[天皇]69 後朱雀天皇。時代の移り変わりの始まり。

天皇シリーズ、藤原氏による摂関政治の時代が
ここから、終息に向かっていきます。

後朱雀天皇
1036~1045年

後一条天皇が亡くなって、その弟、後朱雀天皇が即位した。
ここがひとつのポイントになります。

系図を見てもらえれば分かりますが
それまでは、円融天皇系と冷泉天皇系が行ったり来たり
「両統迭立(りょうとうてつりつ)」と言います。

系図の見た目のイメージで言うと、「横」
これって、天皇の在位期間が短くなりがち
自分の息子に継がせて譲位後も影響力を維持したいという天皇の思惑がうまくいかないので
結果として、天皇の影響力が弱くなる。

「結果として」なのが面白いところ
後朱雀天皇から両統迭立が解消され藤原氏としては、天皇の影響力を削ぎにくくなるんだけど
道長としては、後一条天皇のあと、三条天皇の息子に移さないようプレッシャーをかけ
辞退させちゃった。
後朱雀天皇も道長の娘、例の彰子だったから。

満足、満足と言いつつ、道長がなくなる

道長は、藤原氏による摂関政治を出来るだけ長く続けようとしたのだけれど
いくつかの読み間違いをしたのだと思う。

道長は、摂政関白という地位を世襲させようとした。
自分の長男、頼通(よりみち)に継がせよう。

後朱雀天皇は、道長としては外祖父(天皇のおじいちゃん)になるんだけど
頼通から見ると外叔父(天皇のおじさん)に過ぎない
ちと弱いので、自分も外祖父になるべく、娘を後宮に送り込みたい。
ところが頼通には娘がいない

じゃあ、いたことにしよう

養子を取った。
嫄子(げんし)

ところが残念!

結局、嫄子は男の子を生むことが出来ませんでした。

すでに、後朱雀天皇の后としては、道長の娘嬉子(きし)がいて、男の子を生んでいる
このままでは、嬉子の息子が、時期天皇
外祖父はまたまた道長
でも、道長は亡くなったので面白くも何ともない
実際、後冷泉天皇となり、頼通は外叔父のまま

ただ、結局のところ、頼通は40年も関白を続けるので
無能って訳ではない。
性格が穏やかで、道長ほどガツガツしていない

そもそも、自分の娘を天皇に入内(じゅだい)させ
その娘が男の子を生むことで権勢を握る、ってその仕組み考え方自体が変。

頼通は、この時代には珍しく、一人の女性のみを愛したからこうなった。

道長の読み間違いとしては、そんな反ガツガツの頼通を立て過ぎたということかも知れない
結局、このままじゃまずい、とそれまで頼通に遠慮していた弟の教通(のりみち)が娘を入内させるも、遅すぎたのかこちらも男の子を産めなかった。

結果論ではあるが、最初からもっと手を広げていた方が良かったのかも知れない。

後朱雀天皇としては、これでもかこれでもかと入内をさせられ
とても頑張り屋さんでした。

摂関政治が破綻に向かっていくのと並行して
平清盛に繋がる伊勢平氏と源頼朝に繋がる河内源氏が力をつけつつあります。

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最後の日にちょい歩き×2

今年最後の仕事の日
しかも、3年6ヵ月も通った中野坂上の現場は最後です。
来年からは三軒茶屋の現場です。

以前、始業前に宝仙寺に行ったことがありました。
朝の贅沢、宝仙寺
中野坂上が今日最後ならラストチャンス
始業前に、もう一ヶ所行ってみよう。

象小屋跡
宝仙寺に行きたかった理由は、8代将軍吉宗がベトナムから取り寄せた象の骨がかつてあったからです。
中野の源助さんが落札して育てた。

その育てた場所がここ
ここかあ

見物客に三色団子を売って大儲け

パオーン
鳴いてみました

成願寺
中野長者が建てた寺です。

アップダウンクイズかな

蓮池鍋島家の大名のお墓もあります。
大名のお墓があるのは、中野区でここだけ
あの蘭癖大名鍋島直正や鍋島化け猫騒動で有名な佐賀藩の分家です。

らかんさんもいっぱい

中野長者とは、この辺り一帯を広範囲に開拓した大金持ち鈴木九郎さん
鈴木九郎さんの物語も出ていました。

開拓はするものの、馬とかの必要経費も大きく、貧乏のどん底
もうだめ
やっぱり馬を売りましょう

町に出る前に、観音様にお参り
馬代金の中に大観通宝(たいがんつうほう)が入っていたら、それをお賽銭にします
どうか高く売れますように

びっくりするような高値で売れた。
大観通宝は?

