わが家に新入り洗濯機

カミさんが
えらいこっちゃ

わが家の斜めドラム式洗濯機
突然、おかしな行動に出た

スイッチ押すと44分って表示が出て
44分後に、ピーッ
その間何もせずとも良い具合にやってくれる賢いやつ

ところが、残り20分になったあと、ふと見ると23分になっていたりして
迷走を繰り返し、仕上がるまでに倍の時間がかかる

どうしたんだい?
何か不満があるのかい?

フィルター掃除のところがドロドロになっているのかな
まあ、多少ドロドロだけど満杯ではなかった。
最後の排水のホースが詰まっているのかと掃除もしてみたけど、変わり無し

カミさんは洗濯好きで、
見た目に汚れていないものでも、屋内でしか着ていなくても
「気持ち悪い」という理由でバンバン洗濯
カミさんにとってみれば一大事

一番の難関はすすぎになってから
いつもより水の出が悪い気がする
排水と違って取水の方に原因があるとすると、詰まりがあるとは考えがたい
基盤がおかしくなっちゃったんでしょうか

修理を依頼してどうのこうのはかなり時間がかかりそう
買ってから10年経っているし

買おう

斜めドラム式って、節水になるし、音も静か
それは分かるんだけど
カミさんの言うには、乾燥機能が結局完全に乾くわけではないので
使わなくなっており、
うちの浴室には乾燥機能があって、雨の日とかはそっちを使っている
だったら、最新のやつじゃなく
一昔前の縦型乾燥機能無し、で良いんじゃない
値段が全然違う

そうと決まれば、サイズを測って、7kgってのかな
イオンの広告で出ていた、これっ

週末にイオンに行って
これ下さいっ

お届けは最短で来週の日曜日になります。

さあ、それからが大変だった
それまでなんとか持たせなければなりません

水を補充してやったり
途中で取り出して、手ですすいだり
カミさん大忙し

機嫌良くやってもらうためになだめすかしたり
叱咤激励したり

さっきそこやったよ、認知症になっちゃったの?
また、水ね。どんだけ甘えんぼさんなのよ

それだけ手をかけると
相手は機械ながらも、いとおしくなってくる

今日は調子はどう?
がんばれっ がんばれっ

さあ、日曜日
君ともおさらばだね
よくやったと思うよ
ずっと洗濯ばっかりだったものね
たまには他の事もやりたかったろう
ごめんね

新入り
おおっ
「白い約束」だと
粋じゃない

ちょっと小さめだから可愛い
斜めドラムにするまえはこれだったよなあ
こんにちは

試しにマットを洗ってみました

ええっ、すごいっ
水が出る!

時間通りに終わっちゃった

[家族]シリーズはこちら(少し下げてね)

[三十六歌仙]35 壬生忠見。拒食症で

三十六歌仙シリーズ、ラスト2、麻雀でいうとリーチでございます。
そうか、最後の二人はこの因縁の壬生忠見と平兼盛でいくわけね

壬生忠見(みぶのただみ)

こひすてふ わが名はまだき 立ちにけり 人しれずこそ 思ひそめしか

恋をしているという私の噂が、早くも世間に知れてしまった
誰にも知られないように密かに思い始めたばかりだというのに

出ましたっ。こいすちょう
百人一首もこの歌
こひすてふわが名はまだき立ちにけり人しれずこそ思ひそめしか
第41首
そして、お隣の第40首が平兼盛
しのぶれど 色に出でにけり わが恋は 物や思ふと 人の問ふまで

この二つの歌は何処までもセット

「天暦の御時の歌合」
村上天皇の天徳4年(960)3月30日に内裏で催された歌合せ

それまでも、歌合せというテーマを決めて歌を競い合うというものはあったが
村上天皇が主催したこの時の歌合せは特に盛大で
その後の歌合わせは全てこのやり方を真似るようになったほど

左右に分かれ、お題に沿った歌が詠われ、勝負が決せられる
審判は左大臣の藤原実頼

「左歌の心ばへ、いとをかし」とか、「右歌、させることはなけれど、難は見えず」
引き分けは「持」(じ)と言う
「歌の品の同じほどなれば、持にぞ定め申す」

平兼盛は歌の世界ではベテランのエリート
この最高の祭典に選ばれて当然

他にもそうそうたるメンバーが並ぶなか
異例の人物が選ばれた。
壬生忠見
三十六歌仙の壬生忠岑(みぶのただみね)の息子
はるたつと いふばかりにや み吉野の 山もかすみて けさは見ゆらん
百人一首でいうと
有明の つれなく見えし 別れより 暁(あかつき)ばかり 憂(う)きものはなし

