鹿鳴館のヒロイン大山捨松

明治維新です。

アメリカ留学
明治4年、新政府が広く募集したこと
男女若干名のアメリカ留学です。

あの岩倉使節団に随行していき
留学生はそのまま残って10年間。

応募したのは、新政府からすると敵方
名誉挽回のチャンスだ!

幕臣だったり会津だったりの賊軍の士族の娘。

渡米した女子留学生は5人。
うち、年長者だった2人はやっぱり無理、ってすぐに帰国。
残った3人はまだ少女でした。

山川捨松(すてまつ)、永井繁子、そしてあの津田梅子(津田塾大学の創始者)です。
山川捨松は11歳。永井繁子9歳。
津田梅子に至っては何と6歳です。
山川捨松は、会津藩の家老の娘。
津田梅子は幕臣の娘です。

それにしてもすごいです。
企画した、黒田清高
女性も募集。敵方の娘も受け入れる。

捨松
捨松って変な名前
おそ松くんじゃないんだから。
女性で捨松はないんじゃないの?
実は「さき」ちゃんだった。

当時欧米に行った事ある人なんているわけない。
勝海舟とかジョン万次郎とか命からがら。
命の保証があるはずがありません。

賊軍の家老の娘として汚名を晴らすって言ったって
11歳の少女よ。
親はどれだけの思いだったか。

もうこの子、「さき」は捨てたものと考えよう。
じゃあ、「ステ」とか「捨子」かというと、ここからが親心

でも、やっぱり生きて戻って来れるんなら
ずっと待っているからね
待つ(松)

矛盾する二つの言葉が組合わさっているんですね

「さき」を「捨松」に改名して、いざ渡米。

アメリカで
サムライの娘・スティマツはすぐに人気者になります。

(アリスベーコンというお友達)
ねえねえ
戊辰戦争っていうのがあったんでしょう
どうしてたの

あのね
会津若松城っていうのがあるのね
分かる?キャッスルね
そこに武士は家族の私とかも含めてみんなで籠城するの
でね。
私の役割は
大砲が撃ち込まれるでしょ
たまに爆発せずに不発弾がくすぶってるのよ。
そこに「せーの」で濡れた布団を被せるの
焼き玉押さえ
ya・ki・ta・ma・o・sa・e
ベッドカバーね

ヴァッサー大学に進学した捨松はなんと成績超優秀。
卒業生総代に選ばれる程でした。
国の費用で留学し、国の代表なんだという使命感を持っているので
日本の政治、世界情勢も猛勉強。
卒業論文「英国の対日外交政策」を元にした彼女の公園が、地元の新聞に取り上げられる。

帰国
約束の10年が過ぎ、帰国。
のはずが
赤十字社の活動に共感した彼女は、帰国を1年延期してもらい
看護婦養成学校に入り直し
上級看護婦の資格を取ってから帰国します。

明治15年
良かった。無事帰れたんですね。

さあ、最新の知識と技術を身に付け
引く手あまたの大活躍
本人もやる気満々

ところが日本社会は容易に捨松を受け入れませんでした。

男尊女卑の世の中では
出来すぎる女性は誰も使ってくれようとしません。

当時ほとんどが10代で嫁に行く
単に婚期を逃した女性としてしか扱ってもらえませんでした。

黒田清高の思いはどうなのよ
それだったら留学必要ないやん。

若干分からんでもないなぁと思うのが
捨松は11歳からずっとアメリカなので
そもそも日本語が苦手になっちゃっていた。
漢字はかなり怪しい。
考え方から物腰から、アメリカ人。
オーマイガー。ホワィ。
「アメリカ娘」と陰口を叩かれる

でも、もちろんこれじゃあ終わりません。
どうなっていったか。

長くなりそうなので、2回に分けて、続きは明日に回しますね。

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