なんと全額大観通宝!

私なら
済みません。この2つ細かいのでいただけませんか
というところですが

約束通り、全額賽銭として、無一文で家に帰った

いくらで売れました?

それがぁ

それは良いことをなさいました。
必ずや、観音様がこれからの我々をお守りいただけるでしょう。

嘘ぅ、良いの?
本当に良いの?

ある日、家の中に
小判のぎっしりつまった壺が突如現れました。

おおおっ
南無観世音菩薩
私は、このお金を元手に、一帯を開発し
人々のために尽くします。

やがて九郎は人々から中野長者と呼ばれるようになるのです。

二人の間に女の子が生まれ、とても美しい娘に育ちました。

中野長者の最大の宝はあの娘じゃ

ところが、病気になってしまいました。

八方手を尽くし、お金もどんどんつぎ込みましたが、帰らぬ人に

最愛の娘を亡くし悲しみに暮れる日々
九郎は若いとき救ってくれた観音菩薩にすがることにしました。
出家し仏の道へ
正観寺を創建し、後に名前が変わって成願寺となるのです

会社
この富士山を見るのも最後か

この見晴らしも目に焼き付けておこう

最後の日なので、多少早めに終わりました。
よしっ。ちょい歩き第二弾だ!

浅田醤油工場跡
宝仙寺の近くの公園に、「やままさ」こと浅田醤油工場跡
レンガの塀の一部を残してあります。

慈眼寺

えええっ 何これ

パゴダって言うんですって
初めて見たなあ。
ミャンマー式仏舎利
お釈迦様の骨が入っている
タイの寺院から贈られたお釈迦様の骨が一粒

こっちも異国情緒

東南アジアの人達の信仰が厚いらしい

鍋屋横丁

この奥の道を鍋屋横丁と言う

草餅と梅林で有名な茶屋「鍋屋」が角にあったから
鍋を売っていた訳ではないのね

いっぱいお店が並び、今もかなり繁盛していそうな横丁でした。

お題目石

南無妙法蓮華経のお題目が書いてあり、道標も兼ねています。
杉並区堀の内の妙法寺へ
妙法寺は日蓮宗です。南無妙法蓮華経の中に「妙法」がありますね

十貫坂

十貫文の小判の入った壺が掘り出されたから
中野長者が埋めたという話もある

杉山公園

実業家杉山裁吉さんの邸宅
一人娘「みさを」さんが25歳の時亡くなり
奥さんにも先立たれた
もう残すべき家族もいなくなったのだからと土地を公園に活用してくださいと寄付した。
3人家族のお地蔵さんです。

さあ、暗くなってきたので帰るとしましょう。

ケーキを買って帰りました。
ただいまーっ

メリークリスマス

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びっくり下谷の広徳寺ととしまえん

先日、練馬区立ふるさと文化館で買ってきた「ふるさと練馬探訪」の本
当分楽しめます。

としまえん方面に行ってみましょう。

広徳寺
おそれ入谷の鬼子母神 とセットで びっくり下谷の広徳寺
その通り広大な土地でびっくり下谷
ところが、大正12年の関東大震災でほぼ消滅
新たな都市計画の中で、練馬区に移転することになった

