[足利将軍]15-3 義昭。秀吉へ

[足利将軍]15 義昭。信長と二人三脚
[足利将軍]15-2 義昭。信長との決別
の続きです

足利将軍シリーズは今回で最終回となります

毛利立つ
義昭の求めに応じ、西国一の大名毛利が反織田信長で立った
すると、上杉謙信も立ち
武田勝頼、大阪本願寺も呼応した

義昭は反織田信長の旗頭になる
信長に追われて京都から紀州に移座したとき、
わずか二〇人にまでその侍臣を減らしていた。
ところが、それがたった二年半で、あれよあれよという間に復活を遂げた。
そして、今や毛利や上杉といった、当時日本を代表する有力大名たちの旗頭になったわけである。

緒戦では、織田信長を大いに苦しめる
ただ、それぞれが力を持ちすぎているがゆえに
細かいところで意思統一がはかれないとほころびが生じていく

そして、上杉謙信の死をもってその力が削がれていった

大阪本願寺が最初に織田信長に屈し
続いて、武田勝頼が敗れた

残るは毛利
そして、毛利に庇護されている義昭
毛利を討て

その指示を受けたのが、明智光秀だった

本能寺の変
歴史

一日にして変わる

明智に続いて毛利を討つべく向かっていた羽柴秀吉は、
毛利との講和を急いで実現させ、京都へ引き返す

義昭は命拾いをした

そんな義昭ら近づいて来たものがいた
柴田勝家
秀吉と主導権争いをしている、織田信長の重臣

義昭は呼び掛けに応じた

ところが、柴田勝家は
秀吉に討たれてしまった

今度こそ終わりか

ところが、また義昭に近づいて来たものがいた

羽柴秀吉である

秀吉は義昭に利用価値を見出だした

島津を降伏させよ

義昭は島津と強いパイプを持っていた
島津に秀吉への降伏を迫り、実現させた

この結果、15年ぶりに京都に戻ることができた

秀吉の臣下となり、1万石を与えられて、大名になった
余生を静かに送る

61歳にして、死の床に伏す

彼には一子・義尋がいたが、この人物は僧籍にあった。
義昭が足利旧将軍家を存続させるためには、この義尋を還俗させるか、
誰かを養嗣子にしなければならなかった。
だが、義昭がそのような手続をとった形跡はない。
それゆえ、義昭が大坂で61年におよぶ波乱の生涯を終えると、
旧将軍家は後継者なきゆえに断絶した。
時に1597年(慶長2年)8月28日のことである

翌年、豊臣秀吉もこの世を去る
その2年後には関が原の戦いが起き
さらに歴史は大きく変わっていく

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です