近代科学資料館。あの乾電池。

ちょっと前ですが、飯田橋の、東京理科大学、近代科学資料館に行ってきました。

無料です。

近代科学資料館
入るや否や、いきなり

な、懐かしいー
キューハチ PC-9801
パソコンの名機中の名機。
我々の世代で、キューハチを知らない男の子はいません。
たこ焼き機を持っていない関西人、と同じくらい「いません」。

そろばんがいっぱい並んでいたり、計算尺が並んでいたり

懐かしい電卓もあって

おおーっ。ポケコンや。
これ持ってたなぁ。
これで野球ゲームのプログラム組んだ。

無料の大学の施設だからだと思いますが
大学生が応対してくれたりします。

計算するための昔の機械があった。

ボタンがいっぱい並んでいて、横にハンドルがある
良い具合にボタンを押して、ハンドルを必要な回数グルグル回せば
欲しい結果が得られる。
説明になっていませんね。

その機械のところに小学生が座っていて
練習問題を大学生が説明している。

なるほど
ってことは、これをこうするとこうなるんですか?
残念!その場合はこうするんだよ。
やってみてごらん

この小学生ずっと熱心に機械を動かし続けている
よっぽど気に入ったみたい。
間違いなく、将来名を残す大科学者になるでしょう。
サインもらっときゃ良かった。

初期のでっかいコンピュータ
うわぁ、FACOM こんなでかい

MDやDATやウォークマンや留守番電話
懐かしすぎてクラックラ




乾電池
二階に行って

ん?
これ、あれやん

明治から戦前にかけての日本の大発明の本にあった大発明。
屋井乾電池
本で見ていたのが、目の前に現実にあると
感動ひときわですね。
ガラスケースに抱きつきそうになりました。

屋井先蔵(やいさきぞう)は、1863年幕末に上級武士の家に生まれる。
でもまもなく、明治維新。

うーん、どうしよう。

矢島という長岡の時計店に奉公に出る。

その中で研究意欲が大きく盛り上がる
7年の奉公を経て、本格的に勉強したいと、進学を目指す。
でも、残念!
2年連続で失敗

しゃあない
自分で頑張って勉強しよう。
工場で働くかたわら猛勉強。

で、3年後の明治22年(1889年)
世紀の大発明が完成!

乾電池か?
違うんだなぁ

電気時計

当時電気を使った時計はあったが
時計のぜんまいを巻く動力に使われていただけ。
全部電気は初めて。

特許を取得
これが日本で電気に関わる特許の第一号です

これで大金持ち
と思いきや
ぜーんぜん売れません。

あかんか
やーめたっ
とならないところがえらい。

どこに原因あるんかな

これちゃう?

電池

当時の電池は液体の入った電池で
持ち運びは不便だし
冬になると凍っちゃって、使えない

便利でしょ
ぜんまい巻かなくて良いのよ
でも、冬は時間分かりません
は、ちょっとね

よし
液体を使わない電池を作るぞ

どれぐらいの期間で完成したのか実は分かっていない。
でも、おそらくかなり苦労したことでしょう。

なぜ分かっていないかというと、すぐに特許の申請をしなかった。

電気時計、特許取ったけど全然ダメだったし
お金ないし・・

数年経ってようやく友達の勧めで特許取得。
残念ながら
日本でも世界でもそのちょっと前に特許取られていて
正式には乾電池第一号にはならない。
やり方が違うので、屋井乾電池にも特許は降りているんですけどね。

シカゴで行われた万博に地震計が出展されたんだけど
それに屋井乾電池が使われていた。

外人さんたちビックリ仰天。
ディス電池、乾いてるがな、アンビリーバボー(字余り)

それでも、まだ乾電池は売れなかった。
当時、電気を使うもの自体、それほど多くなかったのね。

大きく状況が変わったのが
この頃の発明品で良くあるパターン。
軍隊で採用された。
日清戦争で陸軍から500個の大型注文。
冬の満州では液体の電池は使えなかったのね。

企画展
二階では昔の理系の女性の活躍を企画展でやっていました。
次女がいわゆるリケジョなので、
心の中で、ガンバレガンバレって応援しちゃいました。

ああ楽しかった
帰るか

あれ、一階であの小学生まだ熱心に計算してる

こりゃまた
アンビリーバボー。

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