ウォーキングイベントで下谷の広徳寺の跡地は行きました。
今は警察署になっているんですよね

さあ行きましょう
びっくり練馬の広徳寺

その前に、堰婆さんの松

石神井川の堰を守っていた婆さん
蛇になっちゃったという伝説
住まい跡に祠を立てた
「せき」繋がりでお参りすると咳に効くとされた。
という事でここに松

うーむ。話が斬新過ぎて・・
どういう展開や

さあ広徳寺
何がすごいって、以前大寺院だっただけあって、
ここに眠る有名人がすごい

加賀前田家、織田家、柳生宗矩(むねのり)とその息子柳生十兵衛、そして小堀遠州

加賀前田家の墓はこちらには引っ越ししてこなかったみたいなんですが
柳生一族や小堀家は移った

写真NGで撮れなかったのですが
柳生一族はとても荘厳な墓
小堀遠州は庭園作りの神様みたいな人なので、墓も個性的でした。

柳生宗矩と沢庵和尚は仲が良く、その繋がりで、小堀遠州もお仲間

分からなかったのが、織田信雄(のぶかつ)
織田信長の息子で、徳川家康と組んだり、豊臣秀吉に寝返ったりと
大きく歴史を動かした人

Wikipediaには墓があると書いてあったんですが
お寺の案内板には名前がなかったんです
こんな超大物、案内板に名前を書かない訳ないですもんね

小堀遠州が絡んでいるだけあって、庭園がすばらしいのなんの






平成つつじ公園
練馬駅のすぐ近くです

阿弥陀寺
小さな寺ではありましたが、なんと時宗の寺
あの一遍の時宗。時宗って禁止されて名乗っちゃいけないんじゃなかったか
私もいっぱいお寺を見ましたが初めてです。

白山神社

けやき
天然記念物です。

源義家が植えたといいます。あの八幡太郎義家です。
樹齢が900年
きゅ きゅうひゃくぅ!

続日本紀に出てくる乗瀦駅(のりぬまえき)はこの木の辺りではないか
のりぬまが変化して練馬になったのではないかという説があります。

十一ヶ寺
大江戸線豊島園駅の向かい側に十一ヶ寺というのがあります。
11の寺の総称
小田原から神田に、そして浅草に移った誓願寺の塔頭(たっちゅう=子院)
ここも関東大震災の後に移転となったんですが
誓願寺は府中市に、11の塔頭はごそっとここに移転した。



一番奥の九品院のそば食い地蔵が面白い
お地蔵さんがお蕎麦を食べたくて、お坊さんに変身して、お蕎麦を食べに行っていた
そば屋の親父は、どことなく怪しい感じがして、ひょっとして狸が化けているのではと

どちらのお寺のお坊さんですか?

まあ、そのぅ

ある日後をつけていくとここの地蔵堂に入ってスッと消えた

なるほど、そういうことだったんですね。疑ってすみませんでした。

奥に十一ヶ寺の共同墓地があるんですが
その中に小野蘭山の墓がありました。

本草学(薬草の学問)で有名な人です。
ものすごい量の本を読み、本草学を確立した人なのに
70歳を超えて急に、本だけでは本当の本草学は分からないと
急に全国に薬草の採取の旅に出て
すごい距離を歩き回った、歩け歩けじいちゃん
詳しくは薬の事なら、小野蘭山に聞けを読んでね

としまえん
先日閉園した遊園地
その跡地は、半分がハリーポッターのテーマパーク
あと半分が練馬城公園になる
練馬城は先日行った石神井城と兄弟城
昔の城なので、天守閣とかの建物があるわけじゃなく、平城

どんな風になっているかな

やっぱりまだ壊している最中で、練馬城公園は出来ていませんでした。

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[植木等] 物語の始まり

「植木等伝 わかっちゃいるけどやめられない」という本を読みました。

日本アバウト党の党首をやらせていただいている私としては
植木等だったり、バカボンのパパは、
人生の師であり目標

♪銭のないやつぁ 俺んとこに来い
俺もないけど 心配すんな
見ろよ 青い空 白い雲
その内なんとか なるだろう

シリーズで、何回かに渡って、植木等という人物を紹介していきましょう。

植木徹之助
大正15年12月25日、名古屋の病院で等は生まれる
明日ですね。クリスマス。
イエスキリストと同じ日に生まれたという事になります。
そして、もうひとつ。
この日に大正天皇が亡くなります。
即ち、植木等と「昭和」は誕生日が同じ、ということになります。

