目黒富士と、旧朝倉邸

お出掛け、目黒から
五百羅漢寺に圧倒される
五百羅漢寺。五百羅漢像を一人で彫った松雲元慶という男
五百羅漢寺。超美人で江戸っ子チャキチャキ、お鯉のその後
目黒不動と、成就院と、目黒のさんま
の続きです

一旦、目黒川沿いに戻ります。


桜の時期はすごいことになるのよね

目黒新富士
東京まちなか超低山、にあったプラン
代官山トレイル
代官山にある山を縦走しましょう、と素敵なプランです。

今回は、そのうちの目黒新富士と、目黒元富士に参りましょう。

目黒新富士は立派な富士塚でした。急斜面の上に立つので、
通常の富士塚より、それはそれは眺めが良かったことでしょう。

残念ながら、今は撤去されちゃっているので
その場に立って昔を偲ぶ事と致しましょう。

さすが急坂、何とか登りきると
目黒新富士だっ

何々?
この富士塚は、近藤重蔵が作り・・
えっ、近藤重蔵
あの近藤重蔵が作ったの?
近藤重蔵について詳しくは、こちら
北海道と言えば、最上徳内と近藤重蔵

択捉島に「大日本恵登呂府」という柱まで立てちゃった人物です。

その超有名人が、自分の家の庭に、富士塚を作っていたなんて

一般公開し、大人気

その後、大阪に転勤になるんだけど
この家と富士塚の管理をお隣の塚越半之助に頼んだ

この半之介が良くなかった。
重蔵が留守なのを良いことに、富士塚を自分の都合の良いように作り替え
隣に蕎麦屋を作って、見物客を集めて大儲け

戻って見るとえらいことになっています。

こらこら勝手に何すんねん

勝手にじゃないでしょ
あなたが私に頼んだんでしょ

と大喧嘩
裁判に発展し、一旦は重蔵が勝つんですが
その後、ずっと隣人半之介の嫌がらせが続きます。

そしてとうとう事件がおきます。
鎗ヶ崎事件

重蔵の息子、富蔵が半之介一家を皆殺しにしてしまうのです。

富蔵は八丈島へ流罪。重蔵も連座で罪に問われます。

この場所は、当時江戸中を震撼させた、鎗ヶ崎事件の場所でもあったのです。

目黒元富士
なぜ目黒新富士と言うかというと、近くにもうひとつ有名な富士塚があったから
目黒富士と呼ばれて、大人気になりますが
目黒新富士が出来てからは、区別するために、目黒元富士と呼ばれるようになります。

こちらも坂を登りきったところにあるのでとても見晴らしが良かった
残念!
こちらも撤去されて今はありません

旧朝倉家住宅
目黒富士の隣が、旧朝倉家住宅
拝観料、100円です。
無料より、これくらい取る方が中の手入れが全然違う。
期待できるな、とは思いましたが、これほどとは。

こんな大物を残していたとは、私もまだまだです。

庭園の素晴らしさ。
灯篭の博覧会の如しです。







斜面の上に家があって下に下っていく庭園
登っていくのは緑が迫ってくる感じでよくあるんだけど
このパターンは初めてかも

家の中も実に素晴らしかった。


中から見る庭もまた格別


ああ、素晴らしかった。

街は代官山
テレビとかで良く聞きますね。
代官山のおしゃれなカフェでどうのこうの

場違いなおじさんではありましたが
暫し、芸能人になったつもりで歩いてみました。
うーん
やっぱり、無理か

今回、ずいぶん長かったですね
失礼しました。
はい、終了

このあと、新しく出来た息子が荷物を取りに来るらしいから、早く帰らなきゃ
エビフライ、アジのフライを揚げて持っていってもらいましょう。

[おでかけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

目黒富士と、旧朝倉邸」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: めぐろ歴史資料館に行ってきました。 | でーこんのあちこちコラム

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