[天皇]106-2 正親町天皇。関白と豊臣姓

久しぶりの天皇シリーズ
「天皇と天下人」という本を読んだので
正親町天皇について、補足したいと思います
[天皇]106 正親町。120年ぶりの譲位
の続きになります

正親町(おおぎまち)天皇

1557〜1586年と在位期間が長い
その間、織田信長、豊臣秀吉、天下人が変わっていく
さらに譲位して上皇になってからは徳川家康
激動の時代の天皇

織田信長
織田信長が天下を手中に収めていく中で、関わって行った二人の人物
将軍足利義昭と正親町天皇

将軍義昭については、前半と後半で大きく分かれる
前半は蜜月時代
義昭が信長を頼った事で、信長には上洛の大義名分ができた
義明もいくつかの和議の取り持ちをし、信長にとって「役に立ち」利用価値があった
ところが一転、義昭が、信長包囲網側にくみするようになり敵側に回った
結果的に義明は敗者となり、命こそ奪われなかったものの追放され
室町時代は終わりを告げる

となると、もうひとりの権威の局、天皇とどういう関係を持つか
天皇としても、実質的権力者と良い関係を築かなければ、資金面で援助を得られない
天皇の持つ最強のカード、叙位(じょい)と任官(にんかん)で信長を取り込もうとするが
そういった事に魅力を感じる性格ではない
信長は、あくまで自分にとって利用価値がある範囲でのみ関係を保つ
やはり「天下人」を名乗るには天皇のお墨付きは必要だし
信長と義昭の間の和議をはかってくれるなど実質的利用価値もあった
ひとことでいうと、つかず離れずの関係を最後まで保っていた

秀吉
本能寺の変で突然、信長が討たれる
正親町天皇は、明智光秀に接触を図るが
同時に、羽柴秀吉にも
いわゆる両天秤
結果はすぐに決するので、秀吉に接近していく

秀吉は信長と違って、権威大好き人間
将軍に実質的な意味がなくなっているので、天皇との関係が重要

つかず離れずではなく、べったりなんだけど
したたかで頭の良い秀吉
自分の方が優位に立って、天皇を利用していく

最も象徴的なのが、関白であり、豊臣姓

摂政や関白は、藤原氏のうち、五摂家と言われる、
近衛家、二条家、一条家、九条家、鷹司家しかなれない
ずっとこのルールは破られたことがない

二条昭実(あきざね)が関白になる
ところが、気に入らないのが近衛信輔(のぶすけ)
早いこと私に関白職を譲れと大喧嘩

ここに仲介に入った秀吉
近衛家と二条家という日本を代表する名家がこのままでは遺恨を残すことになり
日本のためによくありません
どうでしょう、ここは間をとって、私が関白になるということでは?

は?

全く間を取ってません
秀吉は五摂家ではないので、関白になれっこありません

なるほど、確かに私は五摂家ではないですね
じゃあこうしましょう
私が近衛家に養子に入りましょう
そうすれば私も五摂家です
私は中継ぎなので、すぐに信輔さんに関白をお譲りしますよ

正親町天皇のところに行って
この線で、二人を説得してくださいとゴリ押し

かくして超レアケース
ホントは五摂家じゃない関白秀吉が誕生する
これをもって、完全に秀吉は天下人になったと言えるだろう

こんなゴリ押しをされて
さぞや正親町天皇は苦々しく思っているかと思いきやそうでもない
頻繁に秀吉は参内(さんだい)している
実は信長は結局正式な形での参内を一度もしていないのと大違い
参内するたびに、貢物とお金をいっぱい持ってくる
それまでの室町時代の天皇が、貧乏を極めたのと大違いで急にお金持ちになった

名字とは別に姓というのがある
正式なもので、正式な文書で使われ、名字と併用される
元々、天皇から与えられた源平藤橘と言われる源氏 平氏 藤原氏 橘氏しかない
近衛信輔であれば近衛藤原信輔
平清盛は平氏、源頼朝は源氏、北条義時は平氏、足利尊氏は源氏、織田信長は平氏
徳川家康は源氏
実は天下の権力者は源氏と平氏が順ぐり

秀吉は、信長に仕えたため、平氏を名乗っていた
羽柴平秀吉

関白になるとき、藤原氏である近衛家に養子に入ったので藤原氏に変わった
羽柴藤原秀吉

6年後、正親町天皇が後陽成天皇に譲位して、上皇になった
正親町天皇としては、譲位が切なる願いだったので、そのお礼だろうか
秀吉を太政大臣(だじょうたせいじん)に任じた
基本的には左大臣が最高位なのだが
常時ではなく一時的に左大臣の上に太政大臣が置かれることがある
実際に何かを行う役割はなく、名誉職
多くは期間を置かずに辞任して、太政大臣になったという名誉で幸せに余生を過ごす

太政大臣に任ずる経緯で、また歴史上類を見ないことをする
豊臣姓を与える

天皇が与える姓なので正式なもの
平安時代より前は増えたり減ったりしたが、
平安時代以降は源平藤橘に固定化された姓。
一つ加えるという衝撃の決断

一般的には羽柴が豊臣に変わったと思われているが
厳密に言うと
羽柴藤原秀吉 が 羽柴豊臣秀吉 になったということで、羽柴の名字はそのまま

豊臣姓は、秀吉が、バンバン勝手に大名たちに与えていき
秀吉に忠誠を誓う一族として利用する
こんなにいっぱい


急速に増えていった豊臣姓
大阪夏の陣が終わると、みんな一斉に豊臣姓を名乗るのを辞めちゃうんですけどね

そして、びっくりすることに、天皇の専権事項のはずの叙位(じょい)と任官(にんかん)すら勝手に行っていく

生まれた鶴丸が幼くして亡くなると急いで甥の秀長を養子にする
秀長に関白職を譲る
えっ
中継ぎで、近衛信輔に譲るって約束を完璧に反故にする
そして天皇は、関白職は今後豊臣家が世襲すると宣言
急に五摂家でもなく藤原氏でもない、豊臣家が関白になるルールに早変わり

口あんぐりです

この続きは、後陽成天皇のブログに引き継ぐことにいたしましょう

[天皇]シリーズはこちら(少し下げてね)

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