お父さんは優れた歌人ではありつつも、位はかなり低い
壬生忠見も歌の才能は引き継ぐものの、ずっと田舎で貧乏暮らし

大抜擢
こんな最高の舞台に呼んでもらえるなんて

とはいえ、立派な服は持ち合わせておらず
田舎者の格好で参上する

勝って、名をあげる。相手は実力者であればあるほど良い
平兼盛。申し分なし

いよいよ最後のお題。「恋」

双方の歌が読み上げられ、一堂どよめく
どちらも忍ぶ恋

忍ぶれど、は何処までもしらべが流麗
さすがに王者の風格

比して、こひすてふ
少し破格のしらべ
そこが、逆に想いの乱れを感じさせる

決めがたい
「持」か
「左右ノ歌、伴ニ以ツテ優ナリ。勝劣ヲ定メ申スコト能ハズ」
と天皇に申し上げようとすると
天皇からは
「各々歎美スベシ。タダシ、猶、之ヲ定メ申スベシ」

えっ、決めなきゃいけないの?
ムリムリ
大納言の源高明の意見を求める
源高明もお任せします、と下を向くばかり

こうなったら、天皇に決めていただくしか方法がない

「天気」はいかに

忍ぶれど・・

おそらく天皇は、両方口に出して感じてみようと思ったのだろうが
先に口にしたのはたまたま忍ぶれど

右の勝ち
右方はどっとわいて勝ちどきの音楽

別の部屋で控えていた、平兼盛
喜びいさんで、他の人の歌がまだ続くのに帰っちゃった

一方の壬生忠見
「あわと思ひて」 大きいショックを受け、
「胸ふたがりて」たべものものどに通らず、
ついに「不食の病」になって死んでしまった。

この歌で、三十六歌仙にも百人一首にも選ばれ、後世に名を残すが
この歌で命を落としたことになる

常に二つの歌はセットで語り継がれ
いつも、どっちの歌が良いかの論争になる
千年の時を経ていまだに

明暗が余りにも大きく分かれたからですが

ここだけの話
ほんとは、壬生忠見
拒食症で死んだりしていません。

ドラマティックに明暗を表現しようという、
『沙石集』での作り話

[短歌]シリーズはこちら(少し下げてね)

[足利将軍]1-2 足利尊氏。とらえどころの難しい人物像

[足利将軍]1 足利尊氏。悪い奴にされちゃうの?
の続きです。

いわゆる皇国史観により、足利尊氏が悪者にされちゃったという話が前回
ただ、そういう色眼鏡を外して考えても
とらえどころがとても難しい人物

それがゆえに、順風満帆の船出ができず
観応の擾乱(かんのうのじょうらん)という大きな内紛がまき起こってしまいます

鎌倉幕府(北条支配)を倒した
その後醍醐天皇もうちまかした
自分が主役に躍り出た

はず

そんな大きく時代を変えたヒーローなんだから
普通は織田信長のような、超ワンマンをイメージすると、ちょっと違う。

おそらく、戦は得意だし、好きなんだろう
共に戦った家来たちへの思いやりが良く
家来たちからは超人気
尊氏のためだったら何だってやる、って猛者たちが、一声かければわんさと集まってくる
類いまれなるカリスマ性を持っている

ただ、大きく時代を変えるにはそれだけではダメ
後醍醐天皇は、新しい仕組み作りで失敗したとも言える

新しい仕組みを作り上げていく
そして、同時に、既存の色んなしがらみをぶっ壊していく

構築と破壊
これが苦手だったのかも知れない

さあこれから、という矢先に
私、出家します。
と、第一線から退いてしまう。

でも助かったことに、「構築」が得意な切れ者がいた
弟の直義(ただよし)

戦で功をあげましたが
おそらく本人としては、しくみを作りやその実践が大好き
政治は全て直義に任せます。
直義は真面目人間

国をまとめあげるためには、尊氏のカリスマ性は必要なので
完全に引退した形はとらなかった
会社でいうと尊氏が社長で、直義が副社長
日常的には全部直義がやっている

大きく時代を変えようとすると
荒療治が必要
いわゆる汚れ役

直義が構築と破壊を両方やってしまうと潰されてしまう。

尊氏は高師直(こうのもろなお)、を自分のそばに置いた
性格は暴れん坊
自分が直接指令を出すことはせず
全て高師直を介してしゃべる

会社でいうと社長室長

性格が真逆な二人
尊氏がパワーバランスをうまく調整できれば、強力な体制が出来上がったろう

高師直がやんちゃだけあって、数々の戦で次々功をあげ、名を轟かせていく

まずいんじゃないですか?
直義自身は何かを思っていた訳ではないけれど
派閥が真っ二つに分かれていて、直義派の人たちは気が気じゃなくけしかける

意外にも先に動いたのは直義だった
兄さん、最近の高師直は目に余るものがあります。解任してください
観応の擾乱(かんのうのじょうらん)の始まりです

ここで突っぱねないのが尊氏の不思議なところ

だねぇ

高師直、左様でございますか、
とあっさり受け入れる筈もございません。

直義ぶっつぶせ
挙兵

ここでようやく尊氏が気づく
まずいことになった

二人を呼んで和議を取り持つ
高師直は復活。
直義は退き、尊氏の息子義詮(よしあきら)にバトンタッチ
高師直の全面勝利

尊氏なんなのコロコロと
そういう印象ではあるけれど
ひょっとすると真意があったかも

可愛い息子に継がせたい
でも、まだまだ力不足
切れ者の直義に地盤をきっちり固めてもらってからの方が良い

高師直、万々歳ですが
一度外された恨みをはらさでおくものか

命の危険を感じた直義
復活の意欲なんて全くありませんので、とのアピールで出家

一件落着
のはずだった

もう一人の登場人物が現れる
足利直冬(ただふゆ)

