小金井公園の梅

(2/4[日]の事です)

カミさんは、休みにもかかわらず、部屋でセカンドワーク
えらいっ

10時過ぎ、気づかれないよう、こそっと出掛けます
昼には戻らないとばれるから、どこか近場で一ヶ所にしよう

小平のブリジストンのタイヤ博物館にしよう
自転車でお出かけ

ふと気になって、途中の信号待ちで確認

ああ、やっぱり
土曜はやっているけど、日曜はお休みか

方針変更
近場でまだ行っていない、行きたいマークついているところは残っていないよな
一回行ったところでも良しとしよう

まだ咲き始めたばかりかも知れないけど
小金井公園の梅、咲いてくれてるかな

ちょっと遠めだけど、頑張って自転車こぎましょう

小金井公園
まだ咲き始めではあるけど、来週には満開になる感じ

白梅


紅梅


ピンク

おおっ、これは満開

しだれ。満開になると圧巻だろうな

自転車で来ているから、とても広い公園内もスイスイ
奥まで行ってみましょう

富士見の丘

つつじヶ丘

GoogleMapを見ると「衣通姫(そとおりひめ)」と書いてある場所がある
おおおっ、衣通姫か
私は衣通姫に対する思い入れが非常につよい
六義園(りくぎえん)は柳沢吉保が衣通姫に対する思い入れで作った庭園じゃないかと思っている
[天皇]19 允恭天皇。衣通姫の愛
六義園、和歌の世界。その3
ぜひ確認せねば

ありました
そうか桜の品種なのか

見事な大樹
桜が咲くとこんな風らしい

行ったことなかった一番向こうの端まで行って折り返し


これは、木の踊り子さんたちか

ふたつ池

ここまでくると、あれを確認したい
石神井川のスタート地点


あったあ

戻り際に、ロウバイも咲いていました


[お出かけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

大塚からのウォーキング

(2/3[土]の事です)

午前中、炊飯器が届いて、あれこれ
その後、カミさんと買い物
なんだかだで、14:20

あとは、お出掛けするなりしていいよ
6時には晩御飯食べれるようにしてね

うーん、今からか
と思ったが
カミさんの休みが週末になってしまった以上、
これからはこういう状態になるだろう
少しの時間の活かし方を探らねば

2月のウォーキングイベントの昼食の予約がまだ出来ていないので
場合によっては、行って探す必要がある
考えている余裕はないのでとりあえず駅へ向かう

予め、GoogleMapであたりをつけておいた店に電話をしつつ。
とりあえず電車に乗り、ひばりヶ丘で急行に乗り換えるわずかの間
ホーム上で予約を受けてくれるところが見つかった
よっしゃあ
となると、行き先変更

GoogleMapで行ってみたいマークがある程度かたまっているところ
大塚駅からスタートだ

大塚
駅前広場(イワノワヒロバ)の近くの植木屋さんの借家に幸徳秋水がすんでいて
巣鴨平民社という看板を掲げていた
ここで行った集まりが大逆事件の謀議だとでっち上げられ、死刑になってしまう

■巣鴨公園
激しい戦闘によって多数の戦傷病者を出した日露戦争が終結した明治38(1905)年、東京予備院渋谷分院の一部に傷痍軍人療養施設として廃兵院が設立される。
そして明治41(1908)年、ここ巣鴨公園の場所に移転してきた
案内板もあったようなのですが、残念、見つけられませんでした

■明治女学校跡
結構歩きました
明治18年(1885)に、麹町区飯田町(現千代田区)に、女子の「自覚と自立」の高等教育を目指して、明治女学校が設立される。
教師には、津田梅子、島崎藤村、北村透谷など豪華顔ぶれ。
 明治29年(1896)に、校舎が焼失し、翌明治30年(1897)、ここに移転してきました。移転時の校長である巖本善治は、女学校での実践教育の一方、『女学雑誌』で啓蒙活動を行いました。この雑誌から『文学界』が生まれ、浪漫主義文学を牽引していきました。
 卒業生には、新宿中村屋の創業者の相馬黒光、自由学園の創始者羽仁もと子、作家の野上弥生子などがおり、日本の近代史に名を残す多くの人材を輩出しました。
 しかし、巣鴨移転後の経営は苦しく、生徒数の減少もあって、財政状況が悪化し、明治41年(1908)に閉校することになります。

