江戸の娯楽と言えば、祭でしょ(山王祭)

江戸の娯楽をいくつか紹介してきました。

ちょっとちょっと祭はいつ出てくるの?
はい、おっしゃる通りです


江戸に限らず、祭は庶民の娯楽の筆頭ですね。

「全国の祭り番付」というのが江戸後期に発行され、
日本の東西各地170もの祭りを格付けしています。
国の名と当時の開催日も記入され、
まさに全国お祭りガイドといえます。

伊勢を境に、諸国の祭りを東と西に分け、
伊勢神宮の神嘗祭(かんなめさい)など、真ん中の欄には別格の祭り

西の大関の位置には八坂神社の祇園(ぎおん)祭、関脇には大坂の天満(てんま)祭

ところで、以前、関西の三大祭は、神戸祭が入るよね、と言ったら
大ブーイングを受けました。
我々兵庫県民としては、神戸祭は超有名。
地元の小学生の鼓笛隊みたいなのがパレードして
ほのぼのしてる
神戸新聞じゃ、神戸祭は一面トップよ

とはいえ、行ったことはないんですけどね
(ないんかいっ!)

江戸の天下祭
東の大関、関脇はというと、山王(さんのう)祭(大関)と神田祭(関脇)がランクイン。

この二つは、江戸の都で数ある祭りの中でも「天下祭」と呼ばれています。
江戸を代表する祭りとして将軍がご覧になる、
幕府公認の祭り。

ふだんは町人が入れない江戸城内に祭りの列ごと入れ、
費用も幕府が負担しました。

では、なぜ山王祭と神田祭が天下祭に選ばれたんでしょう。

山王祭
今日はまず、山王祭から

山王祭の舞台は、鎌倉時代に創建された、いまの千代田区永田町にある日枝神社。
ウォーキングで行きましたよ。
どでかい鳥居。
さすがは天下祭って感じ

都となる前の江戸を治めていた武将·太田道灌が、
大きな城を築くにあたり,山王権現(ごんげん)をまつったこの神社を建てたことで、
神事としての祭りもはじまりました。
当初は細々としたものだったはずですが、
豊臣秀吉の命を受け、江戸を領地とした徳川家康が、
関ケ原の戦いで天下を取ると、状況は一変します。

江戸を新たな都とするための大規模な町づくり

こんな大事業。
象徴が欲しいなあ

家康は日枝神社を徳川家の城の守護神と定め、
江戸繁栄のための象徴にした

ちなみに権現って何かというと
仏と神の合体版ということね
お寺と神社の融合
山王とは、比叡山の山の神信仰から来てます。
比叡山だから日枝(ひえ)神社ね

権現シリーズは、根津権現もそうだけど
明治政権の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)政策で、
仏の方を潰され
神社にさせられちゃいます。

話を戻して、山王祭

山王権現に感謝する祭りも、
幕府が費用·人材などの面でバックアップ。
江戸が都として大きくなるに従い、
参加する各町も競い合うようになり、
山王祭は2年に1度の大行事に。
日本中から見物客が大勢集まるようになります

平安時代の王朝絵巻などを題材にした大きな山車が
何十基も繰り出すようになり、
その行列は特別に、田安門から江戸城内へ
入ることが許されます。

最初に山王祭を見て楽しんだのは
3代家光だそうです。
以後、将軍の上覧は江戸時代を通じて恒例となり、
神輿の城内渡御は106回を数える

天下祭としての地位を不動のものとします。

どんな祭?
そんな山王祭の特徴は、しずしずと掛け声なく進むこと。
現代でも、担ぎ手は,はっぴやはちまき姿ではありません

2年に1度、初夏の訪れを感じる6月、
古式ゆかしい伝統衣装で日枝神社-坂下門-銀座-新橋と回って日枝神社へと戻るルートを、
総勢500人、300メートルにもおよぶ大行列で歩きます

東京のど真ん中、東京駅周辺を練り歩くなんて壮観ですが、
江戸の昔はもっとすごい規模だったらしい

たとえば山車。
一番手の山車に載っかっているのは諫鼓鶏(かんこどり)と言って
中国に伝わる天下泰平のシンボル
いまのものは高さ約3.5メートルほど。
しかし、当時の山車は高さ10メートルを超えていたんですって。

さあ、ここでクイズです。
なんでちっちゃくなっちゃったんでしょう。





















◆◆◆答◆◆◆
電線

江戸時代には電線なんかなかったけど
明治になったら、電線なるものがあちこちに
大きいと引っ掛かっちゃうのよね

シリーズの次回は神田祭行きます。

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