[足利将軍]1-4 足利尊氏。第三幕は決定的

[足利将軍]1 足利尊氏。悪い奴にされちゃうの?
[足利将軍]1-2 足利尊氏。とらえどころの難しい人物像
[足利将軍]1-3 足利尊氏。第二幕で大敗北
の続きです。

足利尊氏としては、すったもんだはあったものの、ひょっとすると「思惑通り」に事が進み
高師直を排除し
優秀な弟直義(ただよし)に基盤を固めてもらった上で、息子の義詮(よしあきら)にバトンタッチ

うまい具合に行ったぞ
あともう少し、直義にサポートしてもらえれば
義詮も強力な体制を築ける事だろう

ところが、残念な事にそうはいかなかった。

尊氏と直義の本格的な対立が起きてしまう。
悲しむべき第三幕の始まりです。

おそらく子供可愛さ

義詮は当初は右も左も分からないので、おじさんの直義に頼りっきり
超優秀なおじさんなので学ぶべき事はいっぱいあります。

でも、成長につれ、慣れてもくるし
自信も湧いてくる
そろそろ一本立ち出来るんじゃないか
自分なりの考え方ややり方が芽生えてくる

おじさん邪魔

目一杯お世話になったんだからそれはないでしょ、と思うんだけど
お父さんの尊氏にあることないことチクります

ここで、尊氏も頑として
それは違うよ、あきちゃん。って諭すべきなんだけど
尊氏はそういうところがちと弱い

そうか、それはけしからん

家臣団も、高師直と直義の対立の頃に派閥が出来ちゃっているので
反直義の派閥は、よし今度は義詮を担ぎ、それそれとけしかける

今度は今までとは訳が違う
ツートップの決裂
プロレスでいうと、ジャイアント馬場とアントニオ猪木の対立

空気を察した直義
また先回りして、政務を辞した

なのに
尊氏は南朝に通じた佐々木道誉を討つと称して、近江に出陣する。
同じ日、義詮も播磨平定のためという名目で、軍勢を京都の南の関門の東寺に集めた。
要するに彼らは、京都にとり残された直義を東西から挟撃し、その息の根をとめようとはかった

えっ、せっかく誠意を見せたつもりなのにそう出るのね
それなら、こっちも考え方を変えさせてもらおうか
京都を脱した直義は、元々地盤の強い北陸に向かう
金が崎城
そう、十数年前に新田義貞が立てこもり、死闘を繰り広げた地
金が崎城を中心にどんどん勢力拡大

まずいと認識した尊氏は使者の細川顕氏を送って
戻っておいで

その手には乗りません

なんと、細川顕氏はそのまま、直義陣営に寝返ってしまいます。

尊氏の面目丸潰れ
よっしゃ、そうくるなら
コテンパンに叩きのめしてやろう

尊氏がとった丸パクリ作戦
かつての直義の奇策、南朝との和睦です

南朝としても、またかいな、なので強気に出る
前回の和睦の時よりかなり南朝がわに有利なもの
それでも和睦が成立

準備万端の尊氏は戦闘開始
初戦は尊氏の勝利
和睦の機運が高まるも
条件が合わず不成立

直義は鎌倉へ逃れる事になる

追う尊氏と鎌倉で戦い、直義軍大敗

やはり直接戦うとなると、尊氏は一枚も二枚も上手だった
直義降伏

ほぼ牢屋のような屋敷に閉じ込められて二月ほど
その中で直義は原因不明の死を遂げる
黄疸ということにはなっているのだが・・
2月26日。その日は高師直兄弟が死んだちょうど1年後だった。

色々な犠牲は払ったが
これでようやく、尊氏義詮の体制

ところが、ちょうどその頃
すでに別のとんでもない誤算に見舞われていた

[日本の歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

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