■大日堂


徳川2代将軍秀忠に仕えた春海和尚が、秀忠と徳子の菩題を弔うために建てたもの
後に、明治38年に伊藤証信が、この大日堂で無我苑を開き、宗教にとらわれない修養運動を始め
自炊生活を始めると同時に、機関紙『無我の愛』を創刊する

知らない間に旧中山道の道に入っておりました
■種子屋(たねや)
右手に大正大学が見え、北口門の手前にお地蔵様
そこに種子屋の案内板
旧中山道も想定外なら、中山道にあった種子屋の存在も全く知らなかった
こういう想定外のものに出くわすのがウォーキングの醍醐味

種子屋っぽいものが再現されておりました



明治になっても種子屋と言えばこのあたり、ということになり
明治の中期には巣鴨のとげぬき地蔵から板橋区清水町にいたる約6キロの間にタネ屋問屋が9戸、小売店が20戸も立ち並ぶ、タネ屋街道になっていました。

■千川上水公園


千川上水は玉川上水から分水した大規模な上水(飲料及び灌漑)
現武蔵野市の境橋で分水し、この場所まで
上水は、ここにつくられた溜池(沈殿池)で、砂やごみなどを沈殿させた後、
木樋や竹樋の暗渠となって江戸市中へ給水されました。
 明治13年(1880)、岩崎弥太郎らが設立した千川水道株式会社によって、
本郷・小石川・下谷・神田方面への給水が再開されました
六義園に沈殿池から通水されますが、この場所の地下に沈殿池が残っています


ここの下

■千川上水分配堰

明治通りの向かい側(北区滝野川6-9)には、
水利関係が刻まれた「千川上水分配堰」の碑(明治15年建立)が残されています。

まずいっ。時間がない
18時には晩ごはん食べたいって言ってたな
本当は染井霊園まで行きたかったけど
14:20スタートじゃやっぱり無理ね
ここまでで引き返すことにしましょう

元の道を大塚駅まで引き返します
■すがも鴨台観音堂
ああ、気になる、大正大学内にあるさざえ堂
近づいて写真だけ撮るかな

えっ。登れそうだぞ
中は写真撮影NGだったのでとても残念でしたが
螺旋状になっている階段で、上まで登れました
階段の周りも神秘的で良かったし、最上階の観音様も良かった
以下の写真はホームページから拝借

オクトパス君も可愛かった

さあ、急げっ

家の手前で午後6時になっちゃって、その時にカミさんから電話

どこにいるのよ。お腹すいたんですけど

結局、無水カレーが出来上がったのがちょうど7時

あれ?今何時?

6時よ、6時

[お出かけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

変なもん入ってる

炊飯器の内釜がガリガリボロボロ
玄米と白米を半々で炊いているのですが
玄米ってこびりつきやすいのでこうなるのかな

炊けるには炊けるのですが、さすがにこれはっていう状態
もう14年になりますのでよく頑張りました

カミさんがテレビショッピングのジャパネットタカタを見ていたら
炊飯器をやっていたらしい

注文しちゃおうかと思ったんだけど、
ネットを見ると会員登録とかがややこしそうだったのよ
やって

分かったよ
どうせ買うつもりだったんだから

今の炊飯器を下取りで2万円引き
家電って捨てる時に面倒なのでとても助かる
他のネットとかと比較して、そう安い訳ではありませんが、よしとしましょう

来ました
思ったよりでかい箱
開けてみると
ええーっ、変なもん入ってる

ちょっとちょっと。返品しないといけないかも知れないから
注文確認してよ

うわーっ
ついてるんだ、これ
テレビショッピングだからね
これもついてこのお値段ってやつだったんだね
ちゃんと見ずにボタン押しちゃったもんね

ついてきたのは、無水パン、ってもの
見た目はお鍋
何だろうね

ついてきたレシピ本を見ると
蓋がピッタリなので、水無しで料理が出来るらしい
カレーとか、豚汁まで
ほんまかいな
水無しでカレーが出来るなんて、カレー界にちゃんとことわっての仕業なんかいな

いずれにしても返品は出来なさそうなので
1回はその手品みたいな事を試してみましょう

一旦、メインの炊飯器の方の話
象印のこんなのです

困ったのが、玄米と白米を半々で炊くときの炊き方
玄米モードと玄米活性モードっていうのがあるんだけど
玄米白米半々モードというのはない

玄米は最初、ダイエットや健康のために始めたんだけど
玄米のみは厳しくて、玄米白米半々だとまずまず
ただ、これを続けて何年も経ってくると
たまに白米だけだったりすると
玄米のプチプチ感が無いと物足りないのなんの
味的には白米り方が美味しいと思うけど、
食感が欲しい