尊氏の息子
息子といっても、義詮のような立派な跡継ぎではない
尊氏がまだ東国にいるころ、越前局という女性と一夜の契りを結ぶ
その時の子

直冬は鎌倉東勝寺に入って幼少時をすごし、
長じてから京都にのぼって尊氏の前に名乗り出た

ええっ、ほんまか?
なかなか取り合わない

不憫に思った直義が自分の基におき
器量を見極めた上、再度段取りをつけてやった

直義がそこまで言うのなら

認知
その上で、息子のいなかった直義の養子となる
直冬は中国探題に任じられ、備後の鞆に赴いた。
中国探題は山陽、山陰八カ国を管轄する大任である。
直冬は賞罰厳正な善政をしいてその大任をこなし、評判はよかったという

直義失脚の余波が直冬にまで及ぶ
高師直としては、直義の子はそのままにはしておけん

さあ、第二幕が始まります。
続きはシリーズの次回ね。

[日本の歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

鉄道の父。井上勝

鉄道150年の節目の日。陸蒸気イベントだっ
鉄道開業の日。エドモンド・モレルの熱意の続きです。

井上勝
エドモンド・モレルの遺志を受け継いで頑張ったのが、井上勝です。

井上勝は、長州ファイブのうちの一人です。

幕末の文久3年(1863年)長州藩により、彼らはイギリスへ出航します。
鎖国している訳ですから、外国に行くのは禁止

1853年、ペリー来航。
日米修好通商条約で開国したのが1858年
そこから、10年後の1868年に明治維新

幕府は文久遣欧使節というのを1862年にヨーロッパに派遣したり
パリ万博へと徳川慶喜の弟、徳川昭武と渋沢栄一が旅立ったりしていますが

幕府を倒そうとしている側の長州に許可が降りる訳ありません。
密航ということになります。
見つかったら死罪
予算も大幅に足りず、困難を極める旅路でした。

そうそうたるメンバー
初代内閣総理大臣、伊藤博文が22才。
初代外務大臣、井上馨が最年長28才。
造幣業に尽力した遠藤勤助が27才。
東京大学工学部を創設した山尾庸三、井上勝とともに鉄道に尽力。
お召し列車の3号車に乗っていましたね。26才
そして、鉄道の父、井上勝は最も若い20才。

鉄道
維新後、井上勝はみんなの期待を背負って鉄道に邁進
エドモンドモレルと二人三脚
政府内では賛成反対真っ二つの中で、説得のため走り回ります。

残念無念、モレルが死去

モレル、の替わりにまたお雇い外国人に来てもらう事も出来たでしょうが
井上勝の気持ちとしては、モレルのあとにモレルなし

モレルさん見ていてください
日本人だけで、この大業をやり遂げて見せましょう。

無事、開業の日を迎える訳です。

ただ、井上勝に取ってみれば、それは単に一歩目に過ぎなかった。

自らも、スコップ片手に、次の路線へと

日本人の中にノウハウを築きあげる
それがモレルへの恩返し

開業の5年後には養成所を設立
その3年後には逢坂山トンネルを含めた京都~大津間の鉄道工事を日本人のみで完遂します。

難工事をいくつも乗り越え、その中で、自分達の中でノウハウを構築していった。

鉄道の父
その呼ばれ方は、自分が育て上げた「子供たち」を大切にし、愛された証しなのだろう
鉄道のみならず、土木技術を作り上げた人とも言える

東京駅、丸の内広場に銅像が立つ
戦時中には金属供出で無くなったが、再現

東京駅と丸の内広場の大規模改修の時は、倉庫でちょっとお休み
最近再び、姿を表しました。

晩年
ずっと、突っ走ってきた人生
よくやった。
誰しもから称えられるが
意外にも、本人には引っ掛かるものがあったらしい。

日本全国にスコップやつるはしを入れ、線路を敷いた
確かに各地方は、便利になったけど
私は正しいことをやったんだろうか
自然を壊してしまったんじゃないだろうか

東北本線延伸のため岩手県を視察した時、岩手山南麓の荒れ地を目にします
埋め合わせしよう

この地を緑いっぱいの牧場に甦らせよう。
スコップやつるはしで

賛同してくれた人が二人
日本鉄道会社副社長の小野義眞と、三菱第二代社長岩崎彌之助

三人の頭文字を取って、小岩井農場と名付けられました。


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