観らしい。
インドでは北からの攻撃に苦労したから北が一番強いんだとか。

でも、不思議さが残る
何でその親分であるはずの帝釈天は入らなかったんだろう
帝釈天を入れると、ほぼ同格の梵天を入れない訳にいかなかったから?

四天王では一番強かったかもしれないけど子分が先に入るってとても違和感。

庶民?
支配者層に都合よく使われたのかも知れない
七福神って、庶民が自然発生的に作っていったものだけど、
毘沙門天に限っていうと、支配者層側の意図を感じてしまう。

特に武士の時代になってくると、「強さ」は重要
上杉謙信や楠木正成は、毘沙門天が大のお気に入りだったらしい。

上杉謙信は自分が毘沙門天の生まれ代わりだと信じていて、軍旗にも毘の一文字を書いていた。
楠木正成は幼名を多聞丸といった。

福の神としては色んな違和感を持ちつつも、感じ方は人それぞれなので
バリエーションとしては良いのかもしれない

毘沙門天は、違和感いっぱい」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: [仏像の見分け方]毘沙門天 | でーこんのあちこちコラム

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です