[首相]45 中曽根康弘。風見鶏と言われても

[首相]44 鈴木善幸。和の政治
の続きです

かくさんぷくだいれいちゅうの最後、「ちゅう」
かくさんぷくだいれい、までは全て2年ずつですが
中曽根康弘だけは、5年やってるんですね
このあたりになってくると、ついこの前ってイメージになってきます

中曽根康弘

首相王国群馬県、有数の材木商「古久松」の次男として生まれる
海軍へ入り青年将校とする

悲惨な戦争を体験し、大切な仲間を失う
27歳で終戦を向かえる

占領下で、多感な青年は政治家に転身
数々の発言が物議をかもす
吉田茂内閣を徹底批判

一刻も早く占領を終わらせるべし、との建白書をマッカーサーに提出
これを見たマッカーサーの側近ウィリアムズは、
「このようなものは受け取れない」と即座に突き返そうとした。

「この建白書は、すでにアメリカの上院議員らに送った。
彼らが読む前に、ぜひマッカーサー司令官に読んでもらいたい」

ウィリアムズはしぶしぶ受け取ったが、
建白書の占領軍批判にマッカーサーは激怒し、破り捨てようとした

派閥の長へ
佐藤栄作総理の再選をめぐって、派閥の長河野亡きあとの
春秋会が分裂した。
河野の遺志を継ぎ反佐藤を貫く中曽根らと、
佐藤支持に活路を求めるグループに分かれたため、
中曽根は「新政同志会」 を立ち上げ、
最年少の 46歳で派閥代表となった。

ところが1年を待たず、
中曽根は佐藤に請われて第2次内閣の改造の際に運輸大臣に就任する。
中曽根の豹変ぶりに、「風見鶏」と批判が集中したのがこのときだった

この時大きく学習したのだろう
批判ばかりではやりたい事は実現できない
小派閥の長としては、風見鶏と言われようが
首相になるため、つくべきところにつく

主要大臣を次々歴任しつつ実力をつけ
総裁戦にも出馬

大平正芳が亡くなった時、次は中曽根かと言われたが
田中角栄が鈴木善幸を推した
ここでは、鈴木が最も力を入れた、行政改革を担当

鈴木善幸が突然、総裁戦に不出馬を表明
いよいよ、その時がやって来た

総理になってからは次回

[首相]シリーズはこちら(少し下げてね)

[ことば日本史] 火蓋を切る

ことば日本史、戦国時代から

火蓋を切る
天文12年(1543)8月23日、
その前夜からの台風でボロボロになった一隻の帆船が、種子島(たねがしま)に漂着した。
ポルトガル人商人を乗せた明の船だった。
修理のために受け入れてくれる港を求めて北上してきたという。

船は、前之浜から領主のいる赤尾木の津へと曳航され、そこで修理することになった。
修理する間、乗員百数十名は、慈遠寺に宿泊した

その時、種子島の島主は、16歳の種子島時尭(ときたか)

先代の恵時(しげとき)は屋久島と種子島の二つの島を持っていたのだが
争いに敗れ、屋久島を手放して引退することで許された

時尭が新しく島主になった5ヶ月後に船が漂着してきた

時尭はポルトガル人の持ち物に感心を持った

それ何?見せて見せて

火縄銃だった

これはすごいもんだな
時尭自身が、撃ち方を教えてもらって練習

これさえあれば、屋久島を取り戻せる

すぐに、同じものを作れと命じた

命じられた家臣たちは、寝る間も惜しんで試行錯誤
ポルトガル人がいる間に何とか作らねばと
色々質問しながら頑張った

見事、6ヶ月後には完成

以後(15)よさん(43)か鉄砲伝来

恩を感じたポルトガル人
帰国後、鍛冶屋を連れて再び訪れ、さらに細かい技術を伝授した

鉄砲のおかげで、屋久島を取り返す事ができた

その後、鉄砲の製法は、堺の商人、橘屋又三郎が種子島で学んだ後、
堺に伝えて、そこから各地に広まっていった。

火蓋

火縄銃の、火皿をおおう蓋が「火蓋」である。

火縄銃は、次のような手順で発射した。

1.銃口から、規定量の黒色火薬と鉛弾とを入れて、込矢で突き固める。
2.火蓋を開き、点火薬を火皿に注ぎ、火蓋を閉める。
3.火挟の竜頭に火縄をつける。
(ここまでが準備である。次にいよいよ射撃にあたっての操作。)
4 左手に銃床を支え、火蓋を開ける。このことを「火蓋を切る」という。
5.銃尾を右手に握って照準を定める。
6.引き金を引く。

これで、火縄の火が火皿に入って点火薬を発火させ、
薬室内の装薬に引火して爆発、弾丸が発射される。

次の弾を撃つには、1から繰り返さねばならない。

この一連の操作のうち、いよいよ撃つぞというときにするのが「火蓋を切る」
そのことから、戦闘開始の意味にもなったわけだ。

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[外交]3 日清戦争は朝鮮の内乱?

[外交]2 条約の改正に頑張る外務大臣たち
の続きです

日清戦争は1894年なんですが、
日清、日露、第一次世界大戦の3つの戦争はとても年号が覚えやすい
日清(1894)、日露(1904)、第一次世界大戦(1914)
ちょうど10年おきに戦争をしていたんですね

日清戦争

この戦争とても不思議な戦争です
日本と中国が戦ったことはまちがいないんですが、元はと言えば、朝鮮の内乱
言っている意味が分かりませんね
前提からいきましょう

前提は、「朝鮮は中国(清)の属国である」です
朝鮮は中国親分の子分なんです

ところが、近代になって、2度も親分がヨーロッパに負けちゃった
アヘン戦争、アロー戦争

朝鮮の人の中に、「この親分についていって良いんだろうか」と疑問を持つ人たちが現れる

日本も不安になってくる
中国がさらに完全にヨーロッパに負けちゃったとすると
属国である朝鮮は、ヨーロッパの植民地になる
目と鼻の先の朝鮮がヨーロッパになっちゃうのは、防衛上脅威なんてもんじゃない

朝鮮内の「疑問を持つ人たち」(親日派)を援助して
中国と縁を切っちゃいなよ

朝鮮内の親清派と激突

そうなると、清も黙っちゃおれん
親清派を援助

そんな中で、1884年、清はフランスとも戦争して負けちゃう

いよいよ、朝鮮の内乱が大きくなってくるが
清としても、清仏戦争で負けたばかりで日本とも戦争したくない
1885年、天津条約というのを結んで、一旦清と日本は和解

日本と清のバックアップ合戦は終結するが
9年後の1894年、朝鮮内部でまた内乱が起きた。甲午農民戦争

朝鮮政府はこの内乱を押さえきれず
清に鎮圧を要請

自分からじゃないからね、朝鮮から依頼されたんだからね
と清は派兵を決意
でも、天津条約には
そういうときは、日本にあらかじめ言わなきゃダメ、となっている

うち、朝鮮の内乱に介入しますけど、日本さんどうします?

わざわざありがとう
じゃあうちも

今度はこのまま終わる訳ありません
日清戦争に発展するのです

戦地は、最初の頃は朝鮮内部で、日本軍と清軍が戦ったんです
最終的には旅順での勝利が決定的にはなるのですが。

あとから思えば
ここで、日本が清に勝っちゃったのが良くなかったんだと思います
清がヨーロッパに負けるのはそうとして
日本も勝っちゃうの?
日本ってヨーロッパ並に強いんじゃないの?

戦争に継ぐ戦争を仕掛けていくことになっちゃいます

次は日露戦争になります

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[足利将軍]14 義栄。次期将軍争い

[足利将軍]13 義輝。どっちにするかの判断
の続きです

「モカの釜ヒタヒタね澄んで晴れてるひでぇ秋」の「ひで」
足利将軍もあと二人ということになります

義栄(よしひで)

義輝が突然、三好一門に殺されちゃった
さあ大変

義輝には跡取りがいない
次期将軍どうする?

義輝に弟がいた
その弟も三好一門に殺される

さらにその弟もいる
跡目争いでややこしくならないよう、出家して僧になっている
まずい、生命の危機
後の義昭(よしあき)です

たすけてーっ
手紙を送ったのが、その時一番勢いのあった大名
出ましたっ
織田信長です

ここで断っちゃ男がすたる

とはいえ、天下統一なんてまだまだな状況
となりの美濃の斎藤龍興と対立しているので
人を助けに行ったら、尾張を取られる

よし、わしに任せろ、と
義昭が間を取り持って信長と斎藤氏が和睦
信長としても、意外に頼りになるかも

そうこうしているうちに三好一門が勢いを増し
畿内を制圧
とすると、こちらも将軍を立てよう

室町時代後半は二人の将軍時代が続きました
前の義輝のライバルは義維(よしつな)でした
その息子、義栄(よしひで)を擁立

さあ、どっち

その後、三好一門は内輪揉めで減退したり、
近江六角氏と連携して勢いを増してきたりと
行ったり来たり

我こそは将軍なりと確約が欲しいので、天皇に掛け合い
1568年「征夷大将軍」に任じてもらった

義昭信長連合がいるので磐石ではない

信長としては、本格的に京都に向かうためには
一旦和睦した斎藤氏を倒してしまいたい
いけえっ
斎藤氏を討ち果たし、一安心

いよいよ京都へ
破竹の勢い

三好一門をことごとく打ち破り
とうとう、義栄は行方知れずとなってしまった

このあと、信長もすんなり天下統一へは向かえない
続きはシリーズの次回ね

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