取扱説明書の玄米モードのところを見ると
「白米や無洗米を混ぜて炊飯するとふきこぼれたり、うまく炊けないことがあるので、おすすめできません」

さらにネットで追加情報を見ると玄米7対白米3なら玄米モードで問題ないけど
5対5だとダメだとのこと
ダメだとは分かったけど、何モードなら良いか書いてくれていない

玄米活性モードって何?
40度を2時間も維持して、玄米を柔らかくして食べやすくするらしい
トータル3時間もかかるから急いでいるときは無理だけど
やってみる価値はある
玄米100%でも、問題ないかやってみよう

無水パン
カレーの作り方はこう

玉ねぎを3つも使って、そのうち2つはみじん切り

材料を順番通りに全部入れて

まず20分
うわあっ、水がある

混ぜてさらに20分
火を止めてカレールーを入れる

食べましょう
3時間かかったご飯も炊けました

さあ食べましょう

玄米は
あっ、柔らかい
玄米100%でも全然問題ない
玄米活性モード恐るべし
2時間40度は伊達じゃない

ひとつだけ問題点
プチプチの食感が欲しかったけどそれすら無い
それじゃ白米の物足りなさと一緒なのか

カレーは?

カレー粉の量が少なすぎた

カミさんが言うにはカレー味の煮物ではあるけどカレーじゃない

コンソメもニンニクも生姜も入らない
決定的なのは、玉ねぎを炒めて甘みを出す工程が無いこと

カミさんが出した結論は
カレーは無水調理に無かない

カレーは確かに、わが家のこうあるべきって味があるからなあ
大丈夫
まだまだ、挑戦すべきことはある

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[古文書]百人一首は美しい

古文書解読に再挑戦
の続きです

今、古文書解読に挑戦していっているのですが、その現在進行形のレポートです

かな
前回、平かなだけでは古文書解読は難しく、漢字の解読も必要だったという話をしました。
「江戸が大好きになる古文書」は漢字中心

やっぱり平かなも読めるようにしたいので、一旦平かな側に行って
また漢字、平かな、と交互にいこうかな

平かなを覚えるために、良い材料はないかなと探すと、ありました
変体仮名「読み」学習帳:小野鵞堂先生書の百人一首で学ぶ

百人一首なら、以前シリーズでやりました
結構前なので忘れてはおりますが、全く下地がないわけではない

何が良いって、下に母字(平かなの元になった漢字)まで対応して書いてくれている

そして、次のページに再度のおさらいと、歌の概略の意味
この概略の意味が良いんです
以前シリーズでやったときの事がぼんやり思い出されて歌に愛着がわく

その下に歌留多バージョン
今は平かなひとつの音に対してひとつの形の文字にしか対応していないけど
昔は、いくつも対応し、おそらくその時の気分でかき分ける
従って、小野鵞堂先生と使う仮名が違う
歌留多バージョンの方が文字が続いていないので読みやすい

だんだん慣れてきて
五七五七七のうちのいずれかの部分が読めるようになってくる
第五十首くらいで、丸々読めるものがあった
歌を覚えていたってのがあるんですがね
そのあともちょこちょこと

そうなってくると楽しくなってくる
最後まで行ったあと、また最初から
そしてまた3回目
だんだん通すのが早くなってくる
歌自体も覚えてきて相乗効果

さらに言うと、「美しい」
さすが書の大家
ほれぼれします
平かなの古文書の続け文字はこんなに美しいものだったのか
花の色は うつりにけりな いたずらに わが身夜に降る ながめせしまに

ちはやぶる 神代も聞かず 龍田川 から紅に 水くくるとは

久方の 光のどけき 春の日に しづこころなく 花の散るらむ

そうなってくると、今度は美しいものを見たいという欲求にかられてきます
百人一首で他にないかな

歌留多なので下の句は文字数が少ない
美しさ重視でバラバラに配置されています

いまひとたびの みゆきまたなむ

三笠の山に いでし月かも

よをうじやまと 人は言うなり

知るも知らぬも 逢坂の関

おとめの姿 しばしとどめむ

紅葉のにしき 神のまにまに

吉野の里に 降れる白雪

美しいっ

[言葉]シリーズはこちら(少し下げてね)