鎌倉時代の名僧。慈円、明恵。いっちょやったるで

名僧シリーズ、鎌倉時代です。

慈円(じえん)
1155~1225 天台宗
出ました、慈円。
おほけなく うき世の民に おほふかな わが立つ杣(そま)に 墨染の袖
の慈円です。

お父さんは、摂政関白を勤めた、藤原忠通(ただみち)
わたの原 漕ぎ出でて見れば ひさかたの 雲居にまがふ 沖つ白波
保元の乱で勝った方。
お兄さんは関白、九条兼実(くじょうかねざね)です。

要は、摂関家
摂政、関白を出せるのは、近衛家、九条家、二条家、一条家、鷹司家のみ
名門中の名門にありながら、激動の時代なので、浮いたり沈んだり
身の危険を感じて出家するんですが
超切れ者で有ったため、名門云々ではなく、実力で
仏教界の頂点(比叡山、天台宗の天台座主)に上り詰めます。

出家したので、激動の政治の世界とは隔絶されて、となるかと思うとさにあらず
ものすごい野心家
長男ではなかったので、関白はお兄さんに取られちゃった訳ですが
いっちょやったるで、的性格
敵も味方も多いので
天台座主に4度も就きます。
逆に言うと3回降ろされた。

慈円と言えば「愚管抄」(ぐかんしょう)
歴史を解説分析した本
初代・神武天皇から第84代・順徳天皇までの歴史を、
貴族から武士への大きなうねりとして解説。
もちろん仏教的視点からも解説されている壮大なスケール

承久の乱の直前に発表
武士の世の中になる決定的事件なので
予言書かというほどのもの
当時トップの僧侶がこんなの発表する訳です。
いっちょやったるで感がすごいですね

明恵(みょうえ)
1173~1232 華厳宗

華厳宗は南都六宗なので、とても古い宗派
勢いがあるとは言い難い。

甲子園で言えば、古豪復活とばかり
新しい考え方を色々取り入れて、もういっちょ

お寺も、後鳥羽上皇から賜った土地にあるお寺を再興
高山寺。ボロボロだったからリフォームね

密教も取り入れて、栄西にも教えを乞うて、禅宗も

栄西は、お茶を日本に持ってきた人なので
私も一役買いましょうと
お茶を増やし、普及させていくお手伝い。

法然の念仏は嫌いだったみたい。
批判する書を書いています。

本をいっぱい書いた人
お釈迦様が大好きなので、お釈迦様の地元へ行くぞと張り切って
中国の長安からインドまで行く旅行ガイドも書いた。
でも結局自分は行けなかったんだけどね。

毎夜の夢を書き留めた「夢記(ゆめのき)」は19歳から58歳まで、実に40年間も。

学者さんタイプかと思いきや、実践の人
今で言うハンセン病患者を救うべく
一生懸命活動もしています。

索引はこちら
[名僧]シリーズはこちら(少し下げてね)

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