[徳川名参謀]13 家定→徳川斉昭

徳川名参謀シリーズ、いよいよ13代まで来ました。

家定はこちら
13代家定、ガチョウ追っかけてる場合じゃないよ

「徳川十五代闇将軍」の本では、徳川斉昭をチョイスしました。
ほう、そう来ましたか。

老中でもなく、四賢侯でもなく、水戸なんですね。
なかなかです。

徳川斉昭
徳川斉昭(なりあき)は、水戸藩9代藩主
同時期の薩摩の島津は斉彬(なりあきら)なので、紛らわしいですね

15代将軍慶喜(よしのぶ)のお父さんです。

時代背景としては
ペリー来航で、てんやわんや

12代将軍、家慶は風邪で寝込んでいたので
心配かけまいと、知らせなかったんだけど
いつまでもそうもいくまい、と知らせた。

すると、「斉昭に相談せい」の一言。
それだけ?

なんと、そのまま死んじゃった。
「斉昭に相談せい」が遺言になっちゃった。

13代家定は、9代家重に続きふたりめの
なんとも無理でしょ将軍。
なった途端、次の将軍争いが活発化するという何とも失礼な情況。

そういう訳だから
斉昭さん何とかしてよ

こっちに振ってくんなよ
と言いそうですが
そこは、やりたがり斉昭
よし来たっ

御三家御三卿シリーズをやろうと思っているので
そこで詳しく書きますが
水戸藩って極めて特殊な藩。

一言でいうと
幕府が嫌いで、朝廷が好き。
水戸学という言い方をします。

御三家でありながら、ずっと幕府とは距離をおいてきた。
ここへきて、斉昭の個人的な性格から、一転
水戸学は、ベースとして持ちながら、距離は置かずにグッと踏み込む。

尊皇攘夷
水戸学なので元々尊皇
開国派と攘夷派では、強烈な攘夷派

そして、もうひとつの軸
後継者争いでは、当然一橋派

野心満々なので
切れ者の自分の息子、慶喜を
水戸にいるより将軍になりやすい、御三卿の一橋家に養子に出した訳です。

その後、南紀派の井伊直弼に負け
安政の大獄で永蟄居(えいちっきょ)という外出禁止の刑を受ける
その後実力行使で巻き返しを図るのが、水戸藩有志による、桜田門外の変
そんな流れになっていく

もちろん、最後の将軍は息子の慶喜が勤めるわけだから
水戸藩が幕末でかなりの重要な役回りを担っていくのは間違いない。

それもこれも、斉昭からということ。

後継者争い
実は元々、斉昭も水戸藩内での藩主の後継者争いに勝ち抜いた人物
藩改革で、自分を推してくれた藤田東湖(とうこ)等の下級藩士をどんどん登用し
広くみんなの意見を聞いていく。
独裁者的ではない。

家慶の時代から、長文の意見書を幕府に提出している。
老中とかは、位的には徳川の斉昭よりは下だから
無視する訳にも行かない。

めんどくさかったでしょうね。

ただ、無責任な評論家ではない。

幕府は、海防参与という新しい役職を作って
斉昭をその職に就ける

水戸藩として反射炉を作り、鉄を製造(これはちょっと失敗)
大砲を74個も作る
禁止されていた大型船が解禁されるや
水戸藩は大型船を作っちゃって
幕府に献上する

老中、阿部正弘としては
表裏を使い分け
斉昭をうまく使おうと考える。

ご存じの通り、表向きは攘夷論を言いつつ
本音は開国という人たちが次々台頭してきて
気がつくと、あれあれ開国なんだ
って展開になりますよね。

斉昭は、表裏なく攘夷なので
突っ走りすぎるとヤバいぞと。

こっそり呼んで
幕府の懐事情を数字でちゃんと説明する。

数字を見せられると
うーむ、思っていた以上だ
確かにこれで外国を打ち払うのは厳しいな。

その場では納得。

でも、実際に日米和親条約が締結されちゃうと
どうにも我慢ならない
海防参与をやめる。

将軍継嗣問題
こうなったら、何としても、自分の息子を将軍にしよう

猛烈な工作を繰り広げる。
四賢侯(薩摩、土佐、宇和島、福井藩)を味方につけ
阿部正弘も。
薩摩から密命を受けた篤姫を家定に嫁入りさせて
将軍も取り込む作戦。

対する、南紀派の井伊直弼は、譜代大名を味方につけ
紀州と尾張
忘れちゃならない大奥。
大奥を味方につけると強いよ

そして、最終的には、家定が慶喜を嫌っちゃって、南紀派の勝ち
慶喜ってすごく頭は切れるんだけど
変な人ですからね。

続きは、14代への参謀、井伊直弼に譲ります。

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