植木等を分かろうとすると、植木徹之助というお父さんをなくしては語れません。
等自身が、「支離滅裂」というのだからよほどおかしな人物

教育を受けたというより
この親だったので、こうならざるを得なかったと言えるかも知れない。

どうしても最初の頃は植木徹之助の物語になってしまいます。

12月25日に生まれているのに、出生届を忘れていて
やっと出したのは、昭和2年2月25日
きれいに2ヵ月。昭和元年は6日しかないから、いきなり昭和2年

お父さんはまだしも、お母さんは気づかなかったのかね
生まれながらにしてテキトー

と言いたいところだけど
ちょっとそのニュアンスは違うかも知れない。

それでは徹之助の若い頃に遡って、支離滅裂ぶりを。

伊勢市に生まれた徹之助
小学校を卒業すると
三重県が生んだ超スーパースター、御木本幸吉の真珠の工場に就職
ミキモト真珠は三重県にとどまらず全国規模なので
ほどなく、東京に出ることになります。

築地で教会に出入りするようになり
キリスト教を信奉
洗礼まで受けちゃいます。

また、元々声が良かった徹之助は、義太夫にはまります。
趣味のレベルを遥かに超え
植木東響という芸名をつけ、熱海を回ったりします。

プロになりたい

親に打ち明けるも大反対されます。
父親を上回り、母親からえらい剣幕で怒られやむ無く断念
おそらくこの時の無念さを持ち続けていて、
等が芸能界に入ると言ったとき、一旦反対はしたものの
結構すぐに応援する側に回ってくれた。

かなりの遊び人
だけど、芸能の道を諦めざるを得なくなったエネルギーが
そのあと思わぬ方向に向かいます。

やんちゃばかりの徹之助を落ち着かせようと
25歳の時、見合いをさせられ、18歳のいさほと結婚

いさほは、三重県の浄土真宗大谷派の寺院西光寺の娘

一方、徹之助はキリスト教の教会
大正デモクラシーの時代。教会内で、労働教会なるものが誕生して
労働運動にのめり込むようになります。

結婚翌年、長男誕生
二年後、大正12年次男誕生
次男誕生の4日後に関東大震災です。
次男は後に若くして病気で亡くなってしまうんですけど。

関東大震災は植木家にも大きな影響を与えます。
真珠でお洒落するような時代ではなくなり
ミキモト真珠の東京工場は閉鎖
食っていけなくなったのに、相変わらず、労働運動は熱心に続けます。

そんな時、三男の等が誕生します。
等は、平等の「等」。徹之助の信念が名前になっている訳です。

いよいよどうにもならなくなり
三重県に戻り、いさほの実家にお世話になります。
お寺に厄介になれば、食べることには困らない。

相変わらずの労働運動は続けているが
さらに、部落差別を目の当たりにする

許せん

ここに、部落解放運動が加わっていく。

時代はどんどんおかしな方向に向かいます。
治安維持法が発令され
危険思想の持ち主はどんどん検挙される

西光寺にはアカがいる
いわゆるアカ狩りの風潮になっていくのだけれど
いさほのお父さん、住職の徳月は動じなかった。

徹之助の考えは親鸞と相通じるところがある

ある時、徳月が徹之助に提案をした

お前も坊主になってみる気はないか

とっても不思議な提案です。
徹之助は洗礼を受けているからキリスト教徒
普通はアカンでしょう

結局、徹之助は僧になり、徹誠(てつじょう)となる

なぜ僧になったか、等は聞いてみたことがある

世の中、弾みだ

一徹の部分と、結構テキトーな部分を両方合わせ持っている
等からすると支離滅裂な訳です。

息子の等も大きく二面性を持った人生になっていくんですけどね

一年の修行後、得度

徳月は徹誠に質問します。

ここに二つの寺がある
一つは檀家が多くて食うには困らない安泰な寺
もう一つは山の中なので檀家回りも大変でとても困難な寺
お前が住職になるとしたらどちらがいい

即座に
困難な方

ところが現実に言ってみると
想像していたのよりはるかに違っていた。

続きはシリーズの次回ね

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