室町時代の仏教

名僧シリーズ、室町時代に入って参ります。

個別の僧に入る前に、ばくっと、室町時代の仏教ってどんな感じなの?
というのを見ておこうと思います。

室町時代
元弘3年(1333)、鎌倉幕府は滅亡。
後醍醐天皇による建武の新政をヘて室町幕府の時代になります。

その初代の将軍·足利尊氏は聖徳太子の憲法十七条にならって
延元元年(1336)に、建武式目十七条を発した。

その翌年、全国六十ほどの国ごとに一寺一塔の建立を発願。

安国寺(あんこくじ)·利生塔(りしょうとう)と名づけられた。
古代の聖武天皇の時に同じような、国分寺というのがありました
よし、真似しましょう。

とはいえ、新たに寺院が建立するのは大変。
安国寺のほとんどは既存の寺院を安国寺と改称しました。
利生塔も既存の寺院の境内に五重塔か三重塔を建てました。
一番多かったのは、臨済宗、曹洞宗といった禅宗。あと、真言宗、天台宗、律宗など
浄土真宗とかが極端に少ないのは、体制よりの禅宗と明確に分かれて面白いです。

五山
五山という仕組みが中国の南宋時代にありました。
5つの大寺を中心に寺院を管理した官寺制度。

よし、真似しましょう。

鎌倉時代には、建長寺を五山第一としていました。
あの、蘭渓道隆無学祖元の建長寺です。

ちゃんと5つ揃えましょう。
京都五山=第一→天龍寺、第二→相国寺、第三→建仁寺、第四→東福寺、第五→万寿寺。
鎌倉五山=第一→建長寺、第二→円覚寺、第三→寿福寺、第四→浄智寺、第五→浄妙寺。
そして、京·鎌倉の「五山之上」に南禅寺をおいて最高の寺格とした。

時代によって多少変わるんですが、だいたいこんな感じ

これは、臨済宗の中の制度で、臨済宗オンリー
臨済宗であれば何派でもオッケーね

この五山の住持(住僧の長)は、
臨済宗僧侶の身分などを管理する僧録によって選定され、
将軍によって任命された。

室町文化
室町の文化と言えば大きく2つ
北山文化と東山文化
金閣と銀閣と言った方が分かり良いですね

争いに明け暮れた時代ではあっても
民衆の力は強まり
寺社の祭りが盛大におこなわれるようになりました
中でも臨済宗の五山の諸寺は将軍や大名、
それに力をのばした商工人から寄進をうけて、財政は豊かでした。
文学や建築、庭園、芸能など、幅広い文化が花開きます。

まずは、3代将軍義満·4代義持の頃の北山文化
義満が応永4年(1397)に造営した北山山荘
のちの鹿苑寺金閣です。

義満は猿楽の観阿弥 .世阿弥父子をひきたて、
猿楽から能がうまれる。

能の多くは幽霊が主人公なんですって

東山文化は足利義政が応仁の乱の最中に将軍職をしりぞき、
文明5年(1483)、山荘の東山殿に隠居したことによります。
そこに義政は観音殿、後の銀閣や持仏堂の東求堂を建てました。

東求堂には書院造の茶室がつくられ、
茶の湯、能楽、立花(華道)などの芸能が発達しました。

文化の中心になるのは、お坊さんだったんですね

[名僧]シリーズはこちら(少し下げてね)

室町時代の仏教」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: 夢窓疎石。敵を弔いませんか。 | でーこんのあちこちコラム

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