間重富。商人の天文学者。

間重富(はざましげとみ)は天文学者でありつつ商人という、ちょっと変わった経歴の持ち主。

麻田剛立から、その弟子、高橋至時(よしとき)、そしてその弟子、伊能忠敬(いのうただたか)、という流れがありますが
麻田剛立の弟子としてはもう一人、間重富がいるんです。
伊能忠敬の、隠居後の第二の人生は?
伊能忠敬の、隠居後の第二の人生は?(続き)

間重富
間重富って、十一屋という質屋さんです。
六男だったのにお兄ちゃんたち全員死んじゃった。
質屋なのに十一屋とはこれいかに

蔵を十一個も持っているという大店
重富の代でさらに増やして15個。かなりの商才の持ち主です。

江戸時代の天文学者のご多分に漏れず、子供の時から星ばかり観察している星オタク。
子供の時に、地球儀を初めて見て衝撃を受けた。

うわあっ
この大地は丸かったのか

地球儀の事が頭から離れない。
勢い余って、自分で地球儀を作っちゃった。
提灯に似てるし。

この人、理論より実務の現場型の人。
もちろん、理論はみっちり理解した上でだけど。

数学は、坂正永(まさのぶ)から学び
天文学は、麻田剛立に弟子入り。

強みは何と言っても財力。

西洋暦学を学びたいなあ
弟子仲間の高橋至時と夢を語る。

買ってきたよ。

えええっほんまか。

暦象考成という日本に数冊しか輸入されていない超高価な本。

特に実務の人なので、道具にこだわる。
より精密な測量機器があれば、より精密に測れる。

西洋の道具を手に入れ、徹底的に調べる
同じものを作るんじゃなく、より良く作ろうというのが重富の良いところ。

これとこれを組み合わせ、さらにこういうアイデアを付け足すともっと良いものになるはず。

自分で作る訳じゃなく、戸田東三郎という有名な職人さんに細かく指示をして作らせる。

高橋至時の弟子、伊能忠敬が全国測量に使った機器の多くは、重富が作らせたものです。

寛政暦
麻田剛立の時にお話ししましたね。
麻田剛立。月の表面に名前を残した男
寛政暦を作るため、麻田剛立のところに話が来て
私ゃもうご勘弁、と弟子を推薦。
高橋至時と間重富

二人が天文方で二人三脚で、寛政暦作りに取り組む。

でも、正確に言うと、これは間違い。
高橋至時は武士なので、天文方という役職につけるんだけど
間重富は商人なので、天文方にはなれない。
浅草暦局の職員として高橋至時をサポートする形。
まあ、一緒にやっているんですけどね。

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