[名僧] 空海。自ら範を示す。

[名僧]空海。ありがちな青春時代のそのあとに。
[名僧]空海。憧れの唐で。
[名僧]空海。いきなりの対応には理由があった。
の続きです。

日本へ
さあ、日本へ帰ってきました。
華々しくデビュー

とは、ならないんですね

やっぱり例の「闕期(けっき)の罪」
20年唐にいなければならない資格で行っているのに
2年やそこらで帰ってきています。
要は、罪人です。

着いたのは太宰府なんですが、
京都に行くことは許されず、太宰府に留め置かれる。

それが分かっていて帰ってきているので、
まあそうかなと。

さらに二つの事がのしかかります。
ひとつは密教。
空海は密教の世界で一人しかいない恵果の正式な後継者になり
密教で世界で一人しかいない「世界の空海」
売りは圧倒的に密教な訳です

でも、一緒に遣唐使で行った最澄だって密教を学んできています。
最澄としては法華経メインで、その中に融合されるものと捉えていますので
空海に比べると、密教だけ見ると不十分ではあります。

でもかたや有名人の最高権威者、最澄
一方の空海は、日本では無名でしかも罪人。

請来目録(しょうらいもくろく)というものを書いていかに自分の密教が優れているかを主張
それを読むと、こりゃすごい、と分かるわけですが
いかんせんあまりにもすごすぎます。

世界で一人しかいない密教の大先生に
死ぬまでのたった6ヶ月で教わりきりました。
私こそが、今や密教の世界唯一の正式後継者です。
信じられます?
向こうでは日本人は外国人な訳で
普通に考えると眉唾です。

やっぱり最澄の密教で良いですと、そうなります。

もうひとつは、政治のゴタゴタです。
この間、桓武天皇から平城天皇、嵯峨天皇と天皇が2回変わるんですが
唐に行く前に、空海に理解を示してくれていた伊予親王が謀反を企てているという噂。
空海は直接伊予親王とやり取りしていないんですが
その一派ではないかと疑われる。
「闕期(けっき)の罪」よりこっちの要因の方が大きかったかも

結局3年もかかっちゃいました。
嵯峨天皇に変わったこと
そして動いてくれた人がいる
誰あろう、請来目録を読んだ最澄

3年の時間を無駄にする空海ではありません。
恵果から口頭で教わった、「両部不二(りょうぶふじ)」新しい密教の極意
これを文書として形作っていきます。

入京
いよいよ入京
すぐに最澄がやってきた。

空海先生、教えていただきたい事がございます。

そんな ごもったいない

空海にとって、最澄はやっぱり憧れの人。
その最澄が自分を先生扱いしてくれる。
感激しきりです。

僧の位からするとこの時はまだ雲泥の差ですが
最澄は大したもんです。

お互いに認め合い語り合います。

空海は、すぐに灌頂(かんじょう)(=修行の始まりの儀式)をしましょうと。

おおそれは有難い。

空海もいきなり恵果に灌頂をしてもらいましたので、最澄に対する最大の敬意。

ところで、伝法灌頂(でんぽうかんじょう)まではどれくらいかかるでしょうね

伝法灌頂とは、阿闍梨位(あじゃりい)即ち弟子を取って師となり得る位になれる儀式。

請来目録を読んでの発言か
請来目録には、空海が恵果からたった2ヶ月で伝法灌頂を受けた事が書いてあります。

手っ取り早く教わろうとしているのか。
一気に全てを伝授しようと思っていた気持ちが薄れた。

どちらから言うともなく
一旦、比叡山に帰って時間が集中して取れそうになってから出直すということで。

その後は、本を貸してください。
予習をみっちりして、その上で伺います。

そのまま、二人で協力し合いながら日本の仏教界を盛り上げてくれれば良かったんですが
密教を統合的な仏教の中の一ジャンルと考える最澄と
密教こそが全ての真理と考える空海では
差がありすぎました。

その後、新しい天皇、嵯峨天皇が、空海をとても気に入ります。
また、最澄が空海から一回とはいえ灌頂を受けたという事実は
みんなの空海を見る目をガラッと変えてしまいます。

空海へ空海へと時代は流れていく。

真言宗(しんごんしゅう)
波に乗って、新しい宗派の立ち上げをはかります。
真言宗の誕生です。

嵯峨天皇にお願いをします。

禅定を修行する道場を建立したいので
紀伊国の南山(和歌山県北部の高野の山地のこと)
を与えていただきたい

いいよ

高野山金剛峯寺(こうやさんこんごうぶじ)です。
恵果と約束した、密教を広めていくための大きな大きな一歩。

見ていて下さい。

書物
積極的に活動していきつつ、本も書いていく
密教の大きな特色のひとつは、即身成仏

成仏(じょうぶつ=悟りを拓くこと)へ至る時間がとても速い。
父母から生まれた現在の肉身のまま、ただちに成仏できる

その事を書き表したのが、即身成仏義(そくしんじょうぶつぎ)
「声字実相義(しょうじじっそうぎ)」「吽字義(うんじぎ)」「秘密曼荼羅教付法伝(ひみつまんだらきょうふほうでん)」
と次々と。

そんな最中、故郷の讃岐の満濃池(まんのういけ)の開発をしたりもしています。

最澄が亡くなり、平安仏教の担い手は空海一人に

そして、京都の東寺も空海に預けられることになります

次々と弟子も育っていき

いよいよ、最終目的
自分が即身成仏となって、密教の極意を世に示したのです。
62歳ではありますが、永遠の世界で生き続けています。

索引はこちら
[名僧]シリーズはこちら(少し下